Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

僕の育った街はマイルドヤンキーの巣窟だった

自分の生まれ育った街が実はマイルドヤンキーだらけのどこもかしこも閉塞感しかない田舎だったのだと気づいた時は少しショックだった


元からそのように痛切に感じながら生きていれば、それに嫌気がさして「この街に未来はない」「早く都会に出たい」みたいな焦燥感がプッシュファクターになっただろうけど、僕の場合は別に「この街が嫌いだ」という感情はなく、たまたま選んだ進学先・就職先でライフステージが変わる過程で生まれ育った街を結果的に抜け出すことになっただけ


でも進学や就職をして自分の世界が広がってから、まだその街に住んでる小中学校時代の友人達と会ったときに、見ている世界が全く違うとハッキリ感じてしまった


テロッテロのスウェットやジャージを着た

根元までちゃんと染まっていない雑な茶髪または金髪の若者が

夜中までコンビニ前でダベっていて

暴走族や歩きタバコは普通に実在していて

チンピラまでいかないガラの悪い一般人が

ガラの悪い運転をしたり

ファミレスでガラの悪い過ごし方をしたりしている

そんな街


政治にも経済にも学問にも芸術にも関心がなく

それでいてユーモアも停滞していて

脳を支配しているのは

テレビそして地元の仲間達との付き合いと噂話

そしてお祭り的なイベントを楽しみにしてる

小さな子供が深夜のファミレスや

立ち飲み居酒屋に連れてこられて

タバコの煙の中で夜更かしして遊んでいる

そんな人達がそこで一生を終える街


子供の頃は特に過ごしにくいとは思っていなかった

それしか知らなかったから


しかしそういう田舎者根性は

そこで生まれ育った以上

僕自身の中にもある可能性を

認めなければならない

こんな風に感じるようになったのも

同族嫌悪というやつなのかもしれない


僕は東京に電車一本でいける千葉県出身なので

甘酸っぱい幻想としての「上京」という概念は

持ったことがないし

東京への憧れもなかったと思う

仕事の必要性に応じて東京にも住んだが

銀座や表参道に住んでいたわけでもないから

マイルドヤンキーどもがくすぶる世界は

引き続きすぐそばにあって

大人になったことでそういう世界と

自分の故郷との共通点を見出したりできるようになったし

それとの比較で結局都会の優位性を

強く感じる結果になったりして


故郷を否定して生きてきたわけではないのに

内向きで狭い閉塞社会の中で

それなりに楽しく過ごしてきた幼少期の

そのあらゆる場面で舞台となったあの街に

そこはかとない嫌悪感がまとわりつくようになってしまった

そういう悲しみがある