Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

わいせvsまなか その2

会社ではゴミクズのような存在なるもひとたびツイッターで性欲関連のツイートを紡ぎ始めれば急にギラギラと輝き出すわいせっつー氏。幼くして天性のセンスと歌声で世の中を圧倒し続け今や大人への脱皮の過程でさらに高次元に昇ろうとしているLittle Glee Monstermanakaこと福本まなか。決して出会うはずのない、出会ってはいけない2人が、3月都内某所で対談した。(※この対談はフィクションです。)

 

第1回から続く)

わいせっつー(以下わいせ)「僕は基本的にエロいことばかり考えてますよ。でも、それって女の子とイチャイチャしたいとかナンパしてやろうとかを常に考えているわけではなく、内より湧き出る性欲を常に見つめているという事なんです。」

 

福本まなか(以下まなか)「自分の中から湧いてくるものを自分で見つめるのって難しそうですね。」

 

わいせ「まなかさんは芸術家なので内から湧き出るものに突き動かされて活動されているものと想像しますが、他者からの評価ってどのようにお考えですか?」

 

まなか「他者からの評価って、ファンの皆さんからの意見とかですか?それともボイストレーニングの先生の意見とか?」

 

わいせ「つまりですね、まなかさんのように表現を生業にされている方は、周りがなんと言おうと私が良いと思う方向に歩いていく…!というのが理想的なわけですよね。でもプロとしてやっていくため、例えば『こういう路線で売っていった方が人気が出る』『こういう曲の方が売れる」みたいなことを考慮することもありえると思うんです。」

 

まなか「あー…つまり、周りから評価されて“売れる”こと自体が大事かというような話ですかね?」

 

わいせ「仰る通りです。」

 

まなか「私は両方やらないとダメなんじゃないかなって思ってて。両方っていうのは、自分の歌を貫くということ、その上で、やはり売れることを目指すべきだと思ってます。」

 

わいせ「世の中には、とても優れたアーティストが、世間に知られないまま、商業主義に染まらずに世界観を保っていたりしますよね。売れると『マイナーな頃は良かったのに』と批判されたり……。それでもやはり、まなかさんとしては、売れないとダメだろうということなんですね?」

 

まなか「まず、売れてないミュージシャン=ダメと言ってるのではなくて。尊敬すべきアーティストは売れている人の中にも売れてない人の中にもたくさんいます。私が言っているのは自分自身の姿勢のことですね。自分には『もっと売れる』というテーマを課していますよ。」

 

わいせ「その理由で一番強いのってなんですか?」

 

まなか「売れたからこそ、今までよりも多くの人に歌を届けることができると思っているからです。売れたからこそ、良い機材でレコーディングさせてもらえて、大きいレーベルで発売させてもらえて、宣伝もしてもらって、テレビやラジオにも出させてもらって、より大きなキャパの会場でライブができる…」

 

わいせ「独りよがりで音楽やって誰にも聞いてもらえないまま死んでいったら、勿体ないですもんね。」

 

まなか「そういうふうに『売れなくてもいい、コレが私の音楽やから!』って閉じこもっていくのも1つのやり方とは思いますが、わたしたちは多くの人の心に爪痕を残したいと思って歌をやってるんで、そういう態度を取ることはありえないんです。でも、自分たちの音楽を忘れて売れ線ばかり考えた結果として売れたとしても、それは私たちの本当の姿ではないから、それは意味がないと感じるんじゃないかなと思います。」

 

わいせ「非常に示唆に富んだお話をお伺いしました。なぜこんな事を伺ったかというと……いや、これ並列に語ることすら大変失礼にあたるかもしれないんですけど、ツイッターやってると『人気って何?ツイートが評価されるって何?いいねって何?』という問いに直面しがちなんですよね。すみません、ホント全然次元がちがう話で!僕は仕事でツイッターやってるわけではないので、同列にしてしまったことを謝ります。」

 

まなか「わかりますよ。今はリトグリみんなのアカウントになってますけど私もツイッターやってたし、個人ではインスタもやってるんで。」

 

わいせ「正直に言うと、僕はツイッター始めた時は『フォロワーたくさん増えてほしい、人気出てほしい、できれば有名なアカウントになりたい』って結構本気で思ってたんです。今思えば実に恥ずかしい話です。」

 

まなか「いえ、全然恥ずかしくはないでしょう。誰しもそれはあるんじゃないでしょうか。」

 

わいせ「ツイートを一生懸命考えて、自分なりに工夫に富んだと思えるようなことを呟いているのに、全然『いいね』が増えなくて、正直最初の一年か一年半くらいはストレスでした…」

 

まなか「誰かに強制されてやってるわけではないんでしょうし、ストレスに感じるくらいならやめてもよかったんじゃないですか?」

 

わいせ「冗談を言うこと自体は楽しかったんですよ。で、ある日、僕の冗談が珍しく多めにRTされて多くの人の目に触れたんですけど、フォロワー数は全く増えなかったんですね。それまで僕のツイートはそもそも埋もれてるからフォロワーもいいねも増えないんだと僕は思ってたんですけど、世間の目にある程度触れても特筆すべき違いは生まれない、世間的には僕はつまんない奴なんだっていう現実に直面せざるを得なかった。今だったら、たとえ面白いと思った人でもフォローするとは限らないとわかるんですけどね。」

 

まなか「フォロワー数やいいねの数が本当の面白さを反映してるわけじゃありませんから…」

 

わいせ「まさに、今仰った点が大事なポイントだと思うのです。ツイッターで価値のあることを呟いてても、いいねの数がその価値に比例するわけではない。その通りだと思います。その上で、まなかさんが先ほど仰ったことをツイッターに当てはめると、自分が面白いと思うことを呟くべき、こうすればいいねが増えるなとか考えているようではダメ、でもその上でやはりバズることを目指すべきという事になるかと思うんです。」

 

まなか「ツイッターはつぶやくのも読むのも無料ですし、いいねを付ける意味も、人とかそのツイート内容によって変わりますよね?これは『オモロイ!』のいいねだけど、こっちは『わかるわ〜』のいいねだとか。『感動した!』とか『かわいい!』ってのもあるし、『ムカつく!』で付ける人だってもしかしたらいるかも。いいねの数は評価の目安としては使えなくないですか?」

 

わいせ「そうですね、まず人の評価を気にするべきかという論点がありますが、仮に気にすべきだとしても、ツイッターのいいねとかRTとかフォロワー数は評価の指標にはならないから、結局バズることに価値などないということになると思います。」

 

まなか「バズることに価値が全くないとまでは私は思わなくって、例えば私がリトグリの曲を宣伝するためだけにツイッターをやってたとしたら、ある意味どんな手を使っても拡散すればするほど、もともとの目的を達成することに繋がっているわけですから、そういう場合はRT数やフォロワー数はほぼそのまま価値を持ってくるって言っても間違いじゃないように思います。でもわいせさんのアカウントはそうじゃないですよね?」

 

わいせ「そうじゃないですね。思いつきを垂れ流してるだけの僕みたいなのがいいねの数とか気にすること自体、本来は阿呆らしいんですよ。結局、フォロワー数が600だか700だかを超えた辺りから、何人からいいねされたかとか誰からいいねされたかとか全く気にならなくなりました。今では通知欄の『いいねされました』はほとんど見ていません。」

 

まなか「実際見きれなくないですか?」

 

わいせ「いえ、見ようと思えば全然余裕でチェックできる数です。見きれないのではなく、いいねを気にしたくなくて見ないようにしてるんです。以前は、中身空っぽなのにいいねがたくさん付いてるツイートを見てムカついたり嫉妬したこともありますけど、今ではそんな暇があったら今よりもっと楽しい冗談を考えたいと思えるようになりましたね。」

 

まなか「これは多分ですけど、今わいせさんがいいねの数を気にしなくて平気になったのって、いいねがそれなりに付くようになったからじゃないですかね。」

 

わいせ「それはあると思います。逆説的ですね。」

 

まなか「あと、これも多分ですけど、いいねが欲しくてたまらなかった期間があるからこそ今があるってこともあるんじゃないですか?」

 

わいせ「えっ、そういうふうに考えたことはなかったですね……!いろいろ頭を使って工夫するようになって成長できた、みたいな事ですか?うーんどうだろう、自分ではいいね欲しさの努力はしてきたつもりはないかなぁ…ツイッターっぽいリズムで文章を書くようには心がけるようになったかもしれないです。ツイッターって独特の文体というか文のリズムがあるんですよね。」

 

まなか「自分らしさを出すことには変わらないけど、ツイッターに合う形で出せるようになったっていうことじゃないですかね?私たちもリトグリならではの歌声を届けようという努力は変わらないけど、その届け方はその時代とか条件を反映させたものでええやんって思ってやってますよ。」

 

(続く)