Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

「コーラに角砂糖●個分もの砂糖が入ってる!」はアプローチが間違っている

小学校の保健室の前に掲示されている「保健ニュース」を始め、テレビ番組や教科書を含む様々な場所で、コーラやファンタなどの清涼飲料水の前に角砂糖を積み上げて「こんなにも角砂糖が入っている!体に悪い!」と訴える表現方法をよく見かける(「清涼飲料水 角砂糖」という検索ワードで画像検索をすればたくさん出てくる)。

 

私は、清涼飲料水の飲みすぎに対する注意喚起の目的でこの表現方法を使うことに反対である。 

 

先に結論を述べる。

清涼飲料水は、少なくとも糖分の含有量そのものに関しては、他の食品との比較や人体の代謝との関係において、特にやり玉にあげられるべきものではない

一方で、清涼飲料水には①急激な血糖値の上昇リスク②口内環境の歯周病リスク③糖質過多な食習慣の早期確立リスクといった観点から、気を付けて摂取すべき食品であることは事実

★「糖分が角砂糖●個分入っているからダメ」という論法は、狙った結論に招くために嘘を方便として使っていることに近く、健康増進にとっては有効であったとしても、子供の科学的・論理的思考の健全な発達にとっては害悪である。

 

以下、詳しく述べる。

 

1 清涼飲料水における糖分の含有量は危険な水準とはいえない

(a)角砂糖という単位

ざっと調べたところ、一個あたりの角砂糖の重さとしては、3g、4g、5gあたりを置いているサイトが多いことから、ここでは4gで計算することとしたい。なお、熱量でいうと、砂糖の種類によるが概ね1gあたり4kcalなので角砂糖一個でいうと16kcalといえる。

(b) 清涼飲料水の糖分量

知名度ゆえに最も槍玉に上げられがちなコカコーラを例に調べてみる。公式サイトによれば、コカコーラには100mlあたり11.3gの糖分が含まれているという(なお、この糖分とは具体的には糖質10g程度+食物繊維1g程度とのこと)。ここでは話をシンプルにするため、糖分の重さをそのまま角砂糖の重さに相当するものとして扱う(世の保健ニュース等も同じ発想と思われる)。コカコーラの缶は180ml~350ml、1人用のペットボトルは500mlなので、缶なら角砂糖5~10個程度、1人用ペットボトルなら角砂糖14個程度の糖分が入っている計算になる。

(c)糖質の量そのものについての他の食品との比較

あんぱん1個の糖質は38gで角砂糖5個程度相当。茶碗一杯の白飯も同じくらいである。

(d)代謝

小学生の1日の代謝熱量はざっくり1,000~1,300kcalである。つまり小学生は一日に角砂糖60~80個分のエネルギーを毎日消費している、逆にいえばそれに必要なだけの熱量素を摂取しているということである(熱量素の全てが糖質ではないし、熱量素が体内で全て同じ使われ方をするわけではないことには注意が必要であるが)。なお、小学生が1時間勉強しただけで、脳は角砂糖5個分の熱量を消費するとのことである。

(e)子供の一般的なコーラ消費量

ある論文の調査によれば、小学校高学年の炭酸飲料摂取量は平日・土日を平均して1日あたり126ml(スポーツドリンクや果汁は含まないことに注意)。これはいわば、月・水・金だけコップ一杯のコーラを飲んで、土か日のどちらかだけ缶コーラを1本飲む程度という計算になる。毎日コーラをペットボトル1本分飲んでいるような小学生はかなり特殊ということになるだろう。

(f)1の総括

育ち盛りの子供がお茶碗一杯ではご飯が足りず二杯も三杯もおかわりするという話はよく聞く。それに対して「ご飯をお茶碗2杯食べたら角砂糖10個分!」などといって眉をしかめる親御さんがいるとは思えないし、保健ニュースがあんぱんの横に角砂糖を並べた写真を使うとも思えない。そもそも、熱量換算でいえば朝昼晩3食とおやつを通じて毎日毎日角砂糖60~80個が体に入っては消えているというような規模感の話の中で、小学生が平日は一日おきに角砂糖5個分のコーラを摂取するからといって、騒ぐことなのか。子供が今日コーラをコップ1杯飲んだとして、それは糖質重量でいえば、ご飯のおかわりがいつもより1杯分多いのと同じなのである。むしろ、子供が1時間勉強するだけで、コーラでいえばコップ1杯分以上の糖分を脳が消費してしまうことを踏まえて、ちゃんと子供が勉強するのに十分な糖質を摂らせているのかを心配すべきであろう。「糖分の量だけを理由に」清涼飲料水だけが殊更に悪者扱いされるいわれはないのである。

 

2 それはそれとして清涼飲料水は体に良くはない

(a) 糖質量そのものだけが問題ではない

1の内容は、「コーラは安全だからどんどん飲んで大丈夫」ということを意味しない。わざわざ書くまでもないかもしれないが、具体的には下記(b)~(d)のような問題を挙げることができる。

(b)血糖値の急上昇

清涼飲料水は飲み物であるため、ご飯やあんぱんよりも一気に大量摂取が可能である。また、清涼飲料水に含まれる糖質は米などの糖質と質的な差があり、素早く吸収され血糖値を上げる。また、甘さは冷たい方が感じにくいため、通常冷たくして飲む清涼飲料水は舌で感じる体感以上に多くの糖質を摂取してしまいがちである。これらの要因があわさって、清涼飲料水は、糖質総量が同じ他の食べ物と比較しても、血糖値の急激な上昇のリスクを高める。(血糖値が高いこと、急上昇することの問題点については専門家の解説に任せるが、簡単にいえば血糖値の急上昇はインスリン過剰分泌で太りやすい体を作るのみならず、血糖値の急激な変化が血管を傷つけ深刻な健康被害をもたらすということである。)

(c)口内環境の歯周病リスク

上記(b)でも問題となった「飲み物である」という点は、他の作業・行為をしながら飲む、少しずつ長時間にわたって飲む、といった摂取スタイルになりやすいという点でご飯やあんぱんとは一線を画している。長時間にわたって口の中に常に糖が残存する状態が維持されることが虫歯などの歯周病のリスクを高めることは言うまでもない。

(d)習慣化の問題

清涼飲料水は「飲み物」であるがゆえに、生活習慣と密接にリンクしている。朝コーヒーを飲む人の中で、水分補給や糖分補給を心がける観点から飲んでいる人は少ないだろう(カフェインを摂りたく飲んでいる人は結構いるかもしれないが)。彼らは、朝コーヒーを飲むという生活習慣を確立しており、習慣の範疇で飲んでいることが多いのである。これは食後にお茶を飲むというのとも一緒で、習慣を実践している側面が大きいのである。清涼飲料水を子供の頃に飲む習慣が全くなかった人は、大人になってからもあまり飲まない人が多い。2日に1回コーラを1杯飲んだとして、その1杯には大した健康被害はないが、その習慣が一生続く人とまったくその習慣がない人との間に生じる上記(b)や(c)のリスクの差は莫大なものになる。

(e)2の総括

上記のような特徴が清涼飲料水にはあることから、角砂糖5個相当のコーラを飲むのと、角砂糖5個分相当のおにぎりを食べるのでは、意味が異なるのであり、やはり清涼飲料水は子供にあまり飲ませない方向で教育すべきなのである。ではなぜ1のような文章を書いたかというと、清涼飲料水を飲み過ぎるべきではない理由として角砂糖●個分と糖分の量そのものを挙げることは論理的ではないということである。この点を次の3で詳しく述べる。

 

3 「角砂糖積み上げ表現」を容認する教育は社会水準の存続を危うくする

(a)「角砂糖積み上げ表現」は問題の所在を誤解させ論理軽視の人間を育成する

2で述べたとおり、清涼飲料水は飲み方に注意せねば健康を害する食品であるのだから、世の中にある保健ニュース等の注意喚起は正しいではないかと考える方も多いだろう。しかし、本稿では清涼飲料の安全性を訴えているのではなく、水角砂糖を積むという表現方法を問題視しているのである。角砂糖を積み糖分量を視覚化することで清涼飲料水の危険性を訴えることは、問題の所在が糖分の量自体であるということを子供に刷り込むことになる。それは、結果として子供が清涼飲料水を飲み過ぎないように気を付けるという教育効果は得られるかもしれないが、その結果に至る過程が正確ではなく非論理的かつ非科学的であるため、その後子供たちが様々な健康にかかわる情報に触れていく中で、それらにどのように向き合うかという教育効果としては負の効果が大きいのである。

(b)子供なのだから「嘘も方便」でいいじゃないかという立場への反駁

「子供は馬鹿で理解力に乏しいから、インスリンの話とか代謝とかもわからなくて、みんな清涼飲料水を飲みまくって健康を害してしまうではないか、角砂糖の写真でビビらせておけば視覚的にわかりやすくて印象に残るし清涼飲料水は体に悪いという刷り込みが功を奏して結果としては国民の健康状態は良くなるのだから良いではないか」という立場はありえると思う。しかし、私は、それでいいのか?と問いたい。実益を取るために因果関係を歪めた説明をして、子供から論理的思考・批判的思考の芽を摘む。我々はむしろ「この保健ニュース、角砂糖を積み上げているけど、それって意味なくね?なんかオレたち、不自然な方向に誘導されてんじゃね?」と疑問を持つ子供を育てなければ、社会がどんどん脆弱になっていくのではないか。たしかに、小学生の自由研究ならよいだろう。しかし、たとえば高校生になっても角砂糖タワーのインパクトで思考停止しているようでは目も当てられない。中学生レベルでも、保健ニュースの手法のおかしさを暴く自由研究くらいしてしかるべきである。子供だから「嘘も方便」でいい、ではなく、未来ある子供に対してこそ論理的思考を軽視したアプローチをとることにより一層慎重になるべきなのである。

(c)論理的思考を軽視した教育の行く末 ~結論にかえて~

我々は「清涼飲料水は気を付けて飲まなければならないね。でもそれは角砂糖●個分もの多くの糖分が入っているから、という言い方は正確ではないよね。むしろ同じ角砂糖●個分入っている食べ物と比べても~とか~といった点で清涼飲料水はよりリスクが大きいから特に注意しなければならないのであって糖分量そのものが問題の所在ではないよね」と考えられる子供を育てなければならない。しかし、角砂糖タワーを公然と教育に使う大人たちのもとで子供たちは、学術的・論理的整合性よりも視覚的インパクトの方が優先される世界の価値基準を無意識に獲得していく。そして、非論理的だがインパクトのある新聞やテレビ番組の論調を無批判に受け入れてしまったり、一見すると正義の味方のように悪そうな政治家を追及しているように見えて実際には国民の大切なリソースを浪費しまくっている議員を熱烈に支持したり、非科学的で怪しい健康食品にドはまりしたり、インターネットで”世界の真実”に気づいて陰謀論的言説をばらまいたりするような人間に育っていく。そのような人生を送るのは個人の自由かもしれないが、社会全体としてはどうだろう。論理的思考ができない人たちも、蛇口をひねって出てくる水を使って生活し、道路の上を歩いたり電車に乗ったりして移動し、当たり前のように毎日安全な商品が並ぶコンビニで買い物したりしているわけだが、蛇口をひねって安全な水が出るような世の中を維持しているのも、交通インフラや経済的な生産・流通を維持しているのも全て、論理的思考ができて原因と結果を正しく捉えられて本質的原因とたまたま併発した事象を区別できる人たちが支えているからに他ならない。この快適で安全で便利な生活を今後何十年にもわたって維持したいのであれば、「角砂糖●個分も糖分が入っているから体に悪いゾ~!」というような微妙に間違っていなさそうで実はおかしい表現を一つ一つ見直していくべきである。