Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ドスケベ男にこそジェンダーを語らせよ

僕は女性をすぐに性的な目で見ますし、AV鑑賞が大好きないやらしいおじさんです。そんな僕を一般的な社会通念で評価すれば、女の敵というべきでしょう。僕も少しそう思います。

 

「少し」を付けたのには理由があります。今日はその話をします。

 

フェミニズムとかジェンダー論はどちらかといえば、社会的に低い地位に押し込められてきた(そして今も押し込められている)女性達のために声を上げる崇高な精神と改革者としての勇気を持った人々がその発信者になってきたと思います。

 

そして、その手の学問や言論が、主に女性が自分達の権利や自由を守るための運動として始まったという経緯もあり、その発信者には女性が多く、さらにその運動に対して普遍的な価値観に基づいて共感し支援する男性もいる、という構成になっていると思います。

 

一方で、僕のような「女性を性的な視点ばかりで見がちな男性」は蚊帳の外に追いやられており、そのような男性からの視座というものが、これまでのジェンダー論における議論に欠落していると思います。

 

理由は簡単で、僕のような、女性を性的に消費するかのような傾向をもつ男性は、ジェンダー言論界においては“加害者”であり、そのような奴の発信する言葉は自己弁護や自己正当化だらけのとるに足らないものだと考えられているからです。これは感覚としてはしごくもっともなものです。現にツイッターなどにおいてフェミニスト的視点からのツイートに対するリプライ欄を見ると、異性を人格として認めず性的に消費する対象と考えるような人々(ほぼ男性)が必ずといっていいほど湧いており、男側の問題点を正当化するようなコメントを残しています。

 

僕は性欲は強いですが、女性の権利は適切に守られるべきであり、社会に深く埋め込まれてしまって不可視化されている女性を貶める構造を議論の上で顕在化し是正すべきであると考えています。そして、自分の性欲のあり方が知らず知らずのうちに女性を貶めることに加担してしまっているのではないかという問題意識とともに、そのような性欲の発現の仕方がどこからきたのかを文化の文脈で考察することを通して、性欲をなくすとか否定するというような方向にいかずして女性の幸福度を高め社会をより良くするためには男性の性欲はどのように扱われるべきなのかについて日々考えています。

 

僕のようなドスケベおじさんのジェンダー論考というのは一見「お前が言うな」の最たるもののようにも見えますが、実は僕みたいな立場の人間が一番この問題を真剣に考えた方がいい人なのではないでしょうか。それに、犯罪に縁のない治安のいい世界で生きてきた人達がさんざん話し合って考えた防犯対策よりも元空き巣の一言アドバイスの方が有効だったりしますよね。(僕は性犯罪者ではないのでこの例えはよろしくないですが、極端にいえばそういうことです。)

 

僕は今までに性欲について多くの考察をしてきました。女性を守る視点から書いたものは少ないですがリンクをはっておきます(というかこの2つしかないような気がします)。ちなみに「わいせっつー」というのは僕がかつて持っていたツイッターアカウントの事で、性欲に関係ある事以外は呟いてはいけないという縛りをかけてやっていたものです。

 

わいせっつーのツイートは有害か

わいせっつーのツイートは有害か - Bustle Pannier Crinoline

 

エロコンテンツは女性の地位を貶めない、むしろ高める。

エロコンテンツは女性の地位を貶めない、むしろ高める。 - Bustle Pannier Crinoline

 

これらの記事を読んだ方の中には納得いかないという人も多いでしょうし反対や批判はたくさんあるでしょう。しかし、いずれにしても、これからのジェンダー議論は、エロい目で女性を見てしまうという自覚を持った男性が主体的に論じるという要素が不可欠になってくると思いますし、男嫌いの女性やAVを普段見ないような男性しか関わっていない議論や論文は説得力がないという世の中にはなっていくと思います。むしろ、そうならなければならないと思います。