Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

浜崎あゆみについて

浜崎あゆみが世に出た時、そしてヒット曲を次々と飛ばすようになってからも、僕は彼女についてこんなふうに思っていた。

 

「声が喉にぶつかって聴き苦しい、歌の下手な女」「なのにこんな奴の歌がヒットして、似たような歌の下手な歌手が出てくる事が許されてしまっている」「浜崎あゆみの曲をカラオケで歌う人たちも、浜崎あゆみがアレで許されてるせいで、みんな真似して喉声で苦しそうに歌っている。」

 

時代で言うと僕はだいたい18〜20歳くらい。いわゆる“厨二病”は年齢的にさすがに終わっているものの、洋楽に出会って世界レベルの音楽を知って(かぶれて)、日本の商業的かつカラオケに特化しすぎなヒット曲群に対する嫌悪感はまだまだ健在なお年頃であった。

 

なお、浜崎あゆみに対する嫌悪感は、その素人っぽい歌い方だけでなく、歌番組で見せる「あ〜、ほぁ〜い」みたいなアホの子みたいな雰囲気によるところもあったと思う。

 

そういったわけで、「Depend on you」を聴いた時に心のどこかで曲の完成度の高さを認めつつも、浜崎あゆみを良いと認めるという発想はそもそも選択肢として念頭になかった。

 

僕にとっての浜崎あゆみ分水嶺はおそらく「appears」そして「SEASONS」であろう。

 

「depend on you」の時点ですでに相当歌がうまくなっていた浜崎あゆみであったが、僕は「Boys & Girls」でさらに進化した表現力を見せつけられていたにもかかわらず、「浜崎の歌はダメ」という固定観念から抜けられずにいた。とはいえ、「appears」で曲自体に対する偏見はほとんどなくなったと思う。ハッキリと意識してはいなかったが、「歌唱力はともかく曲は悪くない」という認識はここで確立したと思う。

 

もう一つの分水嶺は、「SEASONS」であるが、僕にとってこの曲が他とどう違うのかはいまだによくわからないものの、僕はこの曲を聴いてはっきりと「この曲を覚えてカラオケで歌いたい」と意識したのだった。それはもう「良い曲だなと思った」「好きだなと思った」と言い換えてもよいものだったとは思うが、当時はとにかく浜崎あゆみへのひたすらに悪い印象がなかなか拭えず、浜崎あゆみの歌声自体も好きになる事はないまま、浜崎あゆみブームは過ぎ去り、彼女は次第にテレビで見かけない存在となっていった。

 

そして、僕自身は様々な経験を経て歳をとったある日、Amazonプライム浜崎あゆみのヒット曲がたくさん聴けることに気づき、懐かしさからかよく聴くようになる。そこで僕は初めて、曲もよくできているが、浜崎あゆみの声質自体も類まれなものであることにようやく気づいた。

 

たしかに歌唱技術として巧みなわけではないが、浜崎あゆみの魅力はテクニックではなく、その時代を閉じ込めたような、いわば当時の若い女性たちの感情に寄り添うような、同時代性・同世代性をキャラクターとして持つ声質なのではないかと感じたのだ。

 

そして、やがて浜崎あゆみの著書を元にしたドラマが始まったりして、浜崎あゆみの歌に対する論評・再評価の声もよく聞くようになった。その中で、あの苦しそうな歌い方こそが、当時の若い女性の胸の苦しみを代弁するように響いて、それがゆえに浜崎あゆみ若い女性に支持されたというような趣旨の論評があり、僕は非常に腑に落ちたような感覚を覚えたのである。

 

そうして僕は浜崎あゆみの、女性性を軟弱な女々しさとしてではなく、自立した女性の葛藤として表現したような、ソリッドかつ無機質でありながらガーリーで少女的な歌声の魅力に取り憑かれたのだ。

 

そうして、最終的に僕は「YOU」という楽曲の異質さに思い至ったのだ。この曲は最初期の曲ではあるが、デビューシングルではなくセカンドシングルである。しかし、デビューシングルの「poker face」よりもなぜか幼さと拙さを感じさせる。

 

理由は、高音部にある。「poker face」はサビも音程的に一気に上がったりせず歌が苦手な人にも歌いやすいが、「YOU」はそもそも浜崎あゆみが気持ちよく歌えるキーよりもだいぶ高く設定してあり、高音部の「どうにか出している」感がきわめて強い印象を残す。(これは恐らくわざとであり、プロデュース陣の先見の明が光るというものである。)

 

その後彼女はボイストレーニングでもしたのかわからないが、同じような高いキーでも(少なくともCD用にレコーディングされたテイクでは)違和感なく声を着地させている。

 

つまり、彼女はおそらく鍛錬によって自分なりの「ソリッドかつ無機質でありながらガーリーで少女的な歌声」を作り上げ、自分なりの高音の出し方を確立していったが、「YOU」はその確立前の未完成な高音がレコーディングされているということなのだと思う。

 

僕はやがて、この未完成な高音の出し方の危うさに強く惹かれるようになっていった。僕は特に、無難に着地できていない声の置き方に、いい意味での子どもっぽさ・いたいけさを見出したのだと思う。小学生くらいの合唱には、中高生の高度な合唱にはない魅力があるものだが、ある意味それに通じるような、その時にしか見られない一瞬の煌めきが閉じ込められていると感じずにはいられないのである。

 

そういったわけで、何が言いたいかというと、浜崎あゆみは素晴らしい表現力をもった歌手としてカッコよくてエモーショナルな完成度の高い曲を数多く残していますという事と、その上で僕はまだ浜崎あゆみの技術とスタイルが確立する前の生焼けな未熟歌唱にしかない味わいを堪能できる「YOU」が気になってしかたがありませんという事の、以上2点である。