Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

村上春樹の1Q84を読んだ時のことを思い出して書く

村上春樹は数少ない世界的に知られている日本人作家の1人だが、私は長いこと彼の作品をひとつも読んだことがなかった。インターネットで彼の作風のパロディをよく見かけるため、その元ネタがわからないままに「どうやら村上春樹は倦怠感あふれる文体でのらりくらりと情景を抽象的に描写し、合間合間でジャズとかワインのうんちくをこれ見よがしに挟んでくる人らしい」という認識だけが育つ耳年増状態が増幅してしまっていた。

 

1Q84」が発売されて間もなく、これを機にあの有名な村上春樹作品に触れてみようではないかと思い立ち、まだ本屋に積まれていた「1Q84」を買ったのである。

 

その後も村上春樹作品には触れないまま今日に至っているため、私の村上春樹感は今もインターネットで見かけたパロディと「1Q84」の2つだけがソースとなっている。

 

そんな偏った村上春樹歴を持つ私が「1Q84」を読んだ時に感じた、小説の内容に対する感想というより村上春樹のスタイルに対する感想を述べてみたい。

 

(ちなみに、ほとんどネタバレというほどのことはないと思うが、まだ「1Q84」を読んだことがなく明らかにこれから読む予定がある人はこの文章を読まない方がいいと思う。)

 

まず、地の文は、のらりくらりしてはいるもののそれが村上春樹の醍醐味なのだと思えば味わいがあるし、好き嫌いはあるだろうが、リズミカルでないことがクセになる感じだ。

 

しかし、会話の部分は、これも好き嫌いの範疇だといわれればそれまでだが、あまりにも「その流れでこのキャラがその言葉を選んで言うと思う??」の連続だなという印象をもった。地の文がそれなりに上手いぶん、台詞が下手に思えた。

 

また、ファンタジックな世界観の発想や描写が良いと思った。「1Q84」においては、さなぎがどうとかいうところ、なかなか興味深いと思った。わりと引き込まれた。

 

逆に、リアルさが大事な箇所は苦手なのかもしれない。「1Q84」には「殺し屋」が出てくるが、これがまたリアルさをまるで欠いている。子どもが戦場を舞台にした小説を書くようなふわふわ感がある。殺し屋という生々しい世界のはずがどこかファンタジーになってしまうところが良くも悪くも村上節ということなのだろう。

 

以上、彼の他の作品にも共通するかどうかは知らないが、私が感じた彼の文章の特徴を書いてみた。