Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ごめんねと言われても許さなくてもよい

保育園や幼稚園や小学校で、悪いことをした子供がいたら、保育士や先生はその子に「ごめんなさい」をするようプレッシャーをかける。しかし、その子が大人の思惑通りに「ごめんなさい」をした途端に、今度は保育士や先生は悪いことをされた側の子に「許してあげなさい」というプレッシャーをかけることが往々にしてある。

 

非常に教育に悪いからやめたほうがよい。

 

大人が介入してこないと解決できないレベルであれば、悪さの度合いは「ごめんなさい」のたった一言とは釣り合わないはずである。数字で例えると、謝罪が行われる前の両者のステータスは、被害者側はダメージを負っているぶん「ー10」であり、一方の加害者側は「0」である。謝罪によってこのステータスはどう変わるかというと、加害者側は自分の落ち度を認めるという軽度のダメージを負うので「ー1」となり、被害者側は一応謝ってもらえたということでダメージが若干軽減し「ー9」となる。これが繰り返されると、悪いことが行われるたびに被害者側が加害者側よりもステータスが8ポイントずつ下がることになり、両者の差はどんどん開いていく。かわいそうな子はどんどんかわいそうな目に遭って負のスパイラルに陥り、悪い奴はのうのうと生き延びることになる。

 

本来であれば人の嫌がることをそもそもしない子が立派なのであり、そのような子が報われるシステムが構築されるべきである。にもかかわらず、人に悪いことをする人のダメージを軽減し、立派な子の救済を放置するような「ちゃんと誤ったのだから許してあげなさい」という最悪なドグマがのさばっているのが現実なのである。

 

人の嫌がることをした子に対しては、まず謝罪するのは当然として、そこから「それで許されたと思うなよ」という厳しい態度でのぞまなければならない。「こんなにいけない事を自分はしたのだ」と心から痛感するよう、被害を受けた子と釣り合うだけのマイナスを与えなければならない。

 

ただ、悪いことをした子に教育的効果を狙って大人が意図的にダメージを与える(ステータスをマイナス方向に動かす)ことには相当の勇気と技術を要する。一般的には「口頭で叱る」といった方法がよく採られていると思うが、他にも悪いことをした子を反省スペースにいったん隔離する等の方法もある。ここでは何がベストな方法なのかは論じないが、少なくとも個々の保育士や先生の個人的な技量や価値判断に基づいて場当たり的に対処することを求めるのは誤りである。各園や各校で、どのような場合にどのように対処するか、一律でガイドラインやルールが設けられるべきである。その上で、そのルールを受け入れられる親だけが子をその園や学校に通わせることにすれば、保育士や先生も安心してガイドラインに則って対処することができる。責任はガイドラインにあり、それを受け入れた親たちにあるのだから。

 

園・学校側と保護者側がお互いに安心できる形でガイドライン・ルールを設けた上で、悪いことをした子供には必ずダメージを与えるべきである。そうしなければ、「悪いことをしたって大した問題ではないのだ」「悪さをやられた側は大いに損をするがやった側はそんなに損はしないので、悪いことをやる側に回っておいた方がよい」という無意識の成功体験を子供たちに積ませるだけである。まともな社会を維持することに賛成するのであれば、子供を育てる上で「悪いことはしないでおこう」というショックを与えることは必要である。子供にダメージやショックを意図的に与えることは残酷なことだと感じる人もいるかもしれないが、この手のショックを幼少期に原体験として持たない子供が結局一番残酷な大人に育つのである。

 

勘違いしないでほしいのが、子供が悪いことをしたと痛感することは必ずしも大人からの直接の制裁によるダメージであるべきと主張しているわけではない。自分の行いがいかにいけなかったのか気づかせ、おのずから傷つきショックを受け反省するような状況に導くことができればベストであろう。しかし、それを個々の保育士や先生にその場その場で考えてやってもらうというのは荷が重すぎるというのが私の考えである。きっと世の中にはこの点において素晴らしいやり方を実践している園や学校があるだろうから、それをベストプラクティスとして広めていくのがよいだろう。

 

なお、似たような論点として、「●●(おもちゃや本)を貸して」と言われても貸したくなかったら貸さなくてもよいという教育をすべきであるという主張をしたい。もちろん、本来みんなで分け合って遊ぶことが想定されているものを不当に独り占めしている子には、「他の人とちゃんと共有しなさい」と大人が指導することはかまわない。ただ、そこまで不当に独り占めしているわけではなく、他の子と同様に自然とおもちゃを確保して常識的な範囲でそれで遊んでいたのに、他の欲しがり屋さんの子供がその子のおもちゃをうらやましくなって貸してほしいと言ってきた時、自主的に貸してあげた場合は立派な行為としてほめてもよいかもしれないが、逆に貸さなかったからといってそれを不寛容な態度と評価するような空気を作ってはならない。「それでもかまわない。それは基本的にはあなたが使う正当性を有しているのだから」という態度で接するべきである。もし貸してと言われて貸さないことを不寛容扱いするようになれば、後から奪った者勝ちの世の中となるではないか。自分では買わずに「一口ちょうだい」であらゆるお菓子の味見をするようなフリーライダーが勝利することになり、まっとうな手段で手に入れることは馬鹿らしいという価値観を子供に植え付けることになるだろう。

 

このように、正直者がバカを見る世の中を作ることに加担するような価値観が、子供たちの何気ない日常のあらゆる場面に地縛霊のように潜んでいる。我々大人たちは毅然として、まっとうなことをすれば報われるという実例を積み上げ続け子供たちに示し続けるべきである。

僕の育った街はマイルドヤンキーの巣窟だった

自分の生まれ育った街が実はマイルドヤンキーだらけのどこもかしこも閉塞感しかない田舎だったのだと気づいた時は少しショックだった


元からそのように痛切に感じながら生きていれば、それに嫌気がさして「この街に未来はない」「早く都会に出たい」みたいな焦燥感がプッシュファクターになっただろうけど、僕の場合は別に「この街が嫌いだ」という感情はなく、たまたま選んだ進学先・就職先でライフステージが変わる過程で生まれ育った街を結果的に抜け出すことになっただけ


でも進学や就職をして自分の世界が広がってから、まだその街に住んでる小中学校時代の友人達と会ったときに、見ている世界が全く違うとハッキリ感じてしまった


テロッテロのスウェットやジャージを着た

根元までちゃんと染まっていない雑な茶髪または金髪の若者が

夜中までコンビニ前でダベっていて

暴走族や歩きタバコは普通に実在していて

チンピラまでいかないガラの悪い一般人が

ガラの悪い運転をしたり

ファミレスでガラの悪い過ごし方をしたりしている

そんな街


政治にも経済にも学問にも芸術にも関心がなく

それでいてユーモアも停滞していて

脳を支配しているのは

テレビそして地元の仲間達との付き合いと噂話

そしてお祭り的なイベントを楽しみにしてる

小さな子供が深夜のファミレスや

立ち飲み居酒屋に連れてこられて

タバコの煙の中で夜更かしして遊んでいる

そんな人達がそこで一生を終える街


子供の頃は特に過ごしにくいとは思っていなかった

それしか知らなかったから


しかしそういう田舎者根性は

そこで生まれ育った以上

僕自身の中にもある可能性を

認めなければならない

こんな風に感じるようになったのも

同族嫌悪というやつなのかもしれない


僕は東京に電車一本でいける千葉県出身なので

甘酸っぱい幻想としての「上京」という概念は

持ったことがないし

東京への憧れもなかったと思う

仕事の必要性に応じて東京にも住んだが

銀座や表参道に住んでいたわけでもないから

マイルドヤンキーどもがくすぶる世界は

引き続きすぐそばにあって

大人になったことでそういう世界と

自分の故郷との共通点を見出したりできるようになったし

それとの比較で結局都会の優位性を

強く感じる結果になったりして


故郷を否定して生きてきたわけではないのに

内向きで狭い閉塞社会の中で

それなりに楽しく過ごしてきた幼少期の

そのあらゆる場面で舞台となったあの街に

そこはかとない嫌悪感がまとわりつくようになってしまった

そういう悲しみがある

なぜ恋をすると胸が苦しくなるのか


1 恋をすると胸が苦しくなるのはきっと生物としての必要性があるに違いないという仮説


「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」という都々逸があるように、恋愛感情が身体に発現させる諸現象が病気の症状に酷似している事は昔から古今東西でよく認識されている。胸が苦しくなったり頭がボーッとしたり思い悩んだり食欲がなくなったり、確かに「恋」はまさに「病」と表現するにふさわしい。


我々はそれを体験的に知っているからそれを恋愛の必然的な性質として受け入れているが、冷静に考えてみると恋愛は誰かを好きになることなのだから苦しくなる必要はないはずではないか。好きなものは本来幸福感をもたらす方が自然なはずである。つまり、恋愛感情に対して病気に似た反応を精神や肉体が示すようにプログラミングされていることは、生物として意味のある事なのではないかという推測が成り立つ。今回はその意味を考えてみたい。


2 そもそも生物の目的は何か


まず、生物の究極の目的は「繁栄」であると定義したい。この定義が正しいかどうかは何百ページもある本で論じなければならないが、それをここでやるのは現実的ではないので、これは正しいという前提でスタートしたい。勿論、この定義が正しいと言って先に進んでもかまわないだけの一定の根拠はあるのだが、それはその定義の先を論じる過程で示していく。


生物の生態を観察する限り、我々人間の多くが生きる目的として自覚しているような「遊び・愉悦」や「それぞれの個体の自己実現」を目指しているようには見えない。延々と土の中にいて、土の外に出たかと思ったら交尾だけしてすぐ死ぬといった種や、群れ全体の生殖を一手に担う女王個体のために奴隷的役割に徹する個体がいる種がいることはよく知られている。


また、殆どの生物はひたすら栄養を求め続けて(一日の大半をエサ探しとエサ食いに費やして)一生を終えるように見えるし、人間のように、生命維持とは無関係な娯楽を持つ様子はほぼ観察されない。


「それは人間の物差しで観察するからそうなるのであって、虫には虫にしかわからない娯楽や個体毎の自己実現があるかもしれない」との反論もあろうが、この文章を読んでいる生物は全て人間の物差しから完全に解放されえない人間の個体なので、そのような可能性は想定しないこととする(知能が高いとされる種からは生命維持と直接関係しない娯楽の存在が窺えることも一つの反駁となろう)。


つまり生物は「生きるために生きている」。


なぜ生きるのかというと、死んでいる個体は繁殖できないからである。


生物が捕食者に捕まらないように身を守るための形質や能力を獲得していくのはなぜか。生き延びて繁殖する機会をできるだけ増やすためである。生物が捕食のため様々な形質や能力を獲得していくのはなぜか。餓死しないため、つまり生き延びて繁殖するためである。異性の個体にモテるような形質や能力を獲得していくのはなぜか。個体が繁殖の機会を最大化するため、そして結果として種として繁栄していくためである。ではそもそもなぜ性別があるのか。それは無性生殖だと遺伝子のバリエーションが多様化しにくく、環境がスタンダード種にとって苦手な環境に変化した時に種全体が滅んでしまうからである。有性生殖で遺伝子を多様化させヘンなヤツが常に生まれるようにすれば、環境がどんなに変化しても必ずその環境に適応するイレギュラーな個体が生き残り種を生き延びさせる事ができる。なぜ我々は本能的に生き延びようとするのか?なぜ我々は未来に希望を見出したいと思うのか?生き延びて繁殖期の可能性を少しでも増やして、種を繁栄させるためである。


「なぜ生物は●●なのか?」というあらゆる問いに対する回答が詮ずるところ「種の繁殖」に行き着いてしまうのである。


我々人間はミジンコやナメクジとは違うので種の保存に反するような行動や思考を辿ったりもするが、我々の非随意的な部分、つまり本能や生体メカニズムに関わる部分は我々が今よりもずっと動物的だった時の名残りであると考える事が妥当であろう。


3 なぜ性欲とは別に恋愛感情というものが生まれたのか


ここでやっと「恋愛」の話に戻る。人間の恋愛感情は必ずしも生殖と直結しないが、我々が動物的だった頃にその由来を求める立場から、恋愛感情は何のためにプログラミングされたのかという命題に向き合えば、それは繁殖にとって有効だったからだという仮説が自然に導かれる。


ここで、別の本能である「食欲」について一旦考えてみよう。


繁栄種としての生物の究極目標。

生命維持繁栄に必要。

栄養摂取生命維持に必要。

空腹栄養摂取に失敗している状態。病気に似た状態(腹に不快感、頭クラクラ、動けない)。苦痛。個体はこの状態から脱したい。

満腹栄養摂取に成功している状態。幸福感。個体はこの状態になりたい。


上記の通り、種の究極目的に辿り着くために、人間の個体は栄養摂取できていない時に苦痛を感じ、栄養摂取できている時に幸福を感じる。


これを性欲に置き換えてみると次のようになる。ほぼ同じ構図である。


繁栄種としての生物の究極目標。

性行繁殖に必要。

性的な欲求不満性行機会を失っている状態。病気に似た状態(ムラムラ、ストレス)。苦痛。個体はこの状態から脱したい。

性的満足感性行機会を獲得している状態。幸福感。個体はこの状態になりたい。


上記のとおり、生殖と直結した性欲なら、食欲と同じように解釈しやすい。しかし、性欲になぞらえて恋愛感情を捉えると疑問点が生じる。以下に具体的な疑問点を2つ挙げる。


【疑問点A

恋愛中は苦しみもあるがウキウキと楽しいものでもある。なぜ恋愛には充足感と渇望が併存するのか。


【疑問点B

恋愛に興味がなかったりパートナーがいない時に繁殖することはまれであるから、恋愛している時の方がしていない時よりも生殖の可能性は高くなっているはずなのに、なぜ繁栄に向かう機会から遠ざかっている時の状態(=病気に似た状態)になる必要があるのか。


私の仮説はこうである。


人間が猿から進化して人間になった頃は、まだ繁殖期に性欲に突き動かされて性行に至っていたと思われる。つまり、性行の相手を獲得していない状態=性行できていない状態=欠乏で、性行の相手を獲得した状態=性行できている状態=満足という極めて合理的かつわかりやすい構図だったと思われる。


一方、種としての繁栄を目指す過程で、人間は(オスがキレイな羽飾りを持つとか立派な角を生やすとかの個体レベルではなく)群全体における食糧の安定供給と安全の向上が種の繁栄にとり最も効果的であるというスタンスに基づく進化の道を選んだと考えられる。そのために共同体(ムラ)を作り出し、それを維持するための社会秩序を作り出し、それらを構成する家族・家庭や倫理といった人間社会の根幹をなす種々の要素が生み出されていったのだろう。


恋愛感情というのは、多様化しまた安定化した社会共同体において、繁殖に向かうための本能が適応して変化したものであると考えられる。そのような生存環境において、先ほど述べた「性行の相手を獲得していない状態=性行できていない状態=欠乏」「性行の相手を獲得した状態=性行できている状態=満足」という構図は必ずしも成り立たなくなっていっただろう。それは、社会秩序や人間関係を維持するためには、「生殖に向かいたい」から「実際に性行する」までの間にあるプロセスが大幅に増える必要があったという事である。こうして、ワイルドなアニマルだった時にはさほど必要ではなかった「生殖に向かう準備はできているが、実際の性行に至ることを社会秩序の壁が阻んでいる状態」を殆どの個体が経験することになったのである。この状態が恋愛感情の起源だと私は考える。


4 恋愛が楽しくもあり苦しくもある理由


そう考えれば【疑問点A】の「恋愛中はウキウキと楽しいものでもある。なぜ恋愛には充足感と渇望が併存するのか」に対する答えも出る。


恋愛感情の起源が「生殖に向かう準備はできているが、実際の性行に至ることを社会秩序の壁が阻んでいる状態」であるならば、


もし恋愛がウキウキ楽しいだけだったら

満たされているので先に進む必要がない

でもまだ生殖はしていないので先に進まないと生殖ができない

→ 種としての究極目的に逆らう


もし恋愛が苦しいだけだったら

苦しいので個体はそこから逃げようとする

普通は恋愛が性行の入り口になるのだが入り口に立つ事から各個体が逃げがちになる

結果生殖の機会が多く失われる

→ 種としての究極目的に逆らう


上記のことから、恋愛感情はウキウキ楽しい側面とモヤモヤ苦しい側面の両方を併せ持つ必要があったと結論する事ができる。


5 恋愛中の方が繁殖期待値が高いはずなのになぜ苦しむのか


さらに【疑問点B】の「恋愛している時の方がしていない時よりも生殖の可能性は高くなっているはずなのになぜ繁栄に向かう機会から遠ざかっている時の状態(=病気に似た状態)になる必要があるのか」についても、【疑問点A】と同様に、人間社会が獲得した社会性に答えを見出す事ができる。


上記4で述べたとおり、恋愛が楽しいだけであれば「生殖までは至らない状態」で満足してしまう。生殖の準備ができた個体が実際に性行に至るまで、非常に多くのハードルを乗り越えなければならないほど社会が複雑化してしまったために、性行相手候補を見つけた個体を繁殖に向かわしめるために背中を押すための「渇望」が必要なのである。


よく「釣った魚に餌をやらない」というたとえを使って、恋愛期間中は優しかった異性が結婚した途端に冷たくなる現象が指摘されるが、これは生物的本能が「この個体は性行へのハードルを全て乗り越えたな」と判断して「渇望」を取り下げたという事の表れなのかもしれない。


6 まとめ

私の考えでは、人間がより確実に繁栄していくための生存戦略として社会性を獲得したところ、その副作用として「生殖に向かう準備が完了している」ことと「実際に性行する」こととの間に大きな乖離ができてしまい、その宙ぶらりんな状態から種として「繁栄」に各個体を向かわしめるために新しく作られた生体プログラムが「恋愛感情」である。


他の生物のように、交尾したい異性個体を見つけてすぐ交尾しているようでは社会が維持できないので、「一緒にいて楽しい、だけど一緒にいられなくて苦しい、安心したい」というときめきと苦しみがないまぜとなった心理的・肉体的反応をもたらす事で、社会の維持と繁殖への志向を両立するという解決策を、人間という種は編み出したと考えられる。


人間社会は複雑化し、必ずしも恋愛感情の先に必然的に生殖があるわけでもないし、恋愛感情自体が生殖と切り離されて様々な文化的意味づけを帯びることになって今に至っている事はいうまでもないが、それでも我々は繁栄を目指すいち生物種であることには変わりないのだから、我々がこの楽しくも厄介な恋愛感情に振り回されるのも生物として選んだ道なのである。


りょしばきの中の人対談

今回は、赤い怪獣のアイコンでおなじみのツイッターアカウント「りょしばき」にログインしてツイートしている「りょしばきの中の人」からヒロさんとれなさん(いずれも仮名)をお招きして、オンライン通話で対談を行っていただきました。同じアカウントを共有していながらお互いの顔も名前も何も知らない二人にとって、「りょしばき」でツイートするということの意味は。どのような想いで「りょしばき」を作り上げているのか。様々に語ってもらいました。

 

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ヒロ「初めまして。」

 

れな「初めまして。宜しくお願いします。」

 

ヒロ「うわぁ緊張する…お話するのは初めてですもんね。」

 

れな「連絡先すら知らないし…」

 

ヒロ「不思議な感じですよね。りょしばきの中の人にはどうやってなったんですか?」

 

れな「事務局からDMが来ました。」

 

ヒロ「その時すでに自分のアカウントが別にあったってことですか?」

 

れな「はい。りょしばきは私の裏垢です。」

 

ヒロ「あ、そうなんですか!全然俺と違いますね。」

 

れな「そちらは?」

 

ヒロ「俺は友達からの紹介で。」

 

れな「え、リアルの友達ですか?」

 

ヒロ「はい。バイト紹介されるみたいな感じで。面接受けて採用されました。」

 

れな「うそ!そういうパターンもあるんだ…」

 

ヒロ「俺も今同じ感想を持ってますよ。事務局、DMでスカウトとかしてたんですね…」

 

れな「他の人のこと全然知らされないですもんね。」

 

ヒロ「そもそも中の人が何人いるかすらハッキリとは知らないんですけど、れなさん知ってます?」

 

れな「いえ、でも私以外は一番よくツイートする人が1人いて、あとはいてもせいぜい1人か2人くらいだと思ってます。」

 

ヒロ「俺も同じです!やっぱ何となくそれは感じますよね!」

 

れな「この二人が対談に呼ばれたってことは、ほぼ私たち2人がメインなんじゃないですか?だから予想は当たってたんだろうって思ってます。」

 

ヒロ「れなさんのツイートはたぶん判別できてる気がします。」

 

れな「女は私しかいないんじゃないですか?知らないですけど。」

 

ヒロ「今のお答えで、判別できてるってさらに確信しました。これすごく興味あるんですけど、れなさんは事務局から『こういう方向でツイートするように』みたいなのって言われてるんですか?」

 

れな「ガイドラインありますよね。ヒロさんは受け取ってないんですか?」

 

ヒロ「あ、ガイドラインは俺ももらってますけど、それ以外で。れなさん向けに特化したインストラクションみたいなの、あったのかなって。」

 

れな「事務局からの指示が他の人とどう違うかはわからないですけど、私の場合はガイドライン以外は特に事務局からの指示はないです。ヒロさんはあるんですか?」

 

ヒロ「ないですよ。でも、これ多分れなさんのツイートだろうなっていう一連のツイートは、なんとなく一定の方向性があるような気がして。」

 

れな「ヒロさんが思っている一連のツイートっていうのが実際に私のツイートなのかはわからないですけど、結構そこは悩んだところです。私はメインのアカウントでは縛りとか方向性とかなく思いのままやってるんですけど、りょしばきはすごく特殊な形ということもあって、自然とコンセプト感の強いアカウントになっていったと思います。」

 

ヒロ「それは、こういうツイートをしていこうと意識して考えるってことですか?」

 

れな「ツイート内容をよく練るとか、読み手の受け止めについて何か一定の狙いがあるというというよりは、『りょしばきではこういう感じのこと言おう』っていうふわっとした枠組みというか、ノリみたいなものが頭の中に何となくありますね。」

 

ヒロ「なるほど。それは事務局から言われたことではなく、自分の裏垢としてのスタイルとしてできていったということですね。」

 

れな「ただの裏垢と違うのは、他の人のりょしばきツイートを見るうちに自分の中にりょしばき像みたいなものが形成されるので、そこにこういう色のツイートが紛れ込んできたら面白いんじゃないかっていう感覚でやってるってことですかね。」

 

ヒロ「ああ…じゃあ他の中の人と合わせるというよりはむしろそこからの逸脱というか意外性を意識しているような…」

 

れな「いや、うーん、なんていうか、メインの垢では縛られるのは嫌だって思って自由に呟いてるんですけど、りょしばきは逆にスタイルがあった方が楽しめるという感覚があるんですよね。一連のりょしばきツイートの流れに対して、私なりの貢献ができるとしたらこういうことかなっていうのをツイートしていくうちに、自然と方向性ができたって感じです。」

 

ヒロ「なるほど、意外性自体を目指してるんじゃなくて、自分の持ってる個性のうち何を投影したら一番面白くなるかっていう考え方があって、その結果なわけですね。」

 

れな「でも意外と悩みますよ。やっぱり女っていうのをどうするかってのがあって。他の人がかなり男の欲望むき出しじゃないですか。」

 

ヒロ「あー俺はそうですね…。」

 

れな「でも性欲と関係ないツイートもいっぱいありますよね?私も同じように性別関係ないツイートをしたっていいし、なんなら男のふりしてツイートするって選択肢もあるわけですけど、その辺りどういうスタンス取るかってのは一時期かなりありました。たぶん他の人は男を前面に出してもいいし出さなくてもいいしっていうスタイルでおそらく自由にツイートしてる一方で、私は女を前面に出すツイートしかしないのかって。」

 

ヒロ「さっき事務局から何かディレクション受けてるのかってきいたのはまさにそれなんですよ。『あなたの場合は女性っていうのが伝わるようなツイートをしてね』みたいなのがあったのかと。」

 

れな「他の人から言われてそうしているわけではないです。実際、性別関係ないツイートも少しはしてますし。でも多分、女性を前に出したツイートをして、それがりょしばきとして他の人のツイートの流れの一部として発信されたのを遡って見た時に、面白いって感じたんだと思います。そういう印象が積み重なって、自分からあえてそうするようになっちゃったんだと思います。」

 

ヒロ「じゃああれはれなさん自身のディレクションなんですね…」

 

れな「りょしばきの性欲関連のツイートはだいたいヒロさんですか?」

 

ヒロ「うーん、俺じゃないのもあると思います。でも少なくとも全体的に一番頻繁にツイートしているのは俺ですよ。」

 

れな「よく架乃ゆらについてのツイートありますけど、あれもヒロさんですか?」

 

ヒロ「架乃さんは基本俺ですね。かのゆらチャレンジも全部俺です。」

 

れな「たまに急に変なツイート出る時ありますよね。私的には『あーこれいつもの人じゃないっぽいな』って勝手に思ってます。いつもの人ってヒロさんのことですけど。」

 

ヒロ「自分でもなくれなさんっぽくもないツイートは、なんか事務局の人が思いつきで投稿してるんじゃないかって勝手に思ってます。」

 

れな「そうかもしれませんね。」

 

ヒロ「そういえば以前、俺がやさぐれツイートした後に、ガイドラインちゃんと読めみたいなツイートされたことがあったんですけど。」

 

れな「されたって、りょしばきアカウントからですか?」

 

ヒロ「はい。あれが俺の記憶する中で唯一の『中の人同士のやりとり』だと思うんで、めちゃくちゃビビったんですよ。あれれなさんですよね?違います?」

 

れな「あー!なんか思い出しました。たぶん私です。なんか毒吐いてる人がいて、りょしばきらしくない毒の吐き方だなと思ったんですよ。あれヒロさんですか?私いつもの人じゃない人ってイメージでした。」

 

ヒロ「あれ俺ですよ。あと、そのれなさんのツイートに付いたリプのやりとりがあったじゃないですか。これ返信してるのれなさんじゃないですよね?」

 

れな「そうそう、私のツイートへのリプなのに、私じゃない人が勝手にリプ返していて、オイオイと思ったんですけど、これヒロさんじゃなかったんですね?」

 

ヒロ「俺じゃないです。やっぱ第三の中の人がいますね。」

 

れな「事務局かも。」

 

ヒロ「中の人同士で会話してはいけないっていうガイドラインはないけど、なんとなくそれはしないっていう不文律みたいなのあるような気がしてたんで、あれはかなりインパクトありました。『“ガイドライン”とか言っちゃっていいんだ?!』て。」

 

れな「でも、あのことで別に事務局から怒られてはいないですよ。」

 

ヒロ「りょしばきという一つの人格をみんなで作り上げるっていう感覚が一応俺にはあったんですけど、れなさんはあまりなかったですか?」

 

れな「うーん、りょしばきという流れの中に、自分の差し色で貢献するっていう感覚なので、流れは大事にしつつ、そこに溶け込もうっていうのはあまりなかったかな。一つの人格か…私は人格は一つじゃない方が面白いと思ってやってますね。人格の定義にもよるけど。」

 

ヒロ「あ、そうなんですね!興味深い。」

 

れな「そもそも中の人ってどんどん入れ替わりうるわけだし、入れ替わってないとしても、結局私たち自身が変わっていくじゃないですか。年齢とか環境とか…」

 

ヒロ「あぁそうですね…れなさんのお歳も職業も知らないですけど、たとえば学生から勤め人になったらツイートも変わってくるでしょうし。」

 

れな「一人の人間でツイートしてたとしても時の流れや経験にしたがって雰囲気や属性が変わっていくわけだから、ましてやりょしばきアカウントの性質が流動的なのは当然だと思ってます。私が突然マッチョなツイートし始めたとしても全然問題ないって思ってるし。」

 

ヒロ「もちろん、こうあるべきっていう縛りで窮屈になることは全く良いとは思わないですけど、結果として自然とできあがってくる『りょしばき性』みたいなものを楽しんでいるっていうのは俺はあるかなぁ。枠にハマっていくみたいな不自由なものというよりは、これまで積みあがったものを面白がるっていう前向きな意味で。」

 

れな「そうですか。ヒロさんはりょしばき以外にアカウント持っているんですか?もし答えたくなかったら答えなくてもいいですけど。」

 

ヒロ「俺はりょしばきだけですね。」

 

れな「じゃあそれも情熱の注ぎ方として違いを生んでるかも。私にとってはりょしばきは裏垢のひとつって感じなので。片手間でやってるっていうと言いすぎなんですけど、いい意味で肩の力抜けてるのかなって。さっき言ってた『りょしばき性』みたいなのもほとんど意識しないし。」

 

ヒロ「『りょしばき性』を意識しない人も混ざっているということ自体が『りょしばき性』ってことでもあるんですけどね。」

 

れな「それは厳密にいえばそうなんでしょうけど、実態としてほぼヒロさんのツイートなんだとしたら、それは『ヒロさん性プラスアルファ』くらいの感じかもしれないですよね。それがツイートの8割なのか6割なのかとか、全然わからないですけど。」

 

ヒロ「いやいやいや…それはないですよ!割合はともかく、俺がりょしばきでやっているツイートは全然俺の素ではないですからね。一人称だって、りょしばきではできるだけ『僕』を使ってますけど、実際には『俺』ですし。」

 

れな「あ、たしかに。じゃ、ヒロさんとしては、りょしばきを演じてるみたいな感覚なんですか?ある種のなりきりアカウントみたいな。」

 

ヒロ「演じてる、か…?いや演じてるっていう感覚なのかなぁ、でもそれに近い感じはあるのかも、素じゃないって意味では。りょしばきという皮を被って遊んでるみたいな感じですかね。」

 

れな「赤い怪獣の着ぐるみw」

 

ヒロ「そうですね。怪獣の皮ですねw」

 

れな「実際ヒロさんはエロいことばっかり考えているんですか?」

 

ヒロ「性欲は普通にありますけど、別に一日中『あーおっぱい揉みてー』って思ってるわけじゃないですよ?日常の中で「あ、コレりょしばきのツイートになるな」って思うことが、なにげない事を極端に性欲に振り切った視点から解釈したものだったりとか、そういう事ですね。」

 

れな「最初は日常ツイートみたいな感じだったんですよね?」

 

ヒロ「たぶんそうだと思います。そういう意味では初期は素に近いのかも。他の人と一緒にやっていくうちに自然と『りょしばきだったらこう言いそう』ってのができあがってきました。」

 

れな「私は素っぽいツイートってのはほとんどりょしばきではしてないです。ツイートも全部嘘ですし。」

 

ヒロ「まあそうでしょうね…。中の人がみんな素でツイートし始めたらカオスでしょうね。」

 

れな「私のツイートに関しては、年齢がよくわかんない感じにしたいってのはあります。ヒロさんとかはたぶん普通にだいたいの年齢をがっつり表現してしまっているように思いますけど。」

 

ヒロ「元ネタがある話とか、話題の内容で世代が決まってきちゃうじゃないですか。たとえば聖闘士星矢っていう昔流行った漫画のことをツイートしたら世代がばれちゃうわけですけど、世代がバレないように聖闘士星矢のツイートを我慢するっていうのは嫌なんですよ。だから読み手には世代は伝わっちゃっていると思いますね。」

 

れな「リアルな体験としてバックグラウンドを見せる必要があるならそれでいいんだと思いますよ。私のツイートの場合、基本嘘だし、読んでいる人も嘘だと気づいているはずなんで、世代を隠すことが我慢に繋がるみたいな状況はあまりありません。」

 

ヒロ「これから赤い怪獣はどうなっていくんでしょうね。船長も航海士もいない船みたいなものだから…」

 

れな「漂流船…。いや、でもヒロさんが船長で、事務局が航海士みたいなものじゃないですか?」

 

ヒロ「いや俺が船長はないですよ。甲板の上で一番目立ってる変なヤツではあるかもしれません。あいつの声いつも聞こえるよなみたいな。あと事務局全然ナビゲートしてくれないじゃないですか。」

 

れな「完全なる放牧ですよね。ガイドラインはあるけど。」

 

ヒロ「なんかある日突然事務局がアカウント消したりとかありえますよね。俺たちに事前通報もなく。それで連絡も取れなくなって。」

 

れな「そしたら別の裏垢で同じようなことやると思います。」

 

ヒロ「そしたら二人で第二のりょしばきアカウント勝手にやったりとか。」

 

れな「いやー…もういいでしょう。終わったら終わったで。」

 

ヒロ「まあそうですね。でも終わったとしても、誰かの心の中に『あの時は赤い怪獣がいて、ツイート読むのが楽しかった』っていう記憶が残ったら、それだけですごく嬉しいと思います。」

 

れな「そうなったらありがたいですね。」

 

ヒロ「それじゃ今日はありがとうございました!声だけですけど、れなさんとお話できて楽しかったです。」

 

れな「いえ、こちらこそありがとうございました。たぶん中の人同士はあまりお互いの事を知らない方がいいんだとは思うんですけど、でもいろいろ興味深かったです。引き続きお世話になりますが宜しくお願いします。」

 

ヒロ「こちらこそ宜しくお願いします!御迷惑をおかけしないようにやっていきますね。適当に。」

 

れな「はい。適当にやりましょう。」

 

(おわり)

妄想・朝の連続テレビ小説「当たり屋稼業ユイ」

あらすじ


唯(杉咲花)は免許を取得した翌日のドライブで杜絵(池田エライザ)をはねてしまう。弁護士で友人の慶太(吉沢亮)から人身事故に強い弁護士として紹介された瑞彦(安田章大)は杜絵を当たり屋だと見抜く。


唯は楽しいドライブを台無しにされた怒りで杜絵を執拗につけ回すが、杜絵の当たり屋活動を目の当たりするうち、次第に杜絵の鮮やかな当たり身に魅了されている自分に気づく。


そのおかしな様子を心配する慶太をうまくあしらいつつ過ごす唯は、ある日、男性歩行者の人身事故を目撃する。轢かれた空人(眞栄田郷敦)と救急車に同乗した唯に対し、空人は自分が駆け出しの当たり屋であることをほのめかす。救急隊員が身元を確認する際に空人の名前や連絡先を入手した唯は、杜絵を付け回しつつ空人の入院する病院に通う奇妙な日々を送り始める。


そんな不審な生活を送る唯を心配した母親の富香(初音映莉子)は、交通事故で亡くなった唯の父・晃司(柳原哲也)のことを思い出して交通安全を優先して生きていってほしいと懇願し、晃司の形見である千切れた交通安全御守を手渡す。


母の言葉に、当たり屋への執着を捨てようと決意した矢先、杜絵が二人きりで会いたいと言っていると瑞彦から連絡が入る。てっきり示談の話かと思いきや、それは当たり屋集団「BUMP」への誘いだった。富香の言葉を思い出し入団を断固拒否した唯だったが、後日退院した空人から食事に誘われ、当たり屋への憧れを聞かされるうち、当たり屋への興味を捨て切ることが出来なくなり、ついに「BUMP」への入団を杜絵に告げる。


数日後、杜絵の手引きで接触した「BUMP」のメンバーである寛史(永井裕一郎)、公美子(松尾れい子)、嗣久(江原正士)は、それぞれ高い当たり身技術、当たり場の見極め能力、関連する法律の知識を有していたが、3人ともドライブレコーダーの普及や車両の事故回避性能の向上で当たり屋稼業がやりづらくなっているとして当たり屋から足を洗おうかと考えていた。


一方、杜絵は当たり屋を単なる金稼ぎの手段に留まらず文化技術と捉えており、優れた当たりの技術を継承していかなくてはならないと考えていた。そして、唯ならばその考えをわかってくれると信じていると熱弁した。唯は当たり屋修行に没頭しつつも、それを隠して空人との交際を深めていく。


杜絵の指導によりめきめきと当たりを習熟していく唯に当たり屋としての才能を感じた杜絵は、伝説的な当たり屋でありながら自分の幼い娘を当たらせるやり方が一部のメンバーの反発に遭い「BUMP」を去った聡美(城之内早苗)に会うよう唯に示唆する。


ところが聡美は、当たり屋稼業が原因で娘の美夜(大友花恋)と確執を抱えており取り付く島もなかった。当たりの先に親子の和解があると信じた唯は、策を講じて聡美と美夜を同じ場所に呼び出し、渾身の当たり身を見せた。ところが、唯をはねた車は停車前にさらに別の女性をはねた。はねられた女性・柚姫(のん)は当たり屋をはねた車に当たるプロだった。柚姫の登場で和解どころではなくなった聡美・美夜親子は再び喧嘩別れしてしまう。


他の当たり屋がいなくては自身の存在意義がなくなってしまう柚姫は、唯の当たり屋修行を応援するためとの名目で、唯に中国研修を勧める。交通事情がまるで異なる中国での当たり屋活動は修行中の唯には危険すぎると反対する杜絵だったが、唯は運命的なものを感じ、富香や空人に語学留学と偽って中国に渡航する。


柚姫に紹介された現地で当たり屋修行中のリュウ野村周平)と合流した唯だったが、唯に惚れたリュウの猛烈なアプローチに辟易し、いったん帰国する。


そこで唯は、美夜が過去を立ちきるため車の前に飛び出して事故に遭い、弁護人になった慶太とただならぬ仲になっていることを知った。慶太には恋愛感情を抱いていなかった唯だったがなぜか胸のざわつきが抑えられず、空人との再会も素直に喜べない。自分の気持ちがわからなくなった唯は、空人とも慶太とも距離を置き、杜絵とともに当たりの修道に邁進する。


そうして、久しぶりに会った空人の未熟な当たり身を見て、すでに自分と空人の当たり屋技術には歴然とした差できてしまっている事を痛感する。空人より遥かに優れた当たり屋である事を隠して空人と交際し続けるのは裏切りだと感じた唯は、空人と別れ、中国のリュウのもとへ戻る事を決意する。


しかし、出発を2週間後に控えたある日、「BUMP」メンバーの寛史が当たりに失敗して死亡したとの報せが舞い込む。葬式には寛史とは軋轢がなかった聡美も参列していた。そして、聡美がなにげなく口にした昔話は、唯に驚愕の事実を知らせることとなった。それは、聡美が「BUMP」に入った時に活動していた男性の当たり屋が寛史と同じように当たりに失敗して亡くなり、千切れた交通安全御守のカケラをその男性の親友・哲(チバユウスケ)が持っているという話だった。


自分の父親も当たり屋だったのではないかという考えに取り憑かれた唯は、千切れた御守を確認して真実を確かめるため哲を探し出そうとするが、聡美も哲の行方を知らないという。唯は嗣久から「BUMP」の古いメンバーの多くが住んでいるとされる地域を教わり、中国行きを取りやめて、車に当たりながら西への旅を始める。


そこへ、唯との別れに納得していない空人が突然唯の前に姿を現したため、唯は車に当たる様子を空人に見られてしまう。空人に問い詰められ説明に窮した唯はその場を逃げ出し、泣きながら車に当たりつつ瑞彦を呼び出す。瑞彦は唯を一目見て当たり屋になった事を見抜く。杜絵との間に民事上の争いがなくなったのなら自分は用済みだと立ち去ろうとする瑞彦に、唯は哲探しへの手伝いを懇願する。


その頃、慶太は、母親が憎いが、同時に母親との唯一の繋がりが当たり屋稼業であったため、愛を欲するあまり衝動的に車に当たりにいってしまう発作に苦しむ美夜を救おうともがいていた。自然と当たり屋を激しく憎むようになった慶太は、唯が当たり屋になったと瑞彦から知らされ、唯に電話できつい言葉を浴びせる。慶太も空人も、当たり屋としてのありのままの自分を愛してくれないと絶望した唯は、当たり屋として死んだ父の遺志を受け継いで杜絵とともに当たり屋稼業を極めていくこと、そして当たり屋としての自分を受け入れてくれるリュウと仲直りをすることを決める。


哲探しの手がかりが見つからず手詰まりのまま中国に向かった唯だったが、リュウはすでに別の女当たり屋・梨花(横田真悠)と男女の仲になっていた。怒った唯は梨花に当たり屋勝負を挑む。当たりの技術は明らかに唯が上であったが、中国人の独特の運転感覚に対する勘が鈍っていたため、大怪我をしてしまう。現地の病院で療養していると、リュウから柚姫経由で連絡を受け日本から駆けつけた杜絵が現れ、再会を喜ぶととともに、瑞彦から哲を見つけ出したという伝言を言付かっていることを知らせる。 


療養・リハビリを経て退院した唯は、和解した梨花リュウからの協力も得て当たりの技術をより高次元なものにしていく。もはや中国にある全ての車種に当たったと悟った唯は、帰国して哲の情報をもらうために瑞彦のもとへと向かった。


しかし、瑞彦の事務所には慶太が来ており、当たり屋稼業から足を洗うように説得される。唯は、美夜には悲しい当たり屋人生を抜け出して真っ当な日々を歩んでほしいしそのための手伝いをできるのは慶太だけだと思うと述べた上で、自分は天性の当たり屋であり当たりで自分の生き様を示していく生き方を認めてほしいと話す。唯の話を聞いた慶太は、当たり屋になる前の唯が好きだったと言い捨ててその場を去り、瑞彦は哲の情報を唯に伝える。唯は慶太の捨て台詞に動揺しつつも哲のもとへ向かう。


哲はかつての親友・晃司の娘が突然訪ねてきたことに驚きつつも、千切れた御守の片割れを見て事情を理解し、やがて晃司との当たり屋としての思い出を懐かしく語り始める。そして、当たる時に「これで死んだらあの人に会えないな」と感じる時が誰しもあるはずで、その「あの人」こそが大切にすべき人なのだと話す。唯は運命に導かれるように自分も父と同じ道に無意識に辿り着いていた事が不思議でならないと話すと、哲は意外な返事をする。当たり屋稼業は極めるべき道ではなくただの危険行為であると、哲は言うのだった。だからこそ、人は大切な何かを簡単に失ってしまうということを実感し続けることに役立つのだと。


哲から千切れた御守りの片割れを譲り受け、二つに千切れた御守が再び合わさった時、唯が一番初めに会いたいと思ったのは母・富香だった。唯から修復された御守りを手渡された富香は全てを悟り唯を抱きしめた。そして、車に当たりながら大切なものを自分に問いかけ、唯は気づいた。自分は空人に会いにいきながら車に当たっているのだと。そして、空人との待ち合わせ場所に着くと、車に不格好にはねられる空人と、その車に当たりにいく柚姫の姿が見えるのだった。


星野源のあの曲はドラえもん主題歌にふさわしくない

ドラえもん のび太の宝島」の主題歌だった星野源の「ドラえもん」がテレビで毎週放送されるアニメ「ドラえもん」の主題歌になったのは2019年10月。だからこの事について述べるのはだいぶ機を逸しているし、恐らくここで述べることは多くの人がすでに述べている可能性が高い。だが、このモヤモヤは一度整理して吐き出してしまった方がいいと考え記事にすることにした。

 

私の主張はこうだ。

星野源の「ドラえもん」はアニメ「ドラえもん」主題歌にふさわしくない』

 

1 「ドラえもん」主題歌に欠かせない要素が決定的に欠落している

ドラえもんの主題歌は、ドラえもんの世界観と同じ高さの目線で描かれるべきである。

 

その事を示すために、まずは、典型的な「ドラえもん」主題歌とは何かと考えてみたい。「ドラえもん」の主題歌として10年単位で継続して採用された曲は過去に2曲しかない。一つは、四半世紀にわたりアニメのオープニング曲だった「ドラえもん」、もう一つは約11年間オープニングを務めた「夢をかなえてドラえもん」である。

 

この2曲の歌詞を読めば、これらが極めて似通った角度で書かれていることがわかるだろう。前者の歌詞の「あんなこといいな できたらいいな」というフレーズは、日常の中で感じる夢や願望を持った少年少女の視点から、言い方を変えればのび太的な視点から発せられた言葉である。そして、その夢や願望を叶えてくれる素敵な友達として「とってもだいすき ドラえもん」とドラえもんに対する親愛の情を露わにする内容となっている。後者も同様に「心の中いつもいつも描いてる」という願望を持つ子どもの視点から描かれた、そのポケットで夢を叶えてくれるドラえもんに呼びかけるような構成となっている。

 

 また、1979-1981年にオープニング曲として使われただけでなく、1995-2002年にはエンディングに採用され、この文で話題にしている星野源の「ドラえもん」にすら旋律が引用されているという意味で、長年にわたり「ドラえもん」主題歌としてのインパクトと地位を維持している「ぼくドラえもん」にも言及する必要があるだろう。この曲は、タイトルが示すとおり、ドラえもん自身の視点から述べられた歌詞となっている。

 

このように、ドラえもんの世界観と同じ高さの目線、言い換えればドラえもんのび太の目線から主観的に歌われる曲こそが、「ドラえもん」の正当な主題歌として人気や評価を得てきたという事がわかる。

 

翻って星野源の「ドラえもん」の歌詞は、読めばすぐにわかるが、これは子供の頃から漫画/アニメ「ドラえもん」に慣れ親しんできたファン(大人)の視点、言い換えれば星野源の視点から書かれており、ドラえもんを「自分の夢を叶えてくれる友達」ではなく「好きな漫画/アニメ作品」として俯瞰する歌詞になっている。そして、それがこの曲を、先述した典型的ドラえもん主題歌たちとは一線を画した性質たらしめている。

 

そのような曲を発表すること自体は悪いことではないし、映画の主題歌にしてもよいだろう。しかし、「僕は子供の頃からドラえもんという作品が大好きなんですよね〜」というおじさんの自分語りを、テレビアニメ「ドラえもん」を毎週楽しみにして見ている子どもたちに主題歌として聞かせることが適切なのかについては、疑問が残る。なにより、そのような姿勢の曲を主題歌にすることについて、いつも子ども第一に考えてらした藤子・F・不二雄先生がもし御存命であられたらどのように思うだろうかと思わずにはいられない。

 

2 もともと大長編主題歌として作った曲をTV放送主題歌に流用するな

 

もし私がなんの事情も知らずにいきなり星野源の「ドラえもん」の歌詞を渡されて「これがテレビアニメの主題歌になります」と言われたら「星野源ドラえもん読んだことあんのか?」と思っていただろう。

 

なぜなら、星野源の「ドラえもん」の歌詞には「機械だって涙を流して震えながら勇気を叫ぶだろう」とか「何者でもなくても世界を救おう」といった、大長編ならまだわかるが、平常運転のドラえもんとは明らかにテイストが異なる内容が含まれているからである。

 

星野源大長編ドラえもんを意識してこの曲を作ったのだから、勇気を叫んだり世界を救ったりするのも無理はない。だが、のび太が悪知恵で私利私欲を満たそうと企んだり、そのせいで世界を滅ぼしそうになる内容がメインであるテレビアニメ「ドラえもん」主題歌にそれを採用していいはずがない。

 

この曲がテレビアニメ主題歌として流用されたことは、星野源が「大長編でしかドラえもんを知らない人」に見えるという効果しか生んでいない。アニメへの逆輸入という悪手を取ったスタッフの罪が一番、それを受け入れた星野源の罪が二番目に重いが、ひょっとすると星野源は本当に「ドラえもん」の事をあまり知らないのでないかとすら思える要素もあるが、それは後述する。

 

3 子供を置いてけぼりにする自己満足の“ファンアート”

大長編向けに作ったものという事情を加味したとしても、やはり星野源の曲は、オマージュの仕方が“大人の手口”っぽくて、大人向け商売の臭いがプンプンして興ざめなのである。

 

藤子・F・不二雄ファンならピンとくる「少しだけ不思議」と入れてみたり、「ぼくドラえもん」の冒頭のメロディーを間奏に引用したりするという小ネタくらいなら、やり方が大人の発想過ぎて嫌だなとは思いつつも、子供にとってもそういう元ネタ探しは楽しいかもなとギリギリ思える。

 

しかし、「ドラえもん」という作品の周辺的なネタをパロディ的に仕込むのと、ドラえもんの内部である主要登場キャラを「僕らの知ってる作品に出てくるあの有名キャラクター達に間接的に触れてみました、わかりますよね」といわんばかりに捻って入れてくるのでは全くわけが違う。

 

星野源の「ドラえもん」はスタンスが主題歌ではなくファンアートなのである。どこの世界に本体のアニメを「主題」ではなく「元ネタ」にした主題歌があるだろうか。あるとすれば、それが成立するくらいの捻くれたセルフパロディ的スタンスのアニメである。そのような方法を意図的に許容することは、「小学●年生」という学年誌に「ドラえもん」を掲載していたF先生のスタンスに反するとしか思えない。

 

ここまで読んでおそらく「それのどこがいけないの?」と思った方もいるだろう。星野源の「ドラえもん」がテレビアニメ「ドラえもん」の主題歌になるということは、例えばアニメ「ドラゴンボール」の主題歌の歌詞が「野菜や冷房の名前を持つ戦士 光のオーラをぶつけ合ってバトルする 当時の漫画のバトル表現が全部それになってしまった〜♪」のようになっているようなものなのである。そういうのはドラゴンボールを好きな大人たちがパロディ的にやる事であって、公式側が子供達に向けて公然とやることではない。

 

4 「君をつくるよ」は完全アウト

星野源の「ドラえもん」に「いつか時が流れて必ず辿り着くから君に会えるよ」という歌詞があり、そこからさらに後の方で「いつか時が流れて必ず辿り着くから君をつくるよ」という歌詞が出てくる。私はこれをかなり深刻な問題として捉えている。

 

これは、既に述べた「星野源ドラえもんをちゃんと読んでいないのではないか」「あまりドラえもんの事を知らないのではないか」という疑念と、ファンアートのようなスタンスという私の評価の両方が交わる点である。

 

のび太ドラえもんは一緒に暮らしている設定であるにもかかわらず「いつか」と書いてあるということは、「あー、やはり星野源は作品を俯瞰したところから歌詞を書いているんだな」「将来実際にドラえもんが発明される日を待つ、作品の世界観の外側にいる人視点の歌詞なんだな」と思ってしまう。だが、「君に会えるよ」なら「いつか発明されるだろう」で済むが「君を作るよ」になると意味は変わり、一人称はドラえもんの製作者自身となるところまで踏み込んでいる。そしてこのフレーズは、例のニセ最終回の同人漫画騒動を思い出させる。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドラえもん最終話同人誌問題

この著作権侵害をめぐる問題について何も知らないナイーブな人の中には「ドラえもんの最終回って、ドラえもんが壊れて、のび太が科学者になってドラえもんを発明するんでしょ〜?最後のセリフがメッチャ泣けるわ〜」くらいに思っているかもしれない。しかし実際、F先生が今まで提示したこともない勝手な設定が一部本物であるかのように流布してあまつさえそれでお金を儲けている人がいるということはかなり深刻な問題なのである。

 

「君に会えるよ」までであれば「ドラえもんで描かれたような未来はきっとくる」という一般化で理解可能だが、「君を作るよ」まで具体化されると、否応なしにこの最終話同人問題が連想されて、「もしかしたら星野源のび太が科学者になってドラえもんを発明するというインターネットで広まったデマを信じ込んでるんじゃないか?」という疑念すら湧いてしまうのである。

 

5 まとめ

以上のことから、私は、星野源の「ドラえもん」はテレビアニメ「ドラえもん」の主題歌にふさわしくないと考える。ドラえもんの世界観を俯瞰せず、ドラえもんの作品の内部に込められた視点からの歌詞で、大人向け商売のテイストを出しすぎないようにした作品が、星野ドラに取って代わる日を楽しみに待ちたい。

 

ゴンゲ #10

(ゴンゲ #9)

 

僕は素早く衣服を整え、次にジュネに服を着せようとしたが、ジュネの上半身が整う前に、鍵のかかっていない扉は開かれてしまった。僕はジュネの寝床だった布をとりあえずジュネに被せながら、男の懐中電灯から発せられる眩しい光に目を慣らそうとした。

 

馬の体当たりと鳴き声はまだ続いており、男はその様子にぎょっとしている様子であった。本来であれば僕とジュネの存在の方にぎょっとする場面であるところ、注意を分散させることができたのは結果的に好都合だった。まずは自分たちが怪しい者ではないと伝え、小屋に侵入したのはやむにやまれぬ人道的な理由だったと納得してもらわねばならない。

 

「すみません・・・旅の者ですが、泊まるところがどうしても見つからず、勝手に使わせてもらっていました・・・」できるだけ申し訳なさそうに声を絞り出すように言ってみた。

「あぁ、そう・・・」男が小屋に数歩入ってくると、後ろに男が何人か続いているのがわかった。鳥のバサバサっという羽ばたきと小さな悲鳴が小屋の外で聞こえた。

「そこにいるのは・・・」先頭の男が、布の下でもぞもぞと着替えるジュネに気を取られている。それに呼応するように、布を自ら剥いだジュネは上品な微笑みを男たちに投げかけた。

「こんなとこじゃ寝らんないっしょ・・・」「ね。」二番目に小屋に入ってきた男が一番目の男と頷き合う。「うちに来たら?」ジュネは差し出された男の手を支えにして立ち上がった。

 

男達とともに二人で小屋の外に出て驚いた。小屋の周りにはネズミやリスのような小動物がちょこまかと動き回っており、空はたくさんの鳥が旋回したり屋根に舞い降りたりしていた。ジュネが落ち着きを取り戻したせいか、先ほどの馬のように小屋にぶつかってくるような動物はおらず、その多くがすでに小屋を遠巻きにし始めていた。

 

先ほどはよくわからなかったが、男たちは全部で5人いた。最初に僕たちと会話した先頭の二人はジュネを挟んで、しきりにジュネに話しかけており、僕はその後ろについて歩く。ほかの三人は僕に話しかけるでもなく最後尾で雑談しながら歩いている。

 

男達が案内してくれた家は、この集落でも比較的大きな建物だった。家族のぬくもりや生活感が感じられないが、それでいて人が住む以外に使われようがなさそうな、不思議な雰囲気をまとった家だった。

 

男達はジュネにここで朝まで休めばよいと提案するものの、一向にジュネを寝させる気配がない。「そっか~!じゃああんまりこうやって大勢で泊まり込みででかけたりとかはなかった感じね~?」「えぇ・・・友達がまともにできたことがなくて」「マジで?そんなに可愛いのに!」絶え間なくジュネに話しかけるその口調は軽妙で明るく、それが僕の不快感を加速的に増幅させていた。“早く寝させてほしい”と直言しようかとも思ったが、勝手に小屋に寝ていた見知らぬ不審者を親切心で家に泊めてくれている人達を邪魔者扱いするわけにもいかず、ひたすらに苛立ちを募らせるしかなかった。

 

ふいに、部屋の扉が開いた。「来たよー!」三人の若い女が入ってきた。手にはお酒やソフトドリンクのボトルを持っている。「あー来た来た!おつかれ!座って座って!」男達が女を招き入れる。僕はしばらく待っていたが、男達は僕ら二人をその女達に紹介するそぶりを全く見せない。そもそも男達すら僕に全く話しかけてこない上、そいつらが後から来た女たちと親しげに会話を弾ませるものだから、僕は極めて強い居心地の悪さを感じて、ムズムズとイライラを高まらせていた。

 

だが、ふと急に冷静になった。こいつらは変だ。

 

普通、得体の知れない侵入者をこんなに簡単に家に上げたりするだろうか。不審に思うなら、信頼できる奴かどうか確かめるべくジュネだけでなく僕の素性をいろいろきいてくるはずだ。逆にもし信頼しているなら、もう少し僕に温かく接するのではないか。改めて部屋全体を眺めてみる。小屋に最初に入ってきた男2人は、日焼けしたがっしりタイプと、眼鏡をかけた細身の清潔感があるタイプで、この2人がテンポよいキャッチボールでジュネとの話に花を咲かせている。残りの3人は、無精髭の男・顔色の悪い傷んだ茶髪の男・目がクリクリの童顔の男で、それぞれ小太りの女・ソフトボール部員のようなショートヘアの女・目が離れている爬虫類顔の女と酒を飲み交わしながらおしゃべりで盛り上がっている。不自然だ。会話の内容からしても、この男達と女達がこの集落で長いこと友人関係にあったという感じではなく、むしろさっきナンパしてきたかのような印象さえ受ける。実は僕らは相当面倒なことに巻き込まれたのかもしれない。

 

全ての話の輪から締め出されている状態から、僕は意を決して声を発した。「あのーすみません!ジュネも長旅で疲れてますので、そろそろ休ませてもらおうかと思いますが・・・」僕の声に、部屋にいる全員がおしゃべりをぴしゃりとやめ、一斉に僕に視線を突き刺してきた。僕は気後れした。

 

だが、その沈黙は一瞬だけだった。「あ、上の4号室が空いてっから、寝てていいよ。」眼鏡の男が早口で返答するやいなや、他の男女はおしゃべりに戻っていったのである。

 

冗談じゃない。こんなところにジュネを置いて一人で床に着けるわけがない。ジュネを助けなければ。

 

そう思った瞬間ジュネが「なんか気持ち悪い・・・」と低い声を漏らした。僕が心配して声をかけるより早く日焼け男と眼鏡男が大げさなほど心配するリアクションを発し、背中をさすったりおでこに手を当てるなどここぞとばかりにボディタッチをしている。僕は「ジュネさん、こっちへ」とジュネを促したが、彼女は辛そうな表情でこちらを一瞥しただけで、その場にうずくまってしまった。ジュネの足にぶつかって倒れた空の紙コップを眼鏡男が戻しながら「休んだほうがいいね・・・」と言った。日焼け男は頷くと、自然な動きでジュネをお姫様抱っこし、部屋を出て行った。慌てて追いかけようと立ち上がり、すぐ後ろをついていくと眼鏡男がまたもやる気のないトーンで「大丈夫、俺らで介抱するんで。上で休んでて。」やはりこいつらはおかしい。ジュネとセットで迷い込んできた僕にそのような事を言うということは、明らかにこいつらはジュネをターゲットにしている。

 

こいつらは、奴の一味ではないか。親切なふりをしてまだ幼いジュネをたぶらかし、性欲の糧にしようだなんて、絶対に許せない。

 

僕は正義感とも怒りともつかぬ感情に身を焦がされて、ジュネを軽々と運ぶ日焼け男の肩に手をかけた。だが、僕の手はなぜか眼鏡男が振り上げた下腕にぶつかって止められた。一瞬頭にクエスチョンマークが浮かんだが、疑問を解消したい好奇心など吹っ飛ぶほど、僕の血は煮えたぎっていた。眼鏡男を払いのけて、日焼け男の肩に手をかけて振り向かせ、ジュネを取り返す。そのように動いたつもりだった。しかし、僕の手は眼鏡男に引っ張られ、僕は気が付いたら天井を見ながら腰と腹の鈍痛に耐えていた。日焼け男が不自然な角度で視界を横切った。おそらく僕は日焼け男の蹴りを食らったらしい。しかし、倒れこんだにしては安定感がない。「ん?!」僕は天地の感覚を激しくかき乱されて、最後に猛烈な痛みが背中を襲った。視界が暗くなった。気を失ったわけでも視力を失ったわけでもない。僕はいつの間にか屋外に倒れていたのだ。先ほどの天地グルグルは、男達に担ぎ出されて、最後に放り投げられたのだろう。持ち上げたのは眼鏡男か、あるいは他の3人の誰かかもしれない。なんとか起き上がり、周りを見回してジュネを探した。僕は自分が玄関の扉のすぐ外にいることを理解した。そして、ジュネを抱えた日焼け男と眼鏡男が、同じ敷地内にある別棟に入っていったのを見た。先ほどまで心配そうな表情をしていたのに今や楽し気に談笑している表情が見えた。しかし二人の話し声も、二人が別棟の扉を開け閉めする音も全く聞こえない。どこからか聞こえてくる不思議な低音でかきけされているからだ。今まで聞いたことのない音だ。

 

音は次第に大きくなっていく。そして僕は気づいた。僕が聞いている音は、機械的で規則的な低音と、生き物が鳴らす不規則な物音が混ざっている。

 

機械音の方は、聞いたことがある音・・・ヘリコプターの音だ。暗くてわからないが次第に自分の周囲も空気が巻き上げられているのが分かった。上空にいるらしい。しかし、空気の流れはそれだけではない。動物が蠢いている気配がする。ジュネが性的な場面に遭遇しているに違いない。僕は別棟に向かって走り出そうとしたが、突如上空から眩しい光が地面に突き刺さるように照らしてきて、僕は目が眩んで一瞬足を止めてしまった。別棟に群がっていくイノシシやキツネたちの姿を光があらわにした。

 

ヘリは敷地の隣にある空き地に着陸しようとしているようだ。奴の一味だろうか。先ほどの二人の男とはまともに取っ組み合いの喧嘩すらできずに終わってしまった。ここでさらに加勢されては、ジュネは勿論僕自身も危ないかもしれない。僕は改めて別棟に向かおうとしたが、今度は後ろから全く予想していなかった言葉が聞えてきた。

 

「たすけて・・・」

 

振り向くと、さっき部屋にいた爬虫類顔の女が下着姿で泣きそうな顔で震えている。僕は驚きのあまり目を見開きながら「え、なに?!」とやや場違いな言葉を発してしまった。

 

爬虫類顔の女は喉を震わせながら細切れに途切れる息にこの言葉を乗せた。

「うごけない・・・」

よく見ると女は片脚を浮かせており、本来であれば後ろに倒れてしまうはずの体重の寄せ方だが、宙づり人形のようにそのまま震えている。

一体どうなっているんだ。

先ほどまでいたはずの本棟を玄関から覗き込むと、かすかに人が歩いたような物音がした。

ジュネも気になるが、別棟に動物が群がっていることから、おそらくジュネが受け身ではなく主体的に性欲を発揮していることが推測される。一方、本棟で起きているこの異様かつ不可解な状況を捨て置けない気がする。僕はいったん本棟の中を確認することにした。

 

玄関を入って少し入ったところに人が二人倒れている。一人は先ほど僕と同じ部屋にいた男の一人、童顔男だった。全裸で気絶したように転がっている。もう一人は下着姿の女で、汗で乱れが髪が張り付いていて顔がよく見えないが、先ほど部屋にいた女のいずれでもないように見える。恐る恐る近づいてみると、男の体は少し赤みを帯びており、陰茎は勃起した状態だった。そこまで確認した瞬間、倒れていた見知らぬ女の体が突然ゴロゴロと奥に向かって転がっていき、僕はひぇっという小さな悲鳴を上げた。女の体はぐにゃぐにゃと揺れ始め、肌の色や質感が古い映像のように粗く乱れていった。その異様な光景に気を取られていると、バタンと人が倒れる音と女性の短い悲鳴が玄関の外から聞こえた。振り向くと、今度は爬虫類顔の女が倒れていた。

 

僕は爬虫類顔の女に駆け寄り、様子を確認した。息が上がっており、少し震えているが、先ほどのような筋肉の緊張はなく、むしろ全身が弛緩している。「大丈夫ですか?」声をかけると、爬虫類顔の女は弱弱しく頷いた。僕は彼女の上体を起こして壁に寄りかからせ安定させると、先ほどゴロゴロと転がった女の様子を見に建物の中に戻った。

 

僕は目を疑った。

そこには、さっきまで倒れていた童顔男はいなかった。部屋の隅に転がっていった下着姿の女もおらず、代わりに淡いグレーのインナーをまとった女性が立っていた。

「ゴンゲさん・・・?!」

呆気に取られている僕に面倒臭そうな視線を投げかけながら、彼女はこう言った。

「悪いけど、はずしとくれよ・・・」

そして力なさげに視線を奥の部屋に投げかけて、言った。

「あと二人いるんだろ・・・?」

      

 (続く)