Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ゴンゲ #13

(ゴンゲ #12)

 

僕はゴンゲの言わんとしていることに全くピンと来ていなかったため、ゆう子とジュネがゴンゲに同調する様子がないことに少し安心した。

「えー・・・性欲の色ですか・・・うーん・・・」

ジュネは、ゴンゲの言葉から染み出る意味合いと自身が受けた印象が交じり合う場所を必死に手探りで探し当てようとしているようだった。

「そうかもね、どうだろう、わかんない」

対照的に、ゆう子は、そのような努力を無駄と思ったか、あるいは単に面倒くさく感じたかのように、情感の欠如した言葉で返した。

 

僕は、2人から全く張り合いのない反応しか得られなかったことにゴンゲが落胆するのではと少し心配したが、当のゴンゲは最初から回答など聞く気がなかったかのようにゆっくりと席を立ってヘリの後部に移動した。そこには狭いながらギリギリ横になれる小型ベッドがあるようで、ゴンゲはそこに横になり毛布の中に潜り込みながら言った。

「あたいは寝るヨ。着くまで起こさないどくれ。」

 

その時、操縦席側から出し抜けに男が現れた。ぎょっとして気後れする僕に一瞥もくれずに男はゴンゲのもとへ足早に歩み寄り、ゴンゲの毛布を驚くほど丁寧に、そしてゆっくりと整えた。

 

「あの、あなたは・・・」

遠慮がちにたずねた僕に、全く感情を見せない声で男は言った。

「ゴンゲさんを心からお慕い申し上げる者です。」

想定していた種類の回答ではなかったが、この男がヘリの操縦者であることは容易に窺い知れたため、僕は目的地及び現地でヘリを駐機できそうな場所について相手の理解度を確認しながら説明し、自分たちの輸送をへりくだってお願いした。

男は、それが元から自分の仕事であるといったふうに、ごく自然に承諾し、淡々と操縦を開始した。

 

離陸してしばらくは、やや興奮気味に話していたジュネも、ふと話が途切れてしばらく沈黙が流れると、あっという間に寝息を立て始めた。

さっきまであんなにしゃべっていたのに、可笑しいですねと声をかけようかと、ゆう子の顔に視線を向けたところ、ジュネが話している間ほぼ一言も発さなかったわりに、驚くほどはっきりとした表情で、眠そうな気配など微塵も感じさせない様子であったことに面食らい、思わず僕は言うはずだった軽口をためらった。

 

ゆう子は、顔を窓の外に向け、じっと景色を見つめていた。それは、景色そのものを見ているようでもあり、あるいは深く思索に沈み過ぎてそう見えるだけのようにも思えた。ゆう子は僕に誘うようなそして誑かすような危険で甘い視線をいつもまとわりつかせてくるから用心ならないが、そのような艶めかしさを一切脱ぎ捨てたかのような表情をしていたからなのか、かえって僕はゆう子に対していつになく積極的になってしまっていた。

「ゆう子さん」

ジュネやゴンゲを起こさないよう、それでいてヘリの中でも聞こえるよう、必要最低限の声の大きさで話しかけた僕に、ゆう子は顔をすっとこちらに向け、お決まりの気だるさは感じさせない優しくもはっきりとした口調で返してくれた。

「なあに」

「こんなことに巻き込んですみません」

言った後で、何を今さら、と若干の恥ずかしさを覚えた。しかし、ゆう子は、それを消散させるような優しい口調で間髪を入れずに答えた。

「いいの。勝手についてきたんだから」

僕の反応を待つことなく、ゆう子はヘリの外に再び目をやった。その仕草が、ただ考え事の結果として視線が窓に向いていたのではなく、何かを見ようとして外に視線を向けていたのだと感じさせた。僕もゆう子が見つめる先を見つめてみた。星がよく見えたが、不思議と綺麗だとは感じなかった。

「どうして来てくれたんですか」

先ほど、どの口が言うのかというようないたたまれなさをゆう子がかき消してくれたことで、さらに甘えが出たようだ。ゆう子は数秒黙ったあと、軽く息を鼻から吸い込んだ。

「ゴンゲに恩返ししたくて」

意外な答えだったことで、いっそう好奇心が搔き立てられた。

「ゴンゲさんとはどれくらい一緒なんですか」

「私が子供の時からだよ」

ゆう子が僕の方に顔を向けた。その話し方と表情は、親戚のお姉さんのようでいて、少女のようでもあった。

「幼稚園のときね、机の角にあそこを擦り付けるのがやめられなくて、幼稚園じゅうの机の角が摩耗しちゃってね」

くすくす笑いの成分を声に含ませながら、懐かしそうに話すゆう子に、僕は先ほどの村での性的誘惑とは全く異なる意味で心を動かされていた。

「当然、親にも私が普通じゃないってバレちゃって、家にいづらくなったんだ・・・」

「そうだったんですか・・・」

「最初は何とか暮らしてたけど、いろいろ世間体としてありえないようなこともあったし、家を出て・・・男の家を転々としてたの」

僕は絶句してしまった。いったい何歳くらいの頃の話なのだろうか。

「なんかもうめちゃくちゃな生き方してたんだけど、初めて真剣に叱ってくれたのがゴンゲでさ」

「叱る・・・?ゴンゲさんが・・・?」

僕は思わず、親身になってゆう子の相談に乗り、本気でゆう子の人生に向き合って声を荒げる熱血教師のようなゴンゲを想像してみたが、酒焼けした声でやさぐれるゴンゲしか頭に描けなかった。

「それで、ゴンゲさんを深く信頼しているんですね」

ゆう子は答えなかった。僕も、それ以上どんな言葉をかければいいかわからず、そのまま時が経った。どれほど経ったかはわからないが、ふと窓の外に目をやった時、東の空が少し明るくなっているのが見えた。

「ゴンゲさん、ヘリまで出して、どうしてここまでしてくれるんだろう・・・」

ぼんやりと思いついたことがただ口から漏れたように、僕は言葉を発していた。ゆう子に話しかけたとも、独り言とも取れるような、曖昧な音量と口調だった。しかし、ゆう子は意外なほどはっきりと僕の言葉をキャッチし、打ち返してきた。

 

「宏樹君の気を引くためじゃない?」

 

まさか。

 

(続く)

ゴンゲ #12

(ゴンゲ #11)

 

ジュネからの強引な誘いをすでに一度経験済だった僕は、その力の強さにあらためて関心はしつつも、ジュネの手に対してどちらの方向に力を加えればジュネに怪我をさせることなく引き剥がすことができるかを冷静に考え、それを実行に移すことができた。

 

「本当に性欲が強いんですね」

このフレーズも、相手への敬意を示しながら、同時に性的誘惑には乗らないという意思を伝える内容として、冷静に考え出したものであった。そして、それが功を奏しジュネの昂ぶりが急速に収まったことは、動物達が敷地内から去っていったことからも明らかであった。

 

我に返ったジュネは、お尻をぺたんと地面に着け、先ほどよりも温度の下がった吐息を漏らしながら、俯きがちに話し始めた。

「前は、エロいってことが後ろめたかったんです。すぐムラムラしちゃうし、動物が騒ぐから、普通に生きられなくて。友達もできなかったし。」

先ほどまでの乱れが嘘のように始まった身の上話の唐突さに困惑しないではなかったものの、僕の中では不思議と、それを話してもらえた嬉しさが勝っていた。

「でも、ゴンゲさんを知って、ありのままの自分を受け入れられたっていうか・・・少し生きるのが楽になって。あのバーで、私は初めて居場所を見つけたんです。」

「なるほど。それで彼女を尊敬しているんですね。」

そこまで言って、僕は怪訝な顔つきのゆう子が近づいてくることに気づいた。

 

「ジュネ、さっきの男たち、なんか変じゃなかった?」

そう言ったゆう子がすでに服を着ているのを見て、ゆう子が下着姿で別棟に行って男たちと合流してからどれくらいの時間が経過したのだろうかと一瞬思いを巡らせた。

「あ、ゆう子さん。なんか変って?」

ジュネはゆう子に男たちを横取りされたことへの怒りを完全に忘れ去っているようだった。

「なんかさ、ぽわ~んとしてなかった?幽霊みたいに・・・」

「あぁ・・・そういえばたしかに、キスしたとき唾液の味がなかったかも。あと、唇の温度もなかった気がする!」

唐突に合点がいったような顔をするジュネの横で、やはりあいつらは何かおかしいのだと確信した僕は、こうたずねた。

「ゆう子さん、やつらは今どうなってるんですか?さっき別棟で一緒でしたよね?」

「それがね、果てたら、あっという間にいなくなっちゃって。あと・・・」

ゆう子の息多めの話し方は今までどおりではあったが、僕への欲情を露わにする時のそれとは明らかに異なり、不安と訝しがりのニュアンスを明確に含んでいた。

「ハーミンドの匂いがずっとしてたんだよね・・・」

 

ゆう子のこの言葉を聞いた僕は、潜っていた水の中から顔を出した時のような、抑制されていた五感が急激に復旧するような感覚を覚えた。

 

「ハーミンドってなんですか?」ジュネがきく。無理もない。ハーミンドはあまり知られていないのだ。

「僕の故郷の村でしか採れないハーブですよ。ゆう子さん、よくご存じですね。」

「友達からハーミンドを使ったお菓子をもらったことがあるんだ。あいつら、宏樹君の村と関係があるってことかな・・・」

「ハーミンドって通常は食用なんです。でも、ヤツはハーミンドをアロマオイルにしてよく焚いていました。」

「じゃあ、宏樹さんが言っていたその“ヤツ”っていう人と、さっきの男たちは・・・」

「きっとあいつらもヤツの息がかかった一味でしょう。村の女性たちを手玉に取って、性欲の糧にしていたんだ。」

自分の眉間に憤りの念が滲むのを感じた。胸の中で黒くて粘り気のある感情が騒ぎ出しているようにも思えた。

「他にも男たちがいたはずです。探して話を聞きだしてみましょう」

男たちは5人いた。うち2人は別棟に行って、ゆう子によればそのあといなくなったとのことだが、3人は本棟に残ったはず。そのうちの1人である童顔男もどこかに行ったが、他の2人はまだいるかもしれない。

 

宏樹は本棟に戻ってみた。先ほど入口にいた爬虫類顔の女はもういない。建物の中に入ってみると、先ほどはゴンゲがいた、あるいはいたように思ったが、今はもう誰の姿も見えず、人の気配もない。

「どう?誰かいる?」

「いえ。でも上にも部屋があったはずだ。見てきます。」

上の階には、ベッドルームが4つあるようだった。階段に近い部屋から順に一つ一つドアを開けて確認してみるが、4号室、3号室、2号室まで誰もいない。最後に1号室を開けてみると、だしぬけに短くも鋭い悲鳴が響いて、思わずたじろいだ。ベッドの上で、小太りの女とショートヘアの女が身を寄せ合っている。入ってきたのが僕だとわかって、お互いに顔を見合わせている。彼女たちのこわばっていた体が少し弛緩したように見えた。

「あなたたちはさっきの・・・何があったんですか?」

僕の話し方と話す内容により、彼女たちの警戒心は完全に解けた模様であった。

「あ、あの、私たち、一緒に飲んでた男の人二人に連れられて、真ん中の二つの部屋にそれぞれ男女で入ったんです・・・だけど、ね」

「うん、なんか・・・知らない女の人が部屋に入ってきて、気が付いたらこの部屋にいて」

「私もなんです。何が起きたのかわからなくて、怖くて・・・」

 

僕は、淡いグレーのインナーをまとったゴンゲらしき人物が階下で述べた言葉を思い出していた。

「そうだったんですね。この建物にはもう誰もいないようですよ。僕ももうこの村から出発しますので、お二人もご安全に。」

軽く会釈をした後、階下に戻った僕は、ゆう子とジュネに、男たちはもうおらず、先ほど男性と一緒だった女性だけがいたことを告げ、そしてこう言った。

「ヘリを使わせてください。僕の故郷の村に、一緒に行きましょう。」

二人はうなづいた。

 

ヘリに向かうと、確かにゴンゲはヘリの中にいた。服は着ている。

「性欲だけ先に降りた」というゆう子の説明は未だによくわからないが、確かに一度降りてひと暴れしてまた戻ってきたようなせわしい雰囲気は感じない。ゆう子とジュネが先にヘリに乗り込んで、シートベルトをした。

 

「ゴンゲさん。」

僕はヘリに乗り込みながらゴンゲに声をかけた。僕は自分の声色に、ゴンゲが僕を追いかけて来てくれたことへの感謝と、いよいよゴンゲと一緒に自分の村に乗り込んでいくのだという高揚感と、ヤツを倒すためにとにかくゴンゲの力に頼りたいという弱弱しさが、ごく自然な形で宿っていることに自分でも驚いた。

 

ゴンゲは僕の呼びかけが聞こえているのは明らかでありながら、あまり関心を示さないような態度でよそ見をしていた。

「遅いじゃないのサ。」

少し小さめの声でそう言ったあと、一瞬だけ僕を見た。先ほどグレーのインナーをまとった姿で睨まれた時に比べれば威圧感はないが、それでもはっきりとした目つきで、僕を一瞬だけまっすぐ見つめたのだ。それはほんの1/10秒程度だったかもしれないが、そのゴンゲの表情は、なぜか一枚の絵のように僕の脳裏に焼き付けられた。それとは裏腹に、目の前のゴンゲは苛立ったようによそ見をしていた。

 

「ここに男たちが何人かいたんですが、おそらく皆、ヤツの一味です。僕の村へ一緒にヘリで向かってくれますか?」

僕の懇願に、ゴンゲはすぐに答えなかったが、小さめのため息を出した後、こう答えた。

 

「アンタ、一味って言っちゃいるけどサ・・・」

ゴンゲはそう言うと、ゆう子に視線を向けた。

「あの男たちの性欲は、全部同じ色じゃなかったかい?」

 

(続く)

ゴンゲ #11

(ゴンゲ#10)

 

ゴンゲがそこにいた事自体の驚きで金縛りにあったように固まった僕は、ゴンゲの佇まいから発せられる静かな迫力に圧倒されたことで、後ろ向きの引力に引きずられるようによろよろと建物から排出されることとなった。

 

どういうことだ?結局ゴンゲは僕の後を追いかけてきたということか?なぜ?僕に協力してくれる気になった?それともたまたま男漁りの途上で鉢合わせたのか?そんなことがあるだろうか?

 

全てゴンゲに直接きけばよいことであるが、あのゴンゲの眼力の前でそれができる者などいようはずがない。目力が強いとか、そんなわかりやすいものではなかった。たとえるなら、小柄な合気道の達人を前にして、戦う前から参りましたと言ってしまいたくなるような、そんな密かな説得力があった。

 

「宏樹くん」

 

この声は・・・ゆう子ではないか。ゴンゲに圧倒された余韻のせいで、僕の驚きは本来あるべき大きさでは発揮されなかった。暗くてよくわからなかったが、僕の方に向かって歩いてくるゆう子は、少し微笑んだような、少し緊張したような、不思議な表情をしている気がした。

「やっと追いついた。」

ゆう子の舌足らずな話し方に、どこか安堵を覚える自分がいた。ゆう子の向こうに目をやると、建物から少し離れた空き地にヘリコプターが駐機されていた。

「まさかヘリで来てくれるとは・・・ゴンゲさんの手配ですか」

世界中にスポンサーがいるとジュネは言っていたが、こんなにすぐにヘリを出してもらえるレベルなのだろうか。訝しがっていると、ゆう子はこう言った。

「うん。ゴンゲはヘリで待ってる。」

「え?さっき中にいましたよ?」

「ああ・・・じゃあ性欲だけ先に降りたんじゃない?」

性欲だけ先に・・・?僕は理解が追い付かなかった。気だるそうな目をして一体何を言っているんだ。人を煙に巻くような会話内容に気を取られ、僕はゆう子が僕の体を好きにできるまで距離を詰められていることを認識するのが遅れた。

 

ゆう子は片手で僕のズボンの中に手を入れてパンツの上から陰茎を優しく摩擦しながら、もう片方の手でシャツの隙間から手を入れて僕の乳首を愛撫しつつ、妖艶な音を立てて僕の唇に自分の唇を幾度となく吸いつかせた。性行為の導入の形が出来上がってしまったとの理解は、その状況を予測して防ぐことができなかった苛立ちへと転換された。僕はゆう子を自分の体から引き剝がして、意識してわざと強めに言葉を投げかけた。

「こんな事している場合じゃないですよ。ジュネさんが男たちにさらわれたんです。」

ゆう子は僕のことを見透かすような視線で僕を見つめたまま数秒間は黙っていたが、やがて口を開いた。

「ジュネが心配で集中できないってことね・・・」

ゆう子は風のようにすっと僕の体から離れると、ジュネが連れ込まれた別棟へと速足で歩いていった。そこで僕は、自分の脳がゆう子の醸し出す妖艶な雰囲気に飲まれて、昂った動物たちが別棟を取り囲んで様々な鳴き声を上げていることすら知覚できていなかったことに気づいた。

 

ゆう子は騒がしい動物達の少し手前で立ち止まった。僕はゆう子が動物にもみくちゃにされてしまうのではと心配になりゆう子に駆け寄った。僕の視界の中でゆう子は次第に大きくなっていったが、変化したのは大きさだけではなかった。ゆう子はしなやかな動きで衣服を脱ぎ捨て、僕が異変に気付いて駆け足を緩めた頃には下着姿になっていた。

 

僕は再び思考と感覚が鈍り始めた。それは、ゆう子の行動があまりにも意外だったからだとも思うし、目の前で露わになった肉体があまりにも刺激的な肉付きと肌質であったからであるようにも思われた。まるでお酒を飲み過ぎた時のように、僕は自分の知覚情報と意識をつなぐ流れを正常に保つことが難しくなっていることを感じた。視野はまるで使い古したアナログビデオテープのように画質が曖昧になり、音は周波数がうまくチャンネルに合わないラジオのようにノイズとくぐもりに邪魔をされた。ゆう子が建物の中に向かって何かを大きな声で呼びかけている。しかし僕はそれを言語として認識できない。建物から、全裸もしくは半裸の男が2人出てきたような気がした。それはそう見えたからではなく、ただそんな気がしただけなのかもしれない。

 

僕は、ゆう子とさっきまでくっついていたこと、ジュネのためにそのゆう子を引き剥がしたこと、その前にゴンゲを見たことを、まるでビーズを糸に通すように、細心の注意を払いながらギリギリの意識のもとで繋ぎとめようとした。それでも、1つのことを頭に浮かべたら、その前に考えていたことは忘れてしまうような気がするほど、僕の脳の処理能力は落ちているように思われた。

 

全てがぼやけた世界の中で、天井からぶら下がった細い紐のように、かすかな、それでいて重要な命綱のようなものが、意識の中に頼りなく垂れている。

 

ヤツを止めなければならない。

 

この一点だけは、忘れずに僕の中に残っていたようだ。この事に意識を向けた途端、僕の目や耳や唇は、一気に僕の脳に周囲の情報を流し込んできた。水が浸透するように僕の意識は鮮明となっていき、倒れこんでいる僕の平衡感覚、その上に乗っかっているジュネの重さ、ジュネの頭部から垂れる髪とその中に見えるジュネの顔の上半分、ジュネの鼻息の匂い、ジュネの唾液の味などを全てキャッチした。僕の脳はそれらの情報を総合して今の自分がおかれた状況を理解できるまでに復活した。

 

ジュネの体を両手で引き剥がすことができないことを悟った僕は、体をひねって全身を横に回転させることでジュネを僕の体から下ろした。

 

ジュネは泣きそうな、そして怒ったような声を上げた。

「もう!ゆう子さんひどいです横取りなんて!」

そしてジュネは、僕の手をつかんで無理やりジュネの乳房に引き寄せた。

「こうなったらもう絶対宏樹さんとします」

強制的にジュネの乳房を揉むことになった僕の右手の上に、一匹のリスがちょこんと飛び乗った。

 

(続く)

「コーラに角砂糖●個分もの砂糖が入ってる!」はアプローチが間違っている

小学校の保健室の前に掲示されている「保健ニュース」を始め、テレビ番組や教科書を含む様々な場所で、コーラやファンタなどの清涼飲料水の前に角砂糖を積み上げて「こんなにも角砂糖が入っている!体に悪い!」と訴える表現方法をよく見かける(「清涼飲料水 角砂糖」という検索ワードで画像検索をすればたくさん出てくる)。

 

私は、清涼飲料水の飲みすぎに対する注意喚起の目的でこの表現方法を使うことに反対である。 

 

先に結論を述べる。

清涼飲料水は、少なくとも糖分の含有量そのものに関しては、他の食品との比較や人体の代謝との関係において、特にやり玉にあげられるべきものではない

一方で、清涼飲料水には①急激な血糖値の上昇リスク②口内環境の歯周病リスク③糖質過多な食習慣の早期確立リスクといった観点から、気を付けて摂取すべき食品であることは事実

★「糖分が角砂糖●個分入っているからダメ」という論法は、狙った結論に招くために嘘を方便として使っていることに近く、健康増進にとっては有効であったとしても、子供の科学的・論理的思考の健全な発達にとっては害悪である。

 

以下、詳しく述べる。

 

1 清涼飲料水における糖分の含有量は危険な水準とはいえない

(a)角砂糖という単位

ざっと調べたところ、一個あたりの角砂糖の重さとしては、3g、4g、5gあたりを置いているサイトが多いことから、ここでは4gで計算することとしたい。なお、熱量でいうと、砂糖の種類によるが概ね1gあたり4kcalなので角砂糖一個でいうと16kcalといえる。

(b) 清涼飲料水の糖分量

知名度ゆえに最も槍玉に上げられがちなコカコーラを例に調べてみる。公式サイトによれば、コカコーラには100mlあたり11.3gの糖分が含まれているという(なお、この糖分とは具体的には糖質10g程度+食物繊維1g程度とのこと)。ここでは話をシンプルにするため、糖分の重さをそのまま角砂糖の重さに相当するものとして扱う(世の保健ニュース等も同じ発想と思われる)。コカコーラの缶は180ml~350ml、1人用のペットボトルは500mlなので、缶なら角砂糖5~10個程度、1人用ペットボトルなら角砂糖14個程度の糖分が入っている計算になる。

(c)糖質の量そのものについての他の食品との比較

あんぱん1個の糖質は38gで角砂糖5個程度相当。茶碗一杯の白飯も同じくらいである。

(d)代謝

小学生の1日の代謝熱量はざっくり1,000~1,300kcalである。つまり小学生は一日に角砂糖60~80個分のエネルギーを毎日消費している、逆にいえばそれに必要なだけの熱量素を摂取しているということである(熱量素の全てが糖質ではないし、熱量素が体内で全て同じ使われ方をするわけではないことには注意が必要であるが)。なお、小学生が1時間勉強しただけで、脳は角砂糖5個分の熱量を消費するとのことである。

(e)子供の一般的なコーラ消費量

ある論文の調査によれば、小学校高学年の炭酸飲料摂取量は平日・土日を平均して1日あたり126ml(スポーツドリンクや果汁は含まないことに注意)。これはいわば、月・水・金だけコップ一杯のコーラを飲んで、土か日のどちらかだけ缶コーラを1本飲む程度という計算になる。毎日コーラをペットボトル1本分飲んでいるような小学生はかなり特殊ということになるだろう。

(f)1の総括

育ち盛りの子供がお茶碗一杯ではご飯が足りず二杯も三杯もおかわりするという話はよく聞く。それに対して「ご飯をお茶碗2杯食べたら角砂糖10個分!」などといって眉をしかめる親御さんがいるとは思えないし、保健ニュースがあんぱんの横に角砂糖を並べた写真を使うとも思えない。そもそも、熱量換算でいえば朝昼晩3食とおやつを通じて毎日毎日角砂糖60~80個が体に入っては消えているというような規模感の話の中で、小学生が平日は一日おきに角砂糖5個分のコーラを摂取するからといって、騒ぐことなのか。子供が今日コーラをコップ1杯飲んだとして、それは糖質重量でいえば、ご飯のおかわりがいつもより1杯分多いのと同じなのである。むしろ、子供が1時間勉強するだけで、コーラでいえばコップ1杯分以上の糖分を脳が消費してしまうことを踏まえて、ちゃんと子供が勉強するのに十分な糖質を摂らせているのかを心配すべきであろう。「糖分の量だけを理由に」清涼飲料水だけが殊更に悪者扱いされるいわれはないのである。

 

2 それはそれとして清涼飲料水は体に良くはない

(a) 糖質量そのものだけが問題ではない

1の内容は、「コーラは安全だからどんどん飲んで大丈夫」ということを意味しない。わざわざ書くまでもないかもしれないが、具体的には下記(b)~(d)のような問題を挙げることができる。

(b)血糖値の急上昇

清涼飲料水は飲み物であるため、ご飯やあんぱんよりも一気に大量摂取が可能である。また、清涼飲料水に含まれる糖質は米などの糖質と質的な差があり、素早く吸収され血糖値を上げる。また、甘さは冷たい方が感じにくいため、通常冷たくして飲む清涼飲料水は舌で感じる体感以上に多くの糖質を摂取してしまいがちである。これらの要因があわさって、清涼飲料水は、糖質総量が同じ他の食べ物と比較しても、血糖値の急激な上昇のリスクを高める。(血糖値が高いこと、急上昇することの問題点については専門家の解説に任せるが、簡単にいえば血糖値の急上昇はインスリン過剰分泌で太りやすい体を作るのみならず、血糖値の急激な変化が血管を傷つけ深刻な健康被害をもたらすということである。)

(c)口内環境の歯周病リスク

上記(b)でも問題となった「飲み物である」という点は、他の作業・行為をしながら飲む、少しずつ長時間にわたって飲む、といった摂取スタイルになりやすいという点でご飯やあんぱんとは一線を画している。長時間にわたって口の中に常に糖が残存する状態が維持されることが虫歯などの歯周病のリスクを高めることは言うまでもない。

(d)習慣化の問題

清涼飲料水は「飲み物」であるがゆえに、生活習慣と密接にリンクしている。朝コーヒーを飲む人の中で、水分補給や糖分補給を心がける観点から飲んでいる人は少ないだろう(カフェインを摂りたく飲んでいる人は結構いるかもしれないが)。彼らは、朝コーヒーを飲むという生活習慣を確立しており、習慣の範疇で飲んでいることが多いのである。これは食後にお茶を飲むというのとも一緒で、習慣を実践している側面が大きいのである。清涼飲料水を子供の頃に飲む習慣が全くなかった人は、大人になってからもあまり飲まない人が多い。2日に1回コーラを1杯飲んだとして、その1杯には大した健康被害はないが、その習慣が一生続く人とまったくその習慣がない人との間に生じる上記(b)や(c)のリスクの差は莫大なものになる。

(e)2の総括

上記のような特徴が清涼飲料水にはあることから、角砂糖5個相当のコーラを飲むのと、角砂糖5個分相当のおにぎりを食べるのでは、意味が異なるのであり、やはり清涼飲料水は子供にあまり飲ませない方向で教育すべきなのである。ではなぜ1のような文章を書いたかというと、清涼飲料水を飲み過ぎるべきではない理由として角砂糖●個分と糖分の量そのものを挙げることは論理的ではないということである。この点を次の3で詳しく述べる。

 

3 「角砂糖積み上げ表現」を容認する教育は社会水準の存続を危うくする

(a)「角砂糖積み上げ表現」は問題の所在を誤解させ論理軽視の人間を育成する

2で述べたとおり、清涼飲料水は飲み方に注意せねば健康を害する食品であるのだから、世の中にある保健ニュース等の注意喚起は正しいではないかと考える方も多いだろう。しかし、本稿では清涼飲料の安全性を訴えているのではなく、水角砂糖を積むという表現方法を問題視しているのである。角砂糖を積み糖分量を視覚化することで清涼飲料水の危険性を訴えることは、問題の所在が糖分の量自体であるということを子供に刷り込むことになる。それは、結果として子供が清涼飲料水を飲み過ぎないように気を付けるという教育効果は得られるかもしれないが、その結果に至る過程が正確ではなく非論理的かつ非科学的であるため、その後子供たちが様々な健康にかかわる情報に触れていく中で、それらにどのように向き合うかという教育効果としては負の効果が大きいのである。

(b)子供なのだから「嘘も方便」でいいじゃないかという立場への反駁

「子供は馬鹿で理解力に乏しいから、インスリンの話とか代謝とかもわからなくて、みんな清涼飲料水を飲みまくって健康を害してしまうではないか、角砂糖の写真でビビらせておけば視覚的にわかりやすくて印象に残るし清涼飲料水は体に悪いという刷り込みが功を奏して結果としては国民の健康状態は良くなるのだから良いではないか」という立場はありえると思う。しかし、私は、それでいいのか?と問いたい。実益を取るために因果関係を歪めた説明をして、子供から論理的思考・批判的思考の芽を摘む。我々はむしろ「この保健ニュース、角砂糖を積み上げているけど、それって意味なくね?なんかオレたち、不自然な方向に誘導されてんじゃね?」と疑問を持つ子供を育てなければ、社会がどんどん脆弱になっていくのではないか。たしかに、小学生の自由研究ならよいだろう。しかし、たとえば高校生になっても角砂糖タワーのインパクトで思考停止しているようでは目も当てられない。中学生レベルでも、保健ニュースの手法のおかしさを暴く自由研究くらいしてしかるべきである。子供だから「嘘も方便」でいい、ではなく、未来ある子供に対してこそ論理的思考を軽視したアプローチをとることにより一層慎重になるべきなのである。

(c)論理的思考を軽視した教育の行く末 ~結論にかえて~

我々は「清涼飲料水は気を付けて飲まなければならないね。でもそれは角砂糖●個分もの多くの糖分が入っているから、という言い方は正確ではないよね。むしろ同じ角砂糖●個分入っている食べ物と比べても~とか~といった点で清涼飲料水はよりリスクが大きいから特に注意しなければならないのであって糖分量そのものが問題の所在ではないよね」と考えられる子供を育てなければならない。しかし、角砂糖タワーを公然と教育に使う大人たちのもとで子供たちは、学術的・論理的整合性よりも視覚的インパクトの方が優先される世界の価値基準を無意識に獲得していく。そして、非論理的だがインパクトのある新聞やテレビ番組の論調を無批判に受け入れてしまったり、一見すると正義の味方のように悪そうな政治家を追及しているように見えて実際には国民の大切なリソースを浪費しまくっている議員を熱烈に支持したり、非科学的で怪しい健康食品にドはまりしたり、インターネットで”世界の真実”に気づいて陰謀論的言説をばらまいたりするような人間に育っていく。そのような人生を送るのは個人の自由かもしれないが、社会全体としてはどうだろう。論理的思考ができない人たちも、蛇口をひねって出てくる水を使って生活し、道路の上を歩いたり電車に乗ったりして移動し、当たり前のように毎日安全な商品が並ぶコンビニで買い物したりしているわけだが、蛇口をひねって安全な水が出るような世の中を維持しているのも、交通インフラや経済的な生産・流通を維持しているのも全て、論理的思考ができて原因と結果を正しく捉えられて本質的原因とたまたま併発した事象を区別できる人たちが支えているからに他ならない。この快適で安全で便利な生活を今後何十年にもわたって維持したいのであれば、「角砂糖●個分も糖分が入っているから体に悪いゾ~!」というような微妙に間違っていなさそうで実はおかしい表現を一つ一つ見直していくべきである。

 

浜崎あゆみについて

浜崎あゆみが世に出た時、そしてヒット曲を次々と飛ばすようになってからも、僕は彼女についてこんなふうに思っていた。

 

「声が喉にぶつかって聴き苦しい、歌の下手な女」「なのにこんな奴の歌がヒットして、似たような歌の下手な歌手が出てくる事が許されてしまっている」「浜崎あゆみの曲をカラオケで歌う人たちも、浜崎あゆみがアレで許されてるせいで、みんな真似して喉声で苦しそうに歌っている。」

 

時代で言うと僕はだいたい18〜20歳くらい。いわゆる“厨二病”は年齢的にさすがに終わっているものの、洋楽に出会って世界レベルの音楽を知って(かぶれて)、日本の商業的かつカラオケに特化しすぎなヒット曲群に対する嫌悪感はまだまだ健在なお年頃であった。

 

なお、浜崎あゆみに対する嫌悪感は、その素人っぽい歌い方だけでなく、歌番組で見せる「あ〜、ほぁ〜い」みたいなアホの子みたいな雰囲気によるところもあったと思う。

 

そういったわけで、「Depend on you」を聴いた時に心のどこかで曲の完成度の高さを認めつつも、浜崎あゆみを良いと認めるという発想はそもそも選択肢として念頭になかった。

 

僕にとっての浜崎あゆみ分水嶺はおそらく「appears」そして「SEASONS」であろう。

 

「depend on you」の時点ですでに相当歌がうまくなっていた浜崎あゆみであったが、僕は「Boys & Girls」でさらに進化した表現力を見せつけられていたにもかかわらず、「浜崎の歌はダメ」という固定観念から抜けられずにいた。とはいえ、「appears」で曲自体に対する偏見はほとんどなくなったと思う。ハッキリと意識してはいなかったが、「歌唱力はともかく曲は悪くない」という認識はここで確立したと思う。

 

もう一つの分水嶺は、「SEASONS」であるが、僕にとってこの曲が他とどう違うのかはいまだによくわからないものの、僕はこの曲を聴いてはっきりと「この曲を覚えてカラオケで歌いたい」と意識したのだった。それはもう「良い曲だなと思った」「好きだなと思った」と言い換えてもよいものだったとは思うが、当時はとにかく浜崎あゆみへのひたすらに悪い印象がなかなか拭えず、浜崎あゆみの歌声自体も好きになる事はないまま、浜崎あゆみブームは過ぎ去り、彼女は次第にテレビで見かけない存在となっていった。

 

そして、僕自身は様々な経験を経て歳をとったある日、Amazonプライム浜崎あゆみのヒット曲がたくさん聴けることに気づき、懐かしさからかよく聴くようになる。そこで僕は初めて、曲もよくできているが、浜崎あゆみの声質自体も類まれなものであることにようやく気づいた。

 

たしかに歌唱技術として巧みなわけではないが、浜崎あゆみの魅力はテクニックではなく、その時代を閉じ込めたような、いわば当時の若い女性たちの感情に寄り添うような、同時代性・同世代性をキャラクターとして持つ声質なのではないかと感じたのだ。

 

そして、やがて浜崎あゆみの著書を元にしたドラマが始まったりして、浜崎あゆみの歌に対する論評・再評価の声もよく聞くようになった。その中で、あの苦しそうな歌い方こそが、当時の若い女性の胸の苦しみを代弁するように響いて、それがゆえに浜崎あゆみ若い女性に支持されたというような趣旨の論評があり、僕は非常に腑に落ちたような感覚を覚えたのである。

 

そうして僕は浜崎あゆみの、女性性を軟弱な女々しさとしてではなく、自立した女性の葛藤として表現したような、ソリッドかつ無機質でありながらガーリーで少女的な歌声の魅力に取り憑かれたのだ。

 

そうして、最終的に僕は「YOU」という楽曲の異質さに思い至ったのだ。この曲は最初期の曲ではあるが、デビューシングルではなくセカンドシングルである。しかし、デビューシングルの「poker face」よりもなぜか幼さと拙さを感じさせる。

 

理由は、高音部にある。「poker face」はサビも音程的に一気に上がったりせず歌が苦手な人にも歌いやすいが、「YOU」はそもそも浜崎あゆみが気持ちよく歌えるキーよりもだいぶ高く設定してあり、高音部の「どうにか出している」感がきわめて強い印象を残す。(これは恐らくわざとであり、プロデュース陣の先見の明が光るというものである。)

 

その後彼女はボイストレーニングでもしたのかわからないが、同じような高いキーでも(少なくともCD用にレコーディングされたテイクでは)違和感なく声を着地させている。

 

つまり、彼女はおそらく鍛錬によって自分なりの「ソリッドかつ無機質でありながらガーリーで少女的な歌声」を作り上げ、自分なりの高音の出し方を確立していったが、「YOU」はその確立前の未完成な高音がレコーディングされているということなのだと思う。

 

僕はやがて、この未完成な高音の出し方の危うさに強く惹かれるようになっていった。僕は特に、無難に着地できていない声の置き方に、いい意味での子どもっぽさ・いたいけさを見出したのだと思う。小学生くらいの合唱には、中高生の高度な合唱にはない魅力があるものだが、ある意味それに通じるような、その時にしか見られない一瞬の煌めきが閉じ込められていると感じずにはいられないのである。

 

そういったわけで、何が言いたいかというと、浜崎あゆみは素晴らしい表現力をもった歌手としてカッコよくてエモーショナルな完成度の高い曲を数多く残していますという事と、その上で僕はまだ浜崎あゆみの技術とスタイルが確立する前の生焼けな未熟歌唱にしかない味わいを堪能できる「YOU」が気になってしかたがありませんという事の、以上2点である。

 

 

 

 

同性愛、多様性、国家経済、そしてセカイ系

「同性愛者が増えると国が滅ぶって言う人いるけど、国のために人を愛するわけじゃないし」的な言説について。


国が滅ぶから同性愛は規制すべしだなんて考えは論外だし、そんな主張はすでに各所でフルボッコにされてるから、ここではあえて追求しない。


むしろ「国のため」と「私たちのため」が全く異なる二つの概念であるかのような物言いに警鐘を鳴らしたい。


国というものを自分の生活とは切り離された存在という前提で考える人は、その時点で「私は政治家や官僚に文句は言う、自分では国のために努力はしない、国がくれるサービスは当然受けるという人種です」と宣言しているようなもの。


国がどうにかすべきだろうが!って言う奴、お前も国の一部だろと思う。


同性愛の話に戻ると、まずこのまま少子高齢化が進めば今の生活は成り立たなくなるのは事実だけど、少子高齢化の原因を同性愛に対する社会的許容の浸透に求めることができる根拠はないってことをまず押さえるべきだろう。一方で、同性愛に限らず、多様な生き方の許容という概念まで広げるなら少子化の要因の一つではあるだろう。


つまり「適齢期になったら誰しもが結婚して子供をもうけるべし」という社会的プレッシャーがなくなってきたこと。これに経済格差の拡大(経済資源の偏在→モテと非モテの二極化・固定化)が合わさって少子高齢化が進んだと僕は見ている。


でも日本経済を維持するために再び適齢期に結婚出産をしろと圧力かける社会にするのは無理&不適当だろう。


だから、同性愛に限らず様々な生き方を受け入れる社会を維持しながら同時に日本の経済を強くするにはどうすればいいですかというのが議論のスタートになるべきで、現にそういう議論はあちこちで進んでいて技術革新で克服するとか新しい価値観の創造とかが提案されているのが現状だと思う。


この手の話では「移民を受け入れて日本の産業を維持しよう」という論点が必ず出てくるが、世界的に価値観が多様化した国はほぼ必ず少子化になってきてるので、移民による労働力維持論は、価値観の多様化が進まない移民輸出国の存在を前提に自国の経済を維持しようする論だという視点を欠く人が多い。


勿論、いま日本がもっと移民フレンドリーな国になれば日本に移民したい外国人はかなりいるから実態としてはそれでいいという割り切り論もありえる。それを同性愛者に適用するなら、全員が同性愛者になることはなく大半の人は異性と子供を作るから現実問題人類は滅びないよというスタンスもとりえる。現実そうだからいいじゃんというのは思考停止っぽくて嫌な気もするが、否定することもできない気がする。


同性愛で国が滅ぶと主張している人はおそらく「世界中が同性愛者になったら移民も日本人もみーんないなくなるんだぞ」というマクロな極論を述べているだけなので、個々人の生き方のミクロ視点からそれに反論する人が出てきたところで、話が全く噛み合わないのは当然なのである。


少子化を同性愛者のせいにするのは理に適っていない事は再確認しよう。

その上で、同性愛者も異性愛者もみんな電気使ったりカフェ行ったりするけどそれを支えているのは精子卵子の合体物だという点も認識しよう。

みんなで子作りするのが当たり前だった時代に築いた豊かさの上で僕らは生きてる。今の暮らしがしたければ今後も人類には大規模な異性間性交渉が必須という現実と、多様な生き方に価値を置く人類の精神的成熟をどう折り合いつけるか、一人一人が考える問題だ。

多様性の尊重と経済的豊かさは密接な関係にある。適齢期で結婚出産しなくてもよくなったのはそれでも食っていけるからだ。多様性というスローガンばかり声高に叫んだって理想からはむしろ遠のいていくだろう。

国がどうにかしろ、国がうまいことやってくれたらその成果だけ享受しますと言って逃げられはしない。

個人の生き方の議論と、国や政治の話を完全に切り離されたものとして扱う“セカイ系”の物言いには賛同しかねる。

あなたが私をつまらないと感じるのは、私があなたに私を面白がってもらいたいと思ってないから

「貴方は真面目すぎて人間的な面白味がない」と言われました。そう言われるのも無理はありません。私は普段、人から面白いと思われるような言動はほぼしていないからです。


ところで、私は子供の頃は「お前は本当に冗談ばかり言ってるひょうきんな子供だね」と大人から言われるような子供でした。とにかく面白いことを言って笑いをとりたいと強く思うタイプだったのです。子供といっても、小学生時代から今の会社に入社するくらいまでは「●●で一番面白い奴であり続ける」という命題に強い執着心を持っていました。「●●」にはダイレクトに見渡せることができるサイズの自分の所属するコミュニティが入ります。たとえば「クラス」「同期入社」「課(職場)」などです。実際に一番でしたかと聞かれると、自分では入社までは常にそれを保ってきたと自負しているのですが、面白さは主観でしか決められないので「いや大嘘だよ。全然一番ではなかったよ。」という証言者が現れることでしょう。しかし、「貴方は●●で一番面白いね」と言われたことが何度かあることは事実です。


自分がそんな人間だったことを思い出して信じられないという感覚に陥るくらい、今の私は面白いことを言ったりやったりしていませんし、面白いヤツでありたいという願望もなくなってしまっています。もっといえば、私はもともと明るい人間だったのですが、極めて暗くて無表情な人間になってしまったのです。


なぜなのかを考えてみると、第一にはやはり会社での過酷な労働が私の精神構造を変えてしまったという側面は無視できないと思います。第二に、加齢によりあらゆる執着が薄まったという点も間違いなくあると思います。このどちらがどう優勢なのかは結果だけ見ても判別がつきません。両者の影響力の比率はともかく、労働と加齢のおそらく両方が私の価値観や性格を変えたということは間違いありません。


その上でさらに思う事は、私は今でもTwitterで毎日冗談を言いまくっており、冗談を言うのが好きであることはこれもまた間違いのないことだということです。フォロワーが少なかった時は特に、どんなに天才的に面白いことをツイートしてもほとんど反応が得られないということが積み重なって、面白いやつというポジションに執着することに疲れたというのがもしかしたら第三の理由なのかもしれません。


話がそれましたが、Twitterの件で何を言いたかったかというと、この記事の冒頭で述べたとおり、私は周りから面白みのない奴と思われていますが、はっきり言って


「あ〜この人のこと好きだわ〜この人からは面白いと思われたいわ〜って思う相手の前では私は面白いんですよ」


ってことなんですよ。

相手には言えませんが、


「あなたには面白いやつと思われたいとそもそも思ってないんで、あなたからつまんない奴と思われても全然構わないし私の大好きな人は私が面白いことを知ってくれてるんで問題ないっす、さーせん、ソーリー、バーイ」


ってことなんです。


歳をとって価値観や性格がかわって、「面白いやつ」という“ポジション”自体に執着していた若い頃とは異なる「認めている相手に認められたい」という“関係性”に焦点がシフトしてきているってことなんだと思います。