Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

わいせっつ妖怪ファイル⑩妖怪丈詰め

「わいせっつ妖怪ファイル」シリーズの10こめを描きました。

 

 

pixivにも投稿しました。

www.pixiv.net

 

女体を描いている時、人生における幸せランキングのベスト10に入るかもしれないです。女子高生を描くのが特に幸福度高し。

私が個室DVD鑑賞店に行く理由

私が個室DVD鑑賞店に行く最大の理由は「オナニーに集中できるから」である。

 

個室DVD鑑賞店に行って、メシ食ってテレビ見てお笑いか映画のDVD見てシャワー浴びて雑誌めくって毛布にくるまって寝るだけの簡易ホテル的な使い方をすることは理論上は可能であるが、そこで一切ヌカないというヤツはいない。ほとんどのDVDの棚がエロDVDなのだから。そもそも店内には男子トイレしかないのだから簡易ホテルのはずがない。個室DVD鑑賞店が「男性がオナニーをするために作られた空間」であることは否定しようのない事実であり、これこそが私が個室DVD鑑賞店に行く理由なのである。

 

家でもAVは見られるしオナニーもできるが、私の家は集合住宅なので、近所を気にしてヘッドフォンを付けるし、「あぁッ、○○ちゃん!いいよ!いい!あぁー」などという自分の声も遠慮がちにしか出せないのである。

 

その点、個室DVD鑑賞店は、一部の店舗では各部屋が防音になっており、互いに他の部屋に音が伝わりにくくなっている。このような防音タイプの店舗ではヘッドフォンを使わずに見ることができ、ヘッドフォンを煩わしく感じる私のようなタイプの人間にとっては非常に快適だ。また、防音と言っても多少はよその部屋の音が聞こえるが、しょせんお互いに誰なのかも知らない関係であり、ご近所さんに聞かれるのは訳が違う。個室DVD鑑賞店の利用とは、オナニーをする上で発生しがちな制約を可能な限りとっぱらうことにカネを払うということなのである。

 

また、家にはオナニーに関係ない機能の方が多い。「オナニー純度」の低い空間と言うべきである。単に射精するだけならどこだっていい、ある意味公衆便所でもいいはずだ。しかし、オナニー=単なる射精ではない。オナニーとは時間を優雅に過ごすということであり、また自分自身を発見するための修行でもある。そう考えると、優雅さと厳しさのいずれの点でも自宅は不十分である。大量のAVが置いてあって「時間内でどれでも好きなだけ観てもいいし何回交換してもOK!」となっている個室DVD鑑賞店、まさに「性欲のビュッフェ」である。この贅沢感と、誰にも邪魔されないAV世界への没入感は、優雅に時間を過ごすという精神に通じる。また、「シコるためだけに作られた空間」はさしずめ「オナニー道場」であり、ドラゴンボール風に言えば「精子と時の部屋」であり、性欲ド直球の場所なのにどこかストイックな厳しさを秘めている。このように優雅さと厳しさを兼ね備えたオナニー純度の高い空間を確保することにカネを払うということも、個室DVD鑑賞店の利用の意義なのである。

 

 

こんにちは!アイーシャです!

こんにちは!╰(*´︶`*)╯♡

リトグリことLittle Glee Monsterの新入りメンバー、アイーシャ(14歳)です!

 

ここ最近はテレビやラジオ、雑誌でも新メンバーとして取材を受けたり紹介してもらう事が増えました!いつまで経っても慣れないわー( ;´Д`)

 

メディア対応ではいつもスンバラシイ活躍をしてくれているのが、「歩くヴィレッジバンガード」ことmanakaちゃん!本当に頭の回転が早いし話の引き出しもいっぱいあって憧れちゃいます^_^

 

manakaちゃんと言えば、なんと言っても「神様がくれた声質」と言われるあの太くてカッコいい声!初めて生で聴いた時は、感動で重力が歪んで、右目から流れた涙が左目に吸い取られちゃうほどでした!イニシャルmanaka生声を聴いた私の頭に浮かんだ言葉は「スモーキー」でした。普通スモーキーな声って言ったら、かすれてたり濁ってたりする声を言う事が多いから、響きが豊かなmanakaちゃんの声をスモーキーって表現するのは変かもだけど、なんかそう感じたんだよね~。ただの肉と燻製肉では香りも味の深さも違うでしょ?manakaちゃんの声の燻製のようなアダルトで落ち着いた味わい深さが、スモーキーという印象を与えるんでしょうね~( ^ω^)

 

私以外のリトグリメンバーを「濡れ声」系と「燻製声」系に分類するとして、manakaちゃん以外で「燻製」系に入るのが、かれんちゃん!でも、強いて言えば「技術のかれん、響きのmanaka」って感じかなーって勝手に思ってるんだ(勿論かれんちゃんの響きもmanakaちゃんの技術もエグいくらい凄いんだけどね)。別の言い方をすれば、かれんちゃんは中華料理でmanakaちゃんはイタリア料理かな中華料理って多様な調理手法と複雑な調味料が一大体系を形成してるじゃん?でもイタリアンって、素材の良さが素直に皿の上に表現される感じで、調理法も調味料もシンプルだよね?

 

じゃあ私は何料理を目指そうかな…エチオピア料理??酸っぱいクレープに激辛おかず…ダメか…

○┼< バタッ

 

前回のポストにコメントたくさんありがとう☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

>はしもんさん

応援ありがとう!早くメンバーのお荷物にならないよう精進します!!

 

>Broさん

そうですね!私はリセッシュの方が好きです!

 

>ダイモンさん

そうなんですよー!思わずクレ556買っちゃいました!

 

>8075さん

えーじゃあちょっとだけですよ…

ニョロニョロ~

やだもう!ヤツメウナギの物真似なんてやったことないし!!

 

>瑠璃香さん

ありがとうございます!これからも是非お願いします!でも唐獅子模様はやめた方がいいのでは…(^^;;

 

ではでは皆様、お元気でー(^^)/~~~

 

P.S. アイーシャのお兄ちゃんが尊敬するアーティストは風見しんごだよ

手コキ論

AVのみならず風俗においても言えることですが、手コキは過去10~20年くらいで急激に存在感を増してきたプレイです。

 

もちろん、100年前も200年前も、女性が男性の陰茎を手でしごくという動作はあったでしょう。しかし、それは基本的に「代替としての手コキ」であったと思われます。具体的には「膣への挿入の代替としての手コキ」という位置づけが最も多いケースと思われ、この代替性は数百年前と言わず、それこそクロマニヨン人とかその頃からあったとしてもおかしくありません。例えば、陰茎が膣に刺さるほどの硬さに満たない場合に女性が手で刺激を与えて支援するとか、月経等の理由で膣への挿入が為し得ないために代わりに女性が手で射精に導くということは、特定の文化的文脈がなくてもあらゆる時代や文化で自然発生的に且つ同時多発的に起こりうると考えることが自然だと思います。

 

ちなみに、フェラも、もともとは「膣への挿入の代替としてのフェラ」がもともとの位置づけであったと思われます(wikipediaの「フェラチオ」のページの「歴史」の項を見ればフェラが相当昔からあったことがわかります)が、歴史を積み重ねるごとに、フェラ自体が様々な文化的背景やそれによる「趣き」を獲得していった結果、フェラは単なる代替物という枠を超えて、膣挿入と並ぶ存在、もしくは膣挿入を上回るプレイとして位置づけられるに至りました。そして、これと同じような経緯を、手コキが辿りつつある、もしくは近年は「辿り切った」ということなのではないかと思っています。

 

問題は、フェラが単なる代替物以上のものとして見なされるための素質が、フェラの本質 - Bustle Pannier Crinolineで述べたような口周りが必然的に持つエロさにより、かなり早い段階で存在していたと考えられるのに対し、手コキの持つエロさは相対的に必然性が低いということです。手コキに対する女性側の抵抗感はフェラよりはるかに小さいと思われますが、それがかえって、エロさの尺度では挿入やフェラの足元にも及ばないものと位置づけられやすくなってしまうのです。

 

では、なぜ過去10~20年くらいで手コキがAVや風俗における市民権を獲得したのでしょう?それは、逆説的ですが、まさにAVや風俗が発展してきたからこそ、手コキの地位が確立したと言うべきなのです。

 

売買春が違法とされる日本において風俗は、「たまたま風呂屋で出会った湯女と自由恋愛した」という建前(ソープランド)か、「性器の挿入がされてないから売買春じゃないもん!」という建前(本番なしのヌキ系風俗)の2通りの方向性で発展してきたと思います。AVにおけるモザイクなども後者の建前と同根ですね。そして、後者においては、膣への性器挿入以外の方法で客を射精に至らせる必要があり、そのバリエーションというのは基本的には素股、フェラ、手コキ(次点でパイズリ)しかないのです。なぜなら、風俗を利用する男は原則として女性の肉体により射精することに価値を見出しており、時代が変わっても女性の身体の構造は変わらないので、どんなに科学やテクノロジーが発展しても女性の身体を使って射精に至るほどの刺激を与えられるようなプレイは限られてくるからです。そして、この文脈で手コキがフェラや素股とともに「膣挿入以外の必殺技」の1つとしてカウントされ続けた結果、文化的背景や「趣き」の蓄積を経て、「膣への挿入に勝るとも劣らない」という意味でフェラと同等の地位を手に入れたということがまず1つあります。

 

また、ヌキ系風俗のフィニッシュ・オプションとして手コキを選ぶ男性が、20~30年前と比較して近年の方がだいぶ多くなっているとどこかで読んだことがありますが、この理由はAVの発達により男性の手淫が拡大したことが理由ではないかと考えられます(ちなみにAVの発展がVHSの一般家庭への普及とレンタルビデオ屋の登場によりもたらされたことはよく指摘されていることです)。手淫自体は太古の昔からあったと思いますが、文化としてのオナニー史における最大のパラダイムシフトは、オナニーのオカズが静止画から動画へと変わったことでしょう。AVは、静止画よりもはるかに多くのことが表現できるため文化的にも奥行が生まれ、また当然刺激も静止画より強いです。したがって、AVの登場により、日常的に陰茎に激しい刺激を自分で与える人口や、一人あたりがそれに費す時間が大幅に拡大したことは、間違いありません。結果として、手による刺激が最も気持ちよく(そして最も上手く)イケるという手淫体質(ひいては膣内射精障害)の男性が増え、風俗においても人気オプションとなったのです。

 

また、上記の経緯により、AVそのものにおいても手コキシーンが単なる挿入の代替物という以上の存在意義を持つものとして扱われるようになったというわけなのです。

 

ここで紹介しておきたいのが、AV関係者が指摘する手コキの意義です。ソースは忘れましたが、AVで手コキが重要な理由としてAV関係者が挙げていた理由はこのようなものでした。

 

①フェラや膣内射精では、精液が発射される瞬間を女性が見ることがない。精液の発射を見て女性は様々な反応を示す。うっとりしたり、大喜びしたり、びっくりして泣き出したり…そのような反応が見られるのは手コキだけ!

②フェラ中はしゃべれない。せいぜいフェラを中断して「気持ちいい?」等を言うのが関の山であるが、手コキであれば、いつでも言えるのみならず、言える長さも変わってくるので当然言う内容の質も全体として向上、AV演出としての可能性も広がる。

 

これらは、まさに手コキが獲得してきた「手コキならではの魅力」の例だと思います。

 

最後に、私自身が考える手コキの意義についての分析を紹介して終わります。

 

手には、口周りがそうであるように、それ自体に秘められた重要な意味があるのではないかと思います。それは、「コントロール性」です。「掌握」「把握」「手のひらの上で踊らされる」「手を下す」「手を加える」といった熟語や表現を考えれば明らかですが、手というのは、何かを支配し操作するという「圧倒的な主体性・随意性」の象徴なのです。実際には人間は随意運動により手に限らずほぼ全身の主要な部位をコントロールしている事を考えれば、この象徴的な意義づけは心理的なものと考えられます。翻って手コキを考えてみれば、どうでしょう。男性にしてみれば、自身の陰茎を女性の性器や口や乳房に預けるとすると、もちろんそれらが快感を与えてくれはするのですが、手に預ける場合と比べて、相手の「操作・コントロール」のもとに置かれる感じは弱いのではないでしょうか。自分の陰茎が女性の「圧倒的な主体性・随意性」のもとに置かれ「相手の自由にされてしまう」感覚こそが、手コキの醍醐味であり、また手コキに単なる膣挿入の代替物以上の存在としての地位を与えるものなのではないでしょうか。

 

そして、手コキが射精オプションとして普及することで、上記のAV関係者や私が指摘したような手コキの醍醐味が広く認識され、さらに手コキが普及する、という正の連鎖によって、過去10~20年の手コキの躍進が起こったと言えそうです。

 

 

 

 

 

 

はじめまして!アイーシャです!

初めまして!この度リトグリことLittle Glee Monsterに7人目のメンバーとして加入したアイーシャ(14歳)です!よろしくお願いします!m(_ _)m

 

みんなと仲良くやっていけるか不安だけど、メンバーみんな凄く優しいし親切にいろいろ教えてくれる。。。。゚(゚´Д`゚)゚。ありがとー!

 

こないだ初めて7人で声出してみたんだけど、とにかく圧倒されっぱなし!とにかくみんな声量が凄いし、まるで呼吸をするようにハモってて、もう感動と緊張が押し寄せて頭グラグラしたから「Carpe diem!!」って絶叫しながら千鳥足とダッシュ両立させつつ家に帰ったらぐったり(;´ρ`)ドッと疲れが出たから思わず鶏もも唐揚げ黒酢あんかけ定食作って食べた。。。

 

そうそう、、、ガチガチに緊張してた私に一番たくさん話しかけてくれたアサヒちゃん!ええ人やー(TωT)

 

パワー系歌唱の使い手が多いイメージのあるリトグリにあって、謡曲好きのアサヒちゃんは、一見声量が足りないとか思われがちかもだけど、リトグリの歌声に優しさをもたらすアサヒちゃんの存在は必須!^_^

 

麻珠ちゃんとも共通する「濡れ感」のある声質と「しゃくり」にだけ注目して、アサヒちゃんに「麻珠Jr.」略して「ピッコロさん」っていうレッテルを貼るのは簡単かもしれない。でも「エモーショナルの女王」と呼ばれる麻珠ちゃんの感情がとめどなく溢れでるような声と、アサヒちゃんの感情を内に秘める大和撫子ちっくな声質は、どっちが上とかいうことはなくて、どっちも必要だから ヾ(○゚∀`*)ノ

 

天然ボケキャラみたいな扱いをされがちなアサヒちゃんだけど、もったいないなーと思いました ( ̄‥ ̄)=3 フン

 

素晴らしいパイセン達の背中を追いかけて、精一杯がんばりまーす!ヽ(^Д^)ノ

 

P.S. アイーシャの好きなアイスは秘伝忍法帖だよ♪

AVにおけるキスシーン

 

 

 冒頭からいきなりいくつか自分のツイートを引用しました。

 

AVに興奮する類型は大きく分けて、①女体の形状や質感に興奮する、②状況に興奮するの2パターンあるのですが、この②をさらに分類することができて、その大部分を占めるのが「相手との関係性に興奮する」というものです。

 

キスになぞらえて上記を考えると、①は例えば舌や唇のヌメヌメした質感にエロさを感じる、という状態がそれにあたると思いますが、さらに拡大解釈して言えば、エロイのは口まわり全てであり、舌だけでなく唇や歯もエロイのです。この口まわりのエロさというのは、この前の「フェラの本質 - Bustle Pannier Crinoline」という記事にも書いたとおり、見ても平気なモノ・触れても平気なモノ・匂いを嗅いでも平気なモノの範囲と比較して口に入れても平気なモノの範囲は極端に狭いがゆえに、何かを口にすることがそれに対する最大限の親密性を示すことになるという点に直結しています。つまり、口まわりに興奮しているとしてもそれは①ではなく実は②であり、相手との親密性に興奮していることに他ならないのです。

 

口に入れても平気なモノの範囲が狭いことは、毒や危険が体内に取り込まれないように口腔内や唇が敏感な作りになっていることを意味しています。それほど神経が発達しているところに、異性のこれまた神経が異様に発達しているところを接触させるのですから、性的なダイナミズムが脳みそに直接叩き込まれるようなものです。

 

初めて実際に異性とキスをすると、それが単なる漫画やドラマで見てきたような、「手をつなぐ」と「セックス」の間にあるステップとか儀式ではないことに気付くでしょう。キスとは、互いの脳みそを口経由で直結し、あからさまなまでのセックス(性器の挿入行為ではなく、性という広い意味)を交信するような行為であることを思い知るはずです。

 

異性とキスをしたことのない者は、そのことを知らないため、「手をつなぐ」の次の段階のステップでしかないキスシーンは、AVにおいては退屈で不要なシーンとしか思えないでしょう。

 

一般的に、歳を重ね、経験を積んでいけばいくほど、①よりも②が重要になってくるといえると思います。逆に若い頃は①が重要なので、乳房や性器そのものの扱いがAVの良し悪しにおける決定的な要素となりがちです。キスシーンは①の側面が弱いので、若い頃にはキスシーンの重要性があまり理解できない場合が多いのではないでしょうか。①は深めようと思っても限度がありますが②はいくらでも深まっていきます。②の側面が圧倒的に優位なキスシーンは、AVにおける最も奥深いシーンの1つであり、今後いくら歳をとってAVを見ていっても飽きがこない要素でもあると思います。

AV女優のTwitter

AV女優の中には、ツイッターでちょいちょいエゴサしては自分の名前が呟かれているツイートを流れ作業的にふぁぼっている人が結構いるようだ。私もたまにされるが、ちゃんと読んでいるかどうかも怪しいし、もちろんフォローされない。

 

ただ、私がツイートの中でその人の名前を一度も出したことがないのに、自ら私をフォローしてくれた女優さんが1人だけいる。

 

AV女優やアイドルは基本フォローしないので放置していたが、その女優さんは私へのフォローを外さなかった。そもそもかなりの数のフォロワーを擁しておりフォロバ目当てのフォローなど必要ない方のはずなので、この方はちゃんとツイートを読んでくれているのかも!とちょっと喜び、結局フォロバもした。

 

自分を宣伝してくれることを期待してのフォローという可能性もゼロではないかもしれないが、それはそれで構わない。私は「●●という理由でフォローしてくんじゃねえ」とか「●●という理由でフォロー外してんじゃねえ」とか一切思ったことはない。でも、これまで一切この女優さんのことを宣伝していないのにフォローが外れないどころかたまにふぁぼをくれたりするので、単純に「読みたい」と思ってくれているのだと思うことにした。そうなると、嬉しくて、愛着がわいてしまい、結果としてはファンになってしまうのだから、性欲100%のオッサンは結局チョロすぎるということなのだろう。