Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ゴンゲ #9

(ゴンゲ #8)

ジュネのあられもない姿を目の当たりにした僕が瞬間的に心に抱いた想いは「この展開を想定できなかったとは不覚」だった。これまでの経緯とジュネの人物像を踏まえれば、こうなることは数パーセント程度の確率だったとしても頭の片隅に浮かんで然るべきだった。僕ならそれができたはずだ。僕は馬鹿だな。

 

電灯の点いていない小屋の暗さの中、視覚情報は、ジュネの肌と黒髪のコントラスト、そして肌とボトムスの布地のコントラストを辛うじて教えてくれるだけだった。むしろ彼女の興奮した息遣いの音や、僕に吹きかけられる吐息の温かさと湿ったような匂いの方が、ジュネの心持ちを推し量る材料としてはまだマシに思われた。それでも、僕の想像力がジュネの表情を描き出そうとしても、うっとりとした目つきをしているのか、獲物を狩るような目つきをしているのかも決まらないまま曖昧な描画に終始した。

 

僕はジュネの髪の毛先が自分の腕に触れるくすぐったさを鬱陶しく思いながら、ジュネが何か言葉を発するのを待った。この娘はわりと言葉で説明したい性格で、この状況下では必ず何か言うタイプだと思っていた。しかし、ジュネは黙って唇を僕の口に押し付けてきた。これを無理やり押し除けるような事をして今後の関係が壊れても困る。かといって、これを受け入れたと解釈されるような形になるのも悪い意味で後々効いてきそうではある。迷っている時間はない。

 

僕は、上体をしっかり起こし、両手を優しくジュネの両頬に添えて、拒むためではなくいったんキスを中断するためであるかのようなニュアンスをこめながらジュネの顔を引き剥がした。

 

「明日に備えて、寝ましょう。」

 

僕の言葉はそこまで熟慮されたものでは勿論なかった。それでも、ジュネに対する評価や好意とは無関係の合理的な理由でこの行為をやめることを提案する言い方であり、咄嗟に出た言葉としてはまずまずだろう。

 

それを聞いてもジュネの表情はあまり変わらなかったように見えた。僕がノリノリで性行為に応じてくると思っていたはずもないだろうから当然かもしれない。僕はジュネが脱ぎ捨てたであろう服を探すため、視線を目の前のジュネから少し遠くに移した。

 

その瞬間、僕は耳の穴に水が入った時のようなボボッという鈍い音を聞いた。ただそれは、耳の中でくぐもるように聞こえたのではなく、部屋の奥の方から急激に何かが近づいてきたような距離感だった。その“何か”はその後しばらく音を立てなかったが、それ以降小屋の中の空気の流れが変わったような気がしてならない。ジュネが僕のベルトに手をかけた。ボボッという音がまた聞こえた。順番は逆だったかもしれない。

 

何かが小屋の中にいる。風が顔にかかり、何か小さな物陰が素早く僕の前を通過した。鳥か?ジュネはいつの間にか僕のズボンの前を開けているが、地べたに座ったままの僕からそれを脱がすことには苦戦しているようだ。僕はジュネをいったん放置し、小屋の中を飛び回る黒い物体を目で追った。光の少ない場所で何にもぶつからずに飛行できる生き物といえば・・・

 

ジュネが僕のズボンを無理やり引っ張ったことで、僕の上半身は勢いよく後ろに倒れた。その急な動きに対応しきれなかった蝙蝠が、僕の頭にギリギリのところでぶつかり、怪物のような声を上げた。僕はしたたかに地面に打った頭を撫でながら、ジュネを止めないと事態がエスカレートしてしまうと悟った。そして、動物に気を取られるのではなくジュネ対応に専念すべきであるという優先順位を遅まきながら理解した。

 

しかし、僕は起き上がることができなかった。ジュネが僕の上に馬乗りになり、右手で僕の陰茎をしごきながら、左手で僕の右乳首をいじっていた。そして、顔を下ろして再びキスをしてきた。毛先がくすぐったい。ふと、馬のいななきが聞こえた。外で暴れているようだ。そのような中で、なぜかジュネの唾液が少し甘いような気がするという奇妙なことを考えていた。

 

馬はついに小屋に体当たりを始めた。小屋の造りの頼りなさを到着時に見ていた僕は、恐怖を感じずにはいられなかった。ジュネを連れてきたのは正解だったのだろうか。ジュネはなかなかの重さで、跳ね除けることができない。それでも、両手を使ってなんとかジュネの裸体を引き剥がす。馬の低い唸り声と高い鳴き声が重なった。二頭いるのか。いや、二頭以上かもしれない。ズシン、ズシンと小屋が揺れる。ジュネは制御を失ったようにぽかんと口を開けて、熱い息を吐きながら無造作によだれを垂らしている。

 

「誰かいるのかー?」

唐突に男性の声がした。扉の隙間から明かりが漏れ入ってきた。

(続く)

ゴンゲ #8

ゴンゲ #7

 

ジュネを乗せた馬が蹄を泥に切り付けながら僕の目の前にたどり着くまでそれなりに長い時間がかかったので、その間に僕の心は、予期せぬ出来事への意外感に加え、幾つかの混ざり合った思考と複雑な感情を心に宿した。まず、目の前で消えた希望の光が再び差してきたような単純な喜びは確かにあった。しかしそれ以上に、腹を括ってきっぱりと振り切ってきた甘えがズルズルと延長戦にもつれこんできたような煩わしさを少しばかり感じたことも否めない。

 

「どうしたんですか?」

僕の問いかけに、悲壮な面持ちで馬上の人となっているジュネは、幾分声を上ずらせながらゆっくりと大きめの声で答えた。

「私も役に立ちたいです

ジュネからの返答は、意味合いこそ想像通りであったものの、台詞の仰々しさは付けていた当たりから完全にフレームアウトしていた。

「ジュネさん、お気持ちは本当にありがたいと思います。でも、ジュネさんはまだ若過ぎますし、危ない目に遭わせるわけにはいきません。」

早く先を急ぎたいという焦燥感に猿ぐつわを噛ませて、少年少女が嫌いがちな子供扱いの物言いにならないよう無難な言葉を選びながら話した僕は、まるでベテラン教師のようだった。ジュネは思い詰めたような表情を一層固くしたかと思うと、慣れた動きで馬から降りた。ぬかるんだ地面に太めの脚がどちゃっと食い込む。

「宏樹さん!今は若すぎるとか言ってる場合じゃないですよ!それに

ジュネが眉間に皺を寄せた厳しい表情を一気に近づけてきて、迫力に押されるように僕は後退りした。

「私今まで誰の役にも立たなかったから頼ってもらえてすごく嬉しかったんですだからお手伝いさせてください!」

この言葉によって、僕とジュネの協力関係が、僕の身勝手な要望に端を発する巻き込み事故ではなく、ジュネ自身の過去への決別という新しい意味を帯び、僕自身の価値判断とは別のところで正しさを獲得した。わざわざ僕をここまで追いかけてきた事自体が彼女の覚悟の表れでもあった。

 

僕は、力強くこちらを見据える黒目がちな両眼を視界に捉えながら、ジュネを連れて行くことの問題点について脳内で検討を加えていたが、最終的に彼女のサバイバル能力を信じることにした。

「わかりました。では一緒に行きましょう。」

僕の言葉を聞いたジュネは、無邪気に喜ぶわけでもなく、あたかもそうなる事がわかっていたかのように落ち着き払って僕の手を取った。

「乗ってください。」

一瞬なんのことかわからなかったが、ジュネの視線が馬に流れたことでその意味を理解した。

 

2人も乗ったら重過ぎないのかという心配と、乗馬に慣れていない僕が落馬しないかという心配が俄かにこみ上げてきた。しかし、いざ乗って移動してみると、少なくとも僕の見る限り、馬はそれほど辛そうな様子はなかった。そして、ジュネは僕が落馬するほど激しくは馬の歩みを進めなかった。勿論上半身のバランスを取りながら馬上に座しているのは容易ではなかったが、それでも2人で延々と徒歩で歩き続けるよりは早くて楽であるように思われた。

 

油断ならない馬の背中の不安定さのせいか、あるいはこの状況に至る経緯のせいか、あまり穏やかに雑談などする雰囲気ではなかったため、基本的には無言の旅路であった。それでも、物怖じしないジュネの方から話を切り出したりして、お互いの身の上がぽつりぽつりと断片的に語られることとなった。ジュネはヤツら一味の事を少し訊いてきたものの、話がうまく飲み込めないと諦めたのか、その後は専ら僕自身のことを訊いてきた。僕もジュネ自身の事を訊いてみたが、僕はその事を少し後悔する事になった。

「それで、もう家を出るしかなくってでも頼れる人なんかいないし、お腹も空いて知らないうちに道端で倒れちゃってたらしくて、気がついたらゴンゲさんの部屋で介抱されてたんです

「そうだったんですかそれであのバーに

ただでさえ重苦しい空気を少しでも軽くしようと雑談をしているのに、結局それ以上ないくらいに重くなってしまっているではないか。

 

このように場の空気が重くなってしまった時はここにいない第三者を話題の中心にすれば生々しさが消える。僕は普段の会話でもこのテクニックを使っている。

「ゴンゲさんってどんな人ですか?」

「えっちが大好き過ぎる人。信じらんないくらい。」

即答だった。やはりゴンゲに対する周囲の評価は一定しているようだ。

「彼女何者なんです?どうやって生活してるんでしょう?」

直前の質問と異なり、ジュネの返答までは明らかに不自然な間が空いた。そんな事も知らずにあのバーに来たのか、とでも思われただろうか。

「特に働いてないと思うゴンゲさん、ファンが世界中に沢山いるから生活に困る事はないです。」

世界中とは大したものだ。しかし、それは彼女が性的なサービスの対価として生活の糧を得ているという意味なのだろうか?ゴンゲさんは娼婦なのですかとはさすがに訊けない。

パトロンというかスポンサーが付いてて、お金とか家とか与えてくれるみたいな感じですか

「お金の事はよく知らないけど、住むところはあちこちにあるっぽいですよ

住むところ、か。そういえば泊まるところを考えなければならない。すでに辺りは暗くなり始めている。もう少しいけば小さな集落があったはずだ。

 

家々が見えてきたところで、僕はジュネに今夜はこの集落で休息を取るよりほかないだろうと説明した。ジュネは、馬を休めさせる事ができそうで安心したと答えた。しかし、闇がのしかかるかのようにぐんぐんと暗くなっていく空と同様、僕らの心持ちにも影が立ち込めてきていた。屋外に人間が一人も見当たらないのである。どの家も決して朽ちたりはしていないし、ゴーストタウンと呼ぶには違和感があるという程度にはメンテナンスされている感じを受けるものの、建物の中から物音もしないし生活感のある匂いもしない。意を決していくつかの家のドアをノックしてみたものの、全て無反応だった。

 

僕らは、完全に暗くなってしまう前に風と夜露を凌げる場所を探しあてようと躍起になった。ようやく集落の外れに鍵のかかっていない小屋を見つける事ができた時には、思わず情けない安堵の声を漏らしてしまった。ジュネがクスリと笑ったような気がした。

 

その小屋は荷物置き場として使われているように見えたが、運のいいことに水道が通っていた。僕らは夢中で喉の渇きを潤し、馬にもたっぷりと水を飲ませることができた。勿論ベッドなどなかったが、何に使うのかよくわからない厚めの布があったので、ジュネにはこれを布団代わりに敷いてやり、僕は固い床にそのまま横になる事にした。

 

こんな粗末なところに寝泊まりしたことなんかないでしょう、という言葉を何気なく口にしそうになったが、すんでのところでギリギリ留まった。危ないところだった。先程の話ではジュネは家を出てからは行き倒れるほど過酷な生活を送っていたのだろうから、ゴンゲに保護されるまではおそらく野宿も幾度となく経験してきた可能性が高い。ただ、今のジュネは決して小屋で寝るのがお似合いというような雰囲気ではないので、ついそのハードな過去を踏まえない馬鹿な発言をしそうになってしまったのである。

 

「宏樹さん」

とっくに寝たと思っていたジュネが、暗闇の中、僕の覚醒度を探るような声で僕の名を呼んだ。

「なんですか?」

 

ジュネに困った事が起きたのかもと思い上体を起こすと、さっきまで遠くにあったはずのジュネの気配がいつの間にか目の前まで迫っていた。すでに暗闇に十分慣れていた僕の目は、初めて見るジュネの両肩の肌を捉えた。思えばなぜ肩がはだけているという認識が先に脳に飛び込んできたのか不思議である。ジュネはその時点ですでに腰から上の全ての肌を露わにして僕のすぐ側に両膝を着いて僕を覗き込んでいたのだから。

 

(続く)

手コキの握り方論 〜逆手と順手〜

以前「手コキ論」という記事を執筆しましたが、


http://yset2.hatenablog.com/entry/2017/02/05/012508


今回は順手手コキと逆手手コキを比較し、それぞれの魅力について論じたいと思います。年明け一発目の記事からいい歳した大人が大真面目に何をやってんだと思ってもらえれば幸甚です。


1 逆手と順手の違いが生まれる理由

(1)逆手と順手の違いへの着目〜乳首舐め手コキ

私がこのテーマで記事を書こうと思ったきっかけは、AVやセックスにおける数あるシチュエーションの中で自分が一番好きなのは乳首舐め手コキではないかと思い至った事です。乳首舐め手コキの魅力は何かと考えた時に、通常の手コキと乳首舐め手コキでは手コキの仕方が異なる場合が多い事に気づいたわけです。通常の手コキではほとんどのケースにおいて女性は逆手で陰茎を握りますが、乳首舐め手コキにおいては順手になる確率がかなり高いのです。


逆手と順手といわれてもピンとこない方のために下手くそな図を作成しました(図1参照)。陰茎の付け根が女性の小指側にくるのが逆手、親指側に来るのが順手です。


図1

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(2)なぜ2種類の手コキが存在するのか

このような差は、物理的・構造的な理由により発生します。


①逆手の手コキになりがちなシーン

男性の陰茎に対し女性の肘が「あまり変わらない高さ」もしくは「下」に位置することが自然な場合、手コキは逆手の方がやりやすくなります。なお、この上下というのは、重力方向の上下ではなく女性から見た上下(上半身・下半身の方向)です。具体的には、男性が起立もしくは着座して女性が膝を床に付いている状態や、男性が横になっていて女性の肘も同じような高さまで下がっている状態がこれにあたります。(図2及び3参照)


図2

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図3

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②順手の手コキになりがちなシーン

逆に、陰茎より女性の肘が「だいぶ上」にある場合は、逆手の手コキをしようとすると手首が変な風に曲がる事になるので順手の手コキの方がしやすくなります。男女でキスをしていたり、男性が座って女性が真っ直ぐ立っている場合には、女性の身長が男性に比べ相当低い場合を除き、逆手の手コキはやりにくいと思います。(図4及び5参照)


(現に、AVでは椅子に座った男性に立っている女性が手コキを施すシーンで、順手手コキがうまくできない女優が逆手手コキをするためわざわざ前屈みになって逆手手コキするシーンをよく見かけます。なお、順手手コキがうまくできない理由は後述します。)


図4


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図5

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③中間のシーン

両者の中間には、逆手と順手のいずれでも手コキできる両立区間が存在します。陰茎に対して女性の肘の(女性から見た)高さが肘の方が「少し上」くらいであれば、どちらでも手コキできます。ただ、この場合でも、陰茎は上を向いていくという事情により、逆手の方が手コキしやすい状況になりがちであるといえるでしょう。


(3)逆手手コキがメジャーである2つの理由

以上(1)〜(3)を踏まえて改めて考えると、順手の手コキが優位になるのは陰茎に対して女性の肘が「だいぶ」高い場合に限られるため、逆手手コキの方が使われるシーンが多いという事ができます。(乳首舐め手コキは女性の顔が男性の上半身に対応する高さになることで肘が陰茎に対して高くなる事が多いため、順手の手コキになる事が多いとわかります。)


もう一つ、逆手手コキがメジャーであることの無視できない大きな理由があります。それは「コントロールのしやすさ」です。


逆手手コキと順手手コキは、「握り方」という観点では単に向きが逆なだけですが、「動力」という観点でみると非対称である事がわかります。すなわち、逆手手コキが「肘関節の曲げ伸ばし」でしごくのに対し、順手手コキは「下腕全体の前後運動」でしごく事になる場合がほとんどなのです。運動の支点が前者は肘関節、後者は腕の付け根(肩)という事です。お箸や鉛筆を持つ時、短く持った時の方がいいコントロールしやすいですよね。これと同じ原理で、手コキは支点が作用点に近い逆手の方がコントロールしやすいのです。これが、逆手と順手で選べる時にも逆手手コキの方が選ばれがちな理由の二つ目だと思います。(図6及び7参照)


図6

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図7

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2 逆手手コキと順手手コキの与える印象の違い

次に、逆手と順手それぞれの手コキがどのような印象を与えるか、言い換えればどのような文化的な意味づけが与えられているかを考察し、手コキの魅力をより深く味うための素地としていきたいと思います。


結論から言うと、以下のようなキーワードの対比でまとめる事ができると思います。


【逆手】

幼さ、無邪気さ、元気の良さ

【順手】

包容力、妖艶さ、丁寧さ


(1)逆手手コキが与える印象

①印象の由来

逆手の手コキから「幼さ、無邪気さ、元気の良さ」を感じるのは、握った手を上下に動かす動作が、じゃんけん、ノリノリな人、明るく励ましたり決意する人といった動作に似ているからだと思います。(図8参照)


図8

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また、これだけ日常に逆手手コキと似た動きがあるということは、それだけ動作として自然、やりやすいのいう事でもあると思われます。そこから、日常性の逆手に非日常性の順手という対比もしうるかもしれません。


②生まれる効果

そこから、逆手で手コキをされることで、男性は陰茎を「おもちゃにされている」ような感覚を味わう事に繋がります。無邪気な女子が男の陰茎を弄びながら男の反応を見て楽しむようなシーンを求める男性にとっては逆手手コキに優位性があるといえるでしょう。逆にいえば「幼さ、無邪気さ、元気の良さ」からは「雑な扱い、ムードが浅い」というマイナスの側面も導かれてしまいます。


(2)順手手コキが与える印象

①印象の由来

順手から「包容力、妖艶さ、丁寧さ」を感じる理由として、私が立てた仮説は二つあります。


一つは、順手の握り方は陰茎を上から包み込む形になるので、「包容力」を感じさせるという事。


もう一つは、順手手コキの際の手の形の方が優美であり、手や指の曲線に女らしさがより強く宿るという事。


後者についてはもう少し解説が必要でしょう。人間の手の構造上、逆手手コキにおいては親指側の手首(=見える方)に角度が付き、小指側の手首(=えない方)がスムーズな曲線になります。順手手コキではこれが逆になり、見える方の手首が滑らかな曲線となり、見えない方に角度が付きます(図9参照)。したがって、順手の握り方の方が、女性の手が持つ本来の滑らかな美しさが発揮され、それが順手手コキに「妖艶さ」や女性らしさからの連想による「丁寧さ」のイメージを宿すということです。


図9

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②生まれる効果

順手手コキの「包容力、妖艶さ、丁寧さ」は、逆手手コキが宿すマイナスイメージの「雑な扱い、ムードの浅さ」の対極にあるといえるでしょう。


女性に対して母性を強く求める人や、大人っぽい女性により惹かれるという人には、順手手コキが向いている可能性が高いといえます。


また、手コキの主流は逆手なので、もしあなたがあまり手コキが好きではないという男性だとしたら、もしかすると順手手コキをしてもらうことで考え方が変わるかもしれません。逆手についての項で日常性・非日常性について触れましたが、まさにこの非日常性が手コキに退屈でつまらないイメージを感じ取っている男性に新鮮な喜びをもたらすのではないでしょうか。


3 まとめ

以上の論述により、逆手手コキは、幼さ、無邪気さ、元気の良さを宿しており、順手手コキは包容力、妖艶さ、丁寧さを宿していることを述べてきました。


この論考を参考にすれば、男性は、どちらの手コキを好きかと考えることで自分が女性に(ひいては人生に)何を求めているのかを発見することができますし、逆に自分の価値観や好みに照らし合わせることで自分に向いている手コキはどちらなのか(そしてそのためにはどのような体位を取る必要があるのか)を判断することができます。


もしあなたが女性ならば、自分の好きな男性の価値観をもとに相手の求める手コキを導き出すことができますし、より主体的な視点では、自分が手コキを通じてどのような自分を表現し相手に伝えたいかを考えればどちらの手コキをすればよいかがわかるということです。


参考にしてください。



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「スベる」ということへの考察と提言

お笑い的な意味の「スベる」という概念に関連して少し書いてみたい。本稿では、面白いことを言おうとして言うこと一般を「冗談」という言葉でまとめて表現することとする。これには、単発のジョーク、ギャグ、シャレ、モノマネ、一発芸といったものから、面白エピソードの披露やユーモアを利かせたコメント、漫談のようなものまで幅広く含んでおり、お笑い芸人の芸から一般人の会話の中の何気ないジョークまでをカバーしていると捉えていただきたい。

 

 

1 発信者が用いるべき面白さの基準

先に結論を書く。

自分が発信する冗談は、自分自身の感覚やセンスのみに準拠して面白さの度合いや成功・失敗を評価すべきである。

 

もちろん実際には「自分が面白いと思う事」と「他人とか世間が面白いと思う事」が全く被らないという事にはなかなかならないだろう。しかし、ここで言いたいのは、自分の感覚と世間の感覚がズレていた時にすべき事は、自分の感覚を劣後させる事ではないだろうということに尽きる。世間と自分の感覚が一致しているなら、特に議論の余地はない。

 

他の反論として、世間の反応を全く気にせず世間の評価に全く影響を受けずに生きていくことは現実的にはできないのではないかという論点がありうるだろう。これについては、他者から良い反応を得る事を目標にするのは収入を得るためとか今いるコミュニティで生き残るための手段であればやむをえない事であると言うべきである。例えば、お笑いで得る収入で生計を立てている場合や、いじめを受けている子供が周りを笑わせる事でいじめられなくなろうとしている場合などがそれにあたる。このようなケースであれば、いかに他者の価値観に沿うか(ウケるか)は死活問題である。このようなケースを例外とし、そうでない場合は他者の笑いの感覚に準拠して自分の発信する冗談・ジョークを評価することは理にかなっていない。

 

なぜなら、人間は自分の脳でしかこの世界を知覚できないからである。もしテレビゲームのキャラ選択画面のように「使用する脳」を複数から選べれば話は別だが、現実的にはこの世界には「自分の脳が面白いと感じる事」以外に「面白い事」は存在しないことになる。

 

「自分は面白いと感じるが周囲はつまらないと感じる内容」と「周囲は面白いと感じるが自分はつまらないと思う内容」が両方頭に浮かんだとして、もし後者を選んで言うという事を続けて生きていくとしたら、つまらない事を言い続けて「あーつまらないことばかり言ったな」「自分が面白いと思う方の内容は捨てて生きてきたな」という人生を送ることになる。この生き方が正しいと思う人はいないであろう。

 

そもそも、なぜ人は冗談を言うのかを考えれば、周りを明るくしたいから、自分のストレスを軽減したいから等様々であり、他人向けや自分向け等いろいろな向きの矢印が描きうるだろうが、それら全ての矢印は「そうやって自分が幸せを感じたいから」に辿り着くはずである。そしてそれは、自分が面白いと感じる事を通じてしか実現しないはずだ。「自分が面白くないと感じる冗談をあえて言って、それで誰かが笑ってくれて、それを見て自分が幸せになった」という状況はもちろんあり得るが、それは結果的にあり得るというだけであって目指すべき状況とはいえない。

 

2 「スベる」という概念

ここで、冒頭で述べた「スベる」という概念に立ち戻りたい。

 

「スベる」とは、筆者の認識では1990年代頃からお笑い芸人がテレビで使い始めたことで一般的に普及した言葉であり、冗談に失敗することを指す。

 

この失敗というのは、一般的には「ウケなかった」という意味であるが、「ウケる」「ウケない」という言葉は、元々の日本語である「受ける」という言葉から考えて、冗談を聞いた側の反応に準拠した言葉であることは明らかである。(ウケるというのは、お笑いだけでなく市販の商品やお母さんが作る晩ご飯のメニュー等についても、人気を博すとか売れるという意味で使われるが、受け手の反応によって定義されるという点は同じである。)

 

本稿における「スベる」の定義は「ウケなかった」という意味、すなわちそれを聞いたり読んだりした人にとって面白くなかったという状態に絞ることとしたい。なぜなら、仮に「スベる」の意味を「面白くないことを言う・する」と定義してしまうと、本稿の主張である「面白いかどうかを発信する時は発信者本人にとって面白いかどうかが重要」という文脈の中では、「スベる」という言葉が「自分自身が面白くないなぁと感じる事を言う」という意味になってしまい、実際に使われている用法から著しく乖離してしまうからである。

 

先ほど、面白さの判断基準を他人の脳味噌に委ねるべきではないと書いたが、「ウケる」事を目指し、「ウケなかった」=「スベる」と定義するのであれば、プロのお笑い芸人ではない者にとっては「スベる」かどうかは重要ではないという事になる。

 

3 「スベる」という概念の害への対処①受信者の心構え

「スベる」というのは自分の外に基準を置く他律的概念なので重視されるべきではないという事を明らかにした以上、「どうすればスベらないか」という問いは不要である。一方、これで「スベる」を巡る問題が解決したわけではない。問うべき問いは「スベるという概念のせいで発生する問題をどう減らしていくか」である。第3節と第4節では、それぞれ冗談の受信者と発信者の立場からこの問いに答えていく。

 

まず、受信者の側であるが、「スベる」という概念の普及がもたらした最大の弊害は「誰もが冗談を裁定する側として振る舞いやすくなる環境を作った」事である点を指摘したい。友人や知人に対して何の躊躇もなく「お前スベってるよw」「今のスベったな」等と偉そうに評価してくる奴があなたの身の回りにもいるのではないか。もちろんお笑いを評論するのは個人の自由である。だが、先述した「なぜ人は冗談を言うのか」の原点に立ち返ってみてほしい。それは「幸せを感じたいから」であったはずだ。たまたまそこに居合わせただけの友人・知人が、何の権限があってお笑い審査員として「面白くない」という否定的な裁定をノーリスクで他者に叩きつけることができるのだろうか。そのような行為が横行する世の中が、冗談を通じて幸せを感じやすい世の中と言えるだろうか。 

 

むしろ、その視点から目指すべき世の中像は、相手の冗談をけなし合う世界とは逆の様相を呈しているはずである。具体的な行動としては、①一見面白くない冗談の中から面白い側面を発見して評価する、②面白い側面が見つけらなければ、その上に自分が面白いことを被せて発信する、の二通りが考えられる。②は受信者が発信者の役割をと果たすことになるので本来は次の節で論じるべき内容であるが、実際には評論家になることに比べ発信者になる事ははるかに難しいので、誰にでもできることではない。評論家にしかなれない受信者は、自身の能力不足を自覚し、せめて①を心がけるべきである。自分が「冗談を通じて幸せを感じられる社会」に貢献するどころか逆にそれを破壊する方向の振る舞いをしていないか、「スベる」という言葉を自分がどう使っているかのチェックを通じて確認することが望ましいだろう。そして、プラスの貢献ができないのであれば、せめて負の貢献をしないように振る舞うべきである。

 

4 「スベる」という概念の害への対処②発信者の心構え

続いて、冗談の発信者が「スベる」という概念により生じる弊害をいかに避けるかについて論じる。

 

基本的には「スベる」ことを恐れなければよいのだが、実際には他者から評価されないと、周囲から迷惑な存在として煙たがられたりして、自分では面白いと思う事を言い続けても幸せを感じにくくなってしまうので、もう一歩踏み込んだ対策が必要である。

 

受信者が何を面白がるかをマーケティングするという行為は、金儲け等のために必要な場合のみでよいというのは既に述べた。

 

私が冗談の発信者に提案したいのは、「受信者に媚びるのではなく、受信者を教育する」というスタンスである。換言すれば、自分が聞き手の好みに迎合するのではなく、聞き手の好みを自分の方に引っ張るという事である。

 

ここで、一つ冗談やお笑いから離れた例え話をしたい。東京ディズニーリゾートに行ったことのある人は、カストーディアル・キャスト、通称「カストさん」と呼ばれる掃除係が異様な神経質さと迅速さで園内のゴミを拾いまくっていることに気づいただろう。それを見た人は普通「ゲスト(お客様)に常に美しい園内環境を提供したいからそうやっているんだろうな〜」と漠然と思うだけだろう。そしてそれは結論としては正しいのだが、運営側がこの事についてかつて言っていたのは、神経質なまでの清掃の徹底を通じて「ゲストを教育している」んだという事である。つまり、ゲストの見ている前で「ちょっとしたゴミでもいちいち神経質に回収する」「汚した箇所はできるだけ速やかに綺麗にする」という行為をやり続けることで、ゲストの無意識層に「ここは、いかなるゴミもポイ捨てしてはいけない、綺麗に保たなくてはいけない場所なのだ」という感覚を叩き込んでいるというのだ。確かに、パークを汚すのはゲストなのだから、ゲスト一人一人がパークを汚さないように気をつけるよう意識を高めることが、結果的にはゲストに常に美しいパークを提供する最も有効な手段ということになる。

 

このエピソードの構造は、「本来自分(運営側)の視点から発生する価値判断(パークを綺麗に保ちたい)を、その価値判断をその結果(美しく保たれたパーク)とともに相手(ゲスト)に提示し続けることで、相手の中に自分と同じ視点を構築する(ゲストが自分からパークを綺麗に保ちたいと思うようになる)」というものだ。これを冗談の発信になぞらえると、「冗談を言う側が、冗談とともにそれを面白がる感覚を、聞き手に提示し続ける事で、いつしか聞き手もその面白がり方を内在化し、その冗談を面白く感じるようになる」という事になる。

 

笑いの感覚というのは味覚に似ているといえる。子供の頃はただ苦い・クセが強いと思えたものも舌が経験を積む事により味わいと感じられるようになるように、いろいろな冗談に触れるうちに、今まで面白いと感じなかった面白さの角度・アプローチの仕方(俗に言う笑いのツボ)を面白がれるようになっていく。

 

しかし、「冗談とともそれを面白がる感覚を提示」するというのを具体的にどうやってやればよいのかという点は、お笑いを生業にしている者にとってさえも難しい問題と思われ、ましてや素人一般人にとっては現実的には相当困難な事であろう。基本的な作業としては、自分が面白いと思った事についての「追いコメント(いわゆるセルフツッコミを含むがそれに限らない)」が主たる要素となる。これについては今後機会があれば深堀りしたいが、ここでは論点が拡散してしまうし、すでに本項は長すぎるので割愛する。

 

5 まとめ

我々は自身の感覚に基づく知覚を通してしか世界を認識できないのだから、自分が面白いと感じる事以外に面白い事は存在しないと心得るべきである。

したがって、特に生活する上でそうする必要がない限りは他人が面白いと感じる冗談を言おうとすべきではなく、自分が面白いと感じる冗談を言おうとすべきである。

その観点から、他者の感覚に価値判断の基準を置いた「スベる」という概念は有害である。

冗談を聞いた側は、他者の冗談を「スベってる」などと評論する事は誰の幸せにも貢献しないので、聞いた冗談の中に面白さを発見するか、もしくはその上に面白い冗談を自分で被せる方向に向かって努力すべきである。

冗談を言う側は、他者に面白がってもらえるか心配するのではなく、自分がなぜこの冗談を面白がるのかという面白がり方を聞き手に提示し続ける事で、聞き手のお笑い的な感覚を育んであげるというスタンスを取るべきである。

結局ブログやらなかったな

結局ブログやらなかったな、今年後半。


理由は簡単で、実は別のTwitterアカウントをやっていて、そっちが楽しくなってきていたから。


このブログと今やってるTwitterをリンクするということは、考えなかったわけではないけれど、このブログが前のアカウントの内容を色濃く引き継いでるだけに、抵抗があるね。この点はもう少し考えるわ。


せっかくだからこのブログもっと気軽に使いたいね あとゴンゲ完結してほしい(人ごと…)

週3女子高生 第13話

だいぶ間が空いてしまい、せっかく考えてどこかに保存しておいたストーリー案がどこかへいってしまいました。

 

https://www.pixiv.net/member_illust_mod.php?mode=mod&illust_id=75454942

 

前回まで

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=71080976

 

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72684706

 

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72684754

人生の中で好きな瞬間

オナニーとかセックスとかパンチラ胸チラとかそういう系以外で僕の好きな瞬間ってどんなものがあるだろうかと考えてみた。ランキング方式ではなく思いついた順に書いていく。

 

日中に入る風呂

温泉が好きという人は多いだろうが、私の場合、お湯がたまっていればオーケーというに近い。大量の水が流れたり揺らいだり波打ったりするのを無心で見ていると心が洗われるのを感じる。

 

お湯自体は温泉なんだけど風呂場の雰囲気がイマイチなところは結構多いので、効能より見た目を優先、と書こうと思ったが、そもそも温泉は肩まで浸かってしまうとすぐのぼせてしまい、短時間しか楽しめないのがもったいない。

 

私はむしろ家の風呂やホテルの部屋風呂であっても、昼間にバスタブにお湯をはってボケーッとすることに喜びを覚えるという事に気付いた。夜にお湯をはるのは日常だ。朝とか昼に風呂に浸かる非日常性に惹かれるのかもしれない。

 

一人カラオケ 

カラオケはみんなでやるのも勿論楽しいのだが、1人カラオケの「やりたい放題、すべり放題」な感覚は、全能感と錯覚するほどの自由度に、心が踊る。ただし、気持ちの盛り上がりの度合いはかなりそのタイミングごとに大きく上下するのも事実であり、一人カラオケに行けば必ず幸せになるはず…だったのになぁ…という展開も稀にある。それでも数時間のうち少なくとも一度は信じられないほどの幸福感をおぼえることは保証されている。

 

旅館

旅行の中でも宿が好き。子供の頃は家族旅行に連れて行ってもらっていろんな観光地をめぐっても内心「早く旅館着かないかな〜」と思っていた。大人が行きたいと思う観光地は小学生くらいだと結構退屈ということもあってか、あるいは家以外の場所で寝泊まりする非日常によるワクワクのためか、宿が旅行のメインだった。なお、うちの家族旅行は、初期はわりと「ホテルではなく旅館」を貫いていたものの、値段や利便性などもあってか、途中から「ホテルでも旅館でも」に変わっていたのだが、洋風のホテルに泊まることになった時は「なんだ、和風旅館じゃないのか」と少しがっかりしたことを覚えている。意外と小さい頃から和風旅館が好きだったみたいだ。理由はおそらく、洋風のホテルだとよほど豪華でないかぎり非日常性が弱いからだろう。安いホテルだとちょっときれいな集合住宅と変わらないし。

 

 空港(特に初めて行く空港の探検)

私が空港に行くのは遊びの旅行よりも出張の方がはるかに多いので、最近は空港に行っても仕事モードの心境であるが、逆に言えば、こんなに仕事が嫌なのになんとか生きてるのは、空港にまだワクワクを感じることができているからであろう。

 

出張の時のイヤな緊張感を除けば、私は空港の全体的な雰囲気が好きだ。チェックインカウンター、保安検査、国際便であれば出入国管理など、普通の人からしたら面倒臭い数々の段取り、私は意外と嫌いではない(長時間待たされてうんざりした事は何度もあるが)。

 

特に初めて行く空港の、保安検査や出国手続を終えた後の、離陸まで時間に余裕がある時に、ゲートのあるエリアを探検するのが好きだ。時間がたっぷりあればそこで食事したりなんかして。

 

レストランの予約

レストランの予約という作業は嫌いではない。仕事の食事だと楽しさが半減するが、基本的に誰かと楽しい食事をするために予約する事が多いわけで、その準備が整うのは嬉しいしワクワクする。

 

仕事を終えて退社する瞬間

開放感が嬉しい。退社したくて出勤してるみたいなところある。似たようなことで、昼休みが始まる直前や始まった瞬間は好きな時間だ。

 

寿司タイムの始まり

 

高い寿司屋でなくても、回転寿司屋に行った時とか、なんならスーパーとかコンビニで寿司買った時ですら、かなりのワクワクと興奮を覚える。

 

好きな食べ物で気分が高揚するのは当たり前なのだが、寿司に関しては別に一番好きな食べ物ってわけでもないのに、ラーメンとか焼肉にはない、寿司独特のグルーヴ?ヴァイブス?がある気がする。

 

人生で好きな瞬間が性欲関係に偏りすぎているので、この話題で書くのは結構難しかった!

 

あなたはどんな瞬間が好きですか??