Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

あなたが私をつまらないと感じるのは、私があなたに私を面白がってもらいたいと思ってないから

「貴方は真面目すぎて人間的な面白味がない」と言われました。そう言われるのも無理はありません。私は普段、人から面白いと思われるような言動はほぼしていないからです。


ところで、私は子供の頃は「お前は本当に冗談ばかり言ってるひょうきんな子供だね」と大人から言われるような子供でした。とにかく面白いことを言って笑いをとりたいと強く思うタイプだったのです。子供といっても、小学生時代から今の会社に入社するくらいまでは「●●で一番面白い奴であり続ける」という命題に強い執着心を持っていました。「●●」にはダイレクトに見渡せることができるサイズの自分の所属するコミュニティが入ります。たとえば「クラス」「同期入社」「課(職場)」などです。実際に一番でしたかと聞かれると、自分では入社までは常にそれを保ってきたと自負しているのですが、面白さは主観でしか決められないので「いや大嘘だよ。全然一番ではなかったよ。」という証言者が現れることでしょう。しかし、「貴方は●●で一番面白いね」と言われたことが何度かあることは事実です。


自分がそんな人間だったことを思い出して信じられないという感覚に陥るくらい、今の私は面白いことを言ったりやったりしていませんし、面白いヤツでありたいという願望もなくなってしまっています。もっといえば、私はもともと明るい人間だったのですが、極めて暗くて無表情な人間になってしまったのです。


なぜなのかを考えてみると、第一にはやはり会社での過酷な労働が私の精神構造を変えてしまったという側面は無視できないと思います。第二に、加齢によりあらゆる執着が薄まったという点も間違いなくあると思います。このどちらがどう優勢なのかは結果だけ見ても判別がつきません。両者の影響力の比率はともかく、労働と加齢のおそらく両方が私の価値観や性格を変えたということは間違いありません。


その上でさらに思う事は、私は今でもTwitterで毎日冗談を言いまくっており、冗談を言うのが好きであることはこれもまた間違いのないことだということです。フォロワーが少なかった時は特に、どんなに天才的に面白いことをツイートしてもほとんど反応が得られないということが積み重なって、面白いやつというポジションに執着することに疲れたというのがもしかしたら第三の理由なのかもしれません。


話がそれましたが、Twitterの件で何を言いたかったかというと、この記事の冒頭で述べたとおり、私は周りから面白みのない奴と思われていますが、はっきり言って


「あ〜この人のこと好きだわ〜この人からは面白いと思われたいわ〜って思う相手の前では私は面白いんですよ」


ってことなんですよ。

相手には言えませんが、


「あなたには面白いやつと思われたいとそもそも思ってないんで、あなたからつまんない奴と思われても全然構わないし私の大好きな人は私が面白いことを知ってくれてるんで問題ないっす、さーせん、ソーリー、バーイ」


ってことなんです。


歳をとって価値観や性格がかわって、「面白いやつ」という“ポジション”自体に執着していた若い頃とは異なる「認めている相手に認められたい」という“関係性”に焦点がシフトしてきているってことなんだと思います。