Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

マジックミラー号についての考察(その1)

マジックミラー号をご存じでしょうか。

ソフトオンデマンド社のAVの中でも超有名シリーズで、AVをほとんど見ない男性でもその存在は知っているという人もいるくらいの人気作品群です。DMM.R18で「マジックミラー号」で検索したところ、2200件近くがヒットしました。「マジックミラー号」というカテゴリも作られておりそこには134タイトルが登録されていました。

 

念のため説明しておくと、マジックミラー号とは、荷台が部屋になっている車で、その一面がマジックミラーになっていて、その中で様々な関係性の人間がセックスをするのですが、マジックミラーにより、部屋の中にいる者及びAVを観ている者には、あたかもそれが公衆の面前でセックスをしているかのように見えるという作品です。

 

この作品は、これだけのヒットシリーズになるだけあって、非常に巧みな要素が含まれており、分析的に見れば見るほど、ただのマジックミラーの特性を利用した疑似屋外露出が本質ではないことに気付かされます。

 

2回に分けてマジックミラー号作品を分析したいと思っています。

今回は、マジックミラーそのものの役割の意外性について書き、次回でマジックミラー号作品の最大の魅力はマジックミラー号というセッティングそのものにはないという点について書こうと思います。

 

さて、マジックミラーそのものの役割の意外性です。

 

おそらくですが、このシリーズを最初に考えた人は、「マジックミラー貼りの部屋をロケに持ち出せれば、疑似的な野外セックスが撮影できるんじゃね?」と考えたのではないかと思います。つまり、マジックミラーの特性を活用するというスタート地点に立って考えた上で、「マジックミラー」に「可動性」という要素を掛け合わせて新しいものを作ったという認識だったのではないかと思います。それはそれで十分に天才であり、AVの歴史上で見ても相当重要な発明として高く評価されるべきでしょう。

 

しかし、実際に作品が作られることで、おそらく一部のスタッフは気付いたのでしょう。マジックミラー号で得られる成果は実は「疑似的な野外セックス」ではないことに。むしろAVの世界においては野外セックスを野外セックスのまま撮影することは、一般人の青姦よりもハードルが低いと思われます。わざわざ「動くマジックミラー」を用意する目的としては「疑似野外セックス」は弱いのです。

 

では、おそらく実際にやってみた結果として副産物のような形で発見されたと思われる、マジックミラー号ならではの成果物とは何なのでしょう。

 

ここで、いったん次回書く予定の領域に一部踏み込んでしまいますが、マジックミラー号では毎回様々なシチュエーションが用意されます。“素人”の男女の友人同士のセックス、彼氏を外に待たせてAV男優と“素人”の女性がセックス、“素人”女性の友人同士のレズセックス、友達同士の2カップルのスワッピング、AV女優による“素人”童貞男性の筆おろし、等等…この引用符付きの“素人”というのはもちろん設定上のということですが、AVの世界では設定を受け入れることが前提となりますので、カメラの前で恋人でもない相手とセックスすることに一定の抵抗を有する“素人”であるということが重要な要素となってきます。

 

そして、ここが重要なのですが、普通に考えて、ホテルの一室で恋人とセックスするのと、通行人がすぐ目の前を通っているのが見える状況下で恋人とセックスするのでは、どちらの方が抵抗があるでしょうか。もちろん後者の方が抵抗があるに決まっていますね。そう考えると、マジックミラー号の中でセックスするということは、普通にセックスするよりもさらにハードルが上がる、そう考えるのが自然なことです。マジックミラー号で疑似的な野外セックスが撮れる、と考える視点はまさにこの思い込みに立った立場です。

 

しかし、実際は逆で、マジックミラー号は、“素人”が不自然なセックスをすることのハードルをむしろ下げる効果があるのです。それはAVの視聴者の視点から見れば、本来であればそんなに軽々しく知らない人とセックスするはずのない“素人”が、本来であればセックスしない相手とセックスするという状況に、むしろ説得力を持たせる効果があるということでもあります。

 

なぜでしょう。

 

それは、本来であればセックスしない相手とセックスしているということへの違和感や抵抗感が、通行人がすぐそこを歩いているところでセックスするということの異常性により、相対的に薄まるからです。

 

出演者の視点で言えば、そこに出演する“素人”は、マジックミラー号の中に入って「うわー丸見えじゃん・・・でも外からは見えないんだよね・・・」と強いインパクトを受け、それにより、恋人ではない相手とのセックスが持つ異常性から目を逸らされるのです。マジックミラー号という異常な環境が目くらましとなるわけです。そして、セックスを始めるにあたり、当然迷いやためらいが発生しますが、それが、もともとは恋人ではない相手とセックスするという不自然さから来ているはずなのに、そうではなく自分がマジックミラーの中でセックスをすることに対して感じている迷いやためらいなのだと錯覚するのです。AVを見る者の視点で言えば、そのように錯覚するのが当然なシチュエーションが用意されているおかげで、“素人”が恋人ではない相手とセックスするという状況に、いっそうのリアリティを感じて、より興奮できるというからくりなのです。

 

すでに述べたとおり、私は、このシリーズが企画された最初から、スタッフがこのからくりに気付いていたとは思えません。おそらく、疑似的な野外セックス的発想からスタートしたのだと予想します。それでもどこかの段階でマジックミラー号が持つ上記のような全く想定と異なる潜在力に気付いたことは間違いありません。しかし、もし、もし仮に、第一回のマジックミラー号の撮影の段階から、上記のようなからくりにスタッフが気付いてこのシリーズを始めていたのだとしたら…それは天才などというレベルの言葉では片付けられない、畏敬の念のような、それでいて「世にも奇妙な物語」を見た時のようなある種の恐ろしさを感じずにはいられません。

 

次の機会には、マジックミラーとは無関係の、マジックミラー号の魅力について考察します。