Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ゴンゲ #8

ゴンゲ #7

 

ジュネを乗せた馬が蹄を泥に切り付けながら僕の目の前にたどり着くまでそれなりに長い時間がかかったので、その間に僕の心は、予期せぬ出来事への意外感に加え、幾つかの混ざり合った思考と複雑な感情を心に宿した。まず、目の前で消えた希望の光が再び差してきたような単純な喜びは確かにあった。しかしそれ以上に、腹を括ってきっぱりと振り切ってきた甘えがズルズルと延長戦にもつれこんできたような煩わしさを少しばかり感じたことも否めない。

 

「どうしたんですか?」

僕の問いかけに、悲壮な面持ちで馬上の人となっているジュネは、幾分声を上ずらせながらゆっくりと大きめの声で答えた。

「私も役に立ちたいです

ジュネからの返答は、意味合いこそ想像通りであったものの、台詞の仰々しさは付けていた当たりから完全にフレームアウトしていた。

「ジュネさん、お気持ちは本当にありがたいと思います。でも、ジュネさんはまだ若過ぎますし、危ない目に遭わせるわけにはいきません。」

早く先を急ぎたいという焦燥感に猿ぐつわを噛ませて、少年少女が嫌いがちな子供扱いの物言いにならないよう無難な言葉を選びながら話した僕は、まるでベテラン教師のようだった。ジュネは思い詰めたような表情を一層固くしたかと思うと、慣れた動きで馬から降りた。ぬかるんだ地面に太めの脚がどちゃっと食い込む。

「宏樹さん!今は若すぎるとか言ってる場合じゃないですよ!それに

ジュネが眉間に皺を寄せた厳しい表情を一気に近づけてきて、迫力に押されるように僕は後退りした。

「私今まで誰の役にも立たなかったから頼ってもらえてすごく嬉しかったんですだからお手伝いさせてください!」

この言葉によって、僕とジュネの協力関係が、僕の身勝手な要望に端を発する巻き込み事故ではなく、ジュネ自身の過去への決別という新しい意味を帯び、僕自身の価値判断とは別のところで正しさを獲得した。わざわざ僕をここまで追いかけてきた事自体が彼女の覚悟の表れでもあった。

 

僕は、力強くこちらを見据える黒目がちな両眼を視界に捉えながら、ジュネを連れて行くことの問題点について脳内で検討を加えていたが、最終的に彼女のサバイバル能力を信じることにした。

「わかりました。では一緒に行きましょう。」

僕の言葉を聞いたジュネは、無邪気に喜ぶわけでもなく、あたかもそうなる事がわかっていたかのように落ち着き払って僕の手を取った。

「乗ってください。」

一瞬なんのことかわからなかったが、ジュネの視線が馬に流れたことでその意味を理解した。

 

2人も乗ったら重過ぎないのかという心配と、乗馬に慣れていない僕が落馬しないかという心配が俄かにこみ上げてきた。しかし、いざ乗って移動してみると、少なくとも僕の見る限り、馬はそれほど辛そうな様子はなかった。そして、ジュネは僕が落馬するほど激しくは馬の歩みを進めなかった。勿論上半身のバランスを取りながら馬上に座しているのは容易ではなかったが、それでも2人で延々と徒歩で歩き続けるよりは早くて楽であるように思われた。

 

油断ならない馬の背中の不安定さのせいか、あるいはこの状況に至る経緯のせいか、あまり穏やかに雑談などする雰囲気ではなかったため、基本的には無言の旅路であった。それでも、物怖じしないジュネの方から話を切り出したりして、お互いの身の上がぽつりぽつりと断片的に語られることとなった。ジュネはヤツら一味の事を少し訊いてきたものの、話がうまく飲み込めないと諦めたのか、その後は専ら僕自身のことを訊いてきた。僕もジュネ自身の事を訊いてみたが、僕はその事を少し後悔する事になった。

「それで、もう家を出るしかなくってでも頼れる人なんかいないし、お腹も空いて知らないうちに道端で倒れちゃってたらしくて、気がついたらゴンゲさんの部屋で介抱されてたんです

「そうだったんですかそれであのバーに

ただでさえ重苦しい空気を少しでも軽くしようと雑談をしているのに、結局それ以上ないくらいに重くなってしまっているではないか。

 

このように場の空気が重くなってしまった時はここにいない第三者を話題の中心にすれば生々しさが消える。僕は普段の会話でもこのテクニックを使っている。

「ゴンゲさんってどんな人ですか?」

「えっちが大好き過ぎる人。信じらんないくらい。」

即答だった。やはりゴンゲに対する周囲の評価は一定しているようだ。

「彼女何者なんです?どうやって生活してるんでしょう?」

直前の質問と異なり、ジュネの返答までは明らかに不自然な間が空いた。そんな事も知らずにあのバーに来たのか、とでも思われただろうか。

「特に働いてないと思うゴンゲさん、ファンが世界中に沢山いるから生活に困る事はないです。」

世界中とは大したものだ。しかし、それは彼女が性的なサービスの対価として生活の糧を得ているという意味なのだろうか?ゴンゲさんは娼婦なのですかとはさすがに訊けない。

パトロンというかスポンサーが付いてて、お金とか家とか与えてくれるみたいな感じですか

「お金の事はよく知らないけど、住むところはあちこちにあるっぽいですよ

住むところ、か。そういえば泊まるところを考えなければならない。すでに辺りは暗くなり始めている。もう少しいけば小さな集落があったはずだ。

 

家々が見えてきたところで、僕はジュネに今夜はこの集落で休息を取るよりほかないだろうと説明した。ジュネは、馬を休めさせる事ができそうで安心したと答えた。しかし、闇がのしかかるかのようにぐんぐんと暗くなっていく空と同様、僕らの心持ちにも影が立ち込めてきていた。屋外に人間が一人も見当たらないのである。どの家も決して朽ちたりはしていないし、ゴーストタウンと呼ぶには違和感があるという程度にはメンテナンスされている感じを受けるものの、建物の中から物音もしないし生活感のある匂いもしない。意を決していくつかの家のドアをノックしてみたものの、全て無反応だった。

 

僕らは、完全に暗くなってしまう前に風と夜露を凌げる場所を探しあてようと躍起になった。ようやく集落の外れに鍵のかかっていない小屋を見つける事ができた時には、思わず情けない安堵の声を漏らしてしまった。ジュネがクスリと笑ったような気がした。

 

その小屋は荷物置き場として使われているように見えたが、運のいいことに水道が通っていた。僕らは夢中で喉の渇きを潤し、馬にもたっぷりと水を飲ませることができた。勿論ベッドなどなかったが、何に使うのかよくわからない厚めの布があったので、ジュネにはこれを布団代わりに敷いてやり、僕は固い床にそのまま横になる事にした。

 

こんな粗末なところに寝泊まりしたことなんかないでしょう、という言葉を何気なく口にしそうになったが、すんでのところでギリギリ留まった。危ないところだった。先程の話ではジュネは家を出てからは行き倒れるほど過酷な生活を送っていたのだろうから、ゴンゲに保護されるまではおそらく野宿も幾度となく経験してきた可能性が高い。ただ、今のジュネは決して小屋で寝るのがお似合いというような雰囲気ではないので、ついそのハードな過去を踏まえない馬鹿な発言をしそうになってしまったのである。

 

「宏樹さん」

とっくに寝たと思っていたジュネが、暗闇の中、僕の覚醒度を探るような声で僕の名を呼んだ。

「なんですか?」

 

ジュネに困った事が起きたのかもと思い上体を起こすと、さっきまで遠くにあったはずのジュネの気配がいつの間にか目の前まで迫っていた。すでに暗闇に十分慣れていた僕の目は、初めて見るジュネの両肩の肌を捉えた。思えばなぜ肩がはだけているという認識が先に脳に飛び込んできたのか不思議である。ジュネはその時点ですでに腰から上の全ての肌を露わにして僕のすぐ側に両膝を着いて僕を覗き込んでいたのだから。

 

(続く)