Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

わいせvsまなか 3

絶対に交わらない水と油だったはずの、親子ほど歳の離れた2人の間で、思いのほか話が盛り上がっていく様子を、スタッフは不思議な感覚で見ていた……いい歳して性欲関連限定でツイートするみっともないおじさんことわいせっつー氏と、若くして貫禄のある歌声を持つ天才こと福本まなか嬢(Little Glee Minster)の対談の第3回です。※この対談はフィクションです。

 

第2回から続く)

わいせっつー(以下、わいせ)「何を表現するかとか、表現の仕方をどうするか、という問題のいずれにも関連すると思うのですが、“ポップ”というあり方についてお聞きしたいと思ってまして…」

 

福本まなか(以下、まなか)「ポップ…っていわゆるポップスってことですかね?」

 

わいせ「音楽に限らず『ポップであることの価値』についてご意見伺えればと思いまして。さっきの『売れることが大事か』という点と非常に似てるテーマですが、さっきの話は、より多くの人に届けられるとか、より良い作品作りの素地を作れるといった具体的な結果としてのメリットの話になりましたので、むしろポップな表現そのものの価値についてお話をお聞きしたいんです。」

 

まなか「うーん、そうなると、そもそもポップな表現ってナニ?って話になるかと思いますね……」

 

わいせ「ポップというのは大衆的ということですから、幅広い層に愛されるということだと思います。」

 

まなか「そうなると、売れるってことと、ポップであることって、どう違うんでしょうか?」

 

わいせ「例えば、『今夜はブギーバック』なんかは、さほどお茶の間にヒップホップが普及していない時代にそれなりのヒットとなりましたよね。この曲も1つのきっかけとなって、ヒップホップ自体がポップな存在になっていったわけですが、『今夜はブギーバック』単体で見た場合には、世に出たときは『売れた曲』だけど『ポップな曲』ではなかったといえると思います。」

 

まなか「これぞ王道!みたいな表現の仕方じゃなくても、作品に力があれば、その魅力で幅広い層にウケて売れるし、それが後から『あれはポップだ』って言われるっていうことでしょうか…」

 

わいせ「今、王道という言葉をお使いになりましたが、まさにそこが売れる表現とポップな表現の違いなんじゃないですかね。ポップであることの意味は、先程は大衆的と言いましたが、言葉を変えれば王道であるということなのではないでしょうか。」

 

まなか「でも今のところ、この話って手法の話にしかなってませんよね?さっき、なにを表現するかという点と、どう表現するかという点の2つを挙げていたと思うんですけど、手法であれば、王道の手法とか、ちょっとひねった珍しい手法とかの種類があるっていうのはよくわかるんです。でも、何を表現するかという話をすると、これは王道とかポップとかってあるんですかね…?」

 

わいせ「大変重要な御指摘をいただきました。王道の表現手法はあるだろうけど、王道の表現内容はあるのかという問いですね。」

 

まなか「よくあるテーマってのはあると思いますよ。それこそ、愛とか。あとは喜び・悲しみみたいな感情、王道やと思います。でも、この作品は愛を扱っているからポップな作品だ!とかあんまり思わない気がします。」

 

わいせ「たしかに、愛みたいな普遍的なテーマを扱っていても、作品によってこれはすごくポップだなとか、こっちはマニアックだなとか思いますもんね。そうすると、ポップかどうかというのは内容よりも表現手法によって決まるといえそうですね!」

 

まなか「私はポップな表現手法というのは、お店で言えば、誰もが入りやすい雰囲気とか店構えみたいなものじゃないかなと思います。」

 

わいせ「なるほど!そのお店の商品が優れたものかどうかは人の好き嫌い次第ですが、それとは違う次元で、性別や世代に関係なく入りやすい店かどうかについては確かにある程度客観的な指標がありますもんね!」

 

まなか「店の雰囲気はいいし店員さんもめっちゃ親切やけど売っているものがイマイチってことはありうるので、ポップであること自体にすごく価値があるわけではないと思います。」

 

わいせ「リトグリさんの代表曲のひとつに『好きだ。』という曲がありますよね。あの曲は直感的にはポップだと感じます。頭で考えてみても、明るい曲調と和音展開、恋愛感情をストレートに歌う誰もが共感しやすい歌詞、今生きている日本人の世代が幅広く慣れ親しんでいる『Aメロ・Bメロ・サビ・Aメロ・Bメロ・サビ・Cメロ・サビ』の構成、どこをとっても完璧なほどにポップですよね。」

 

まなか「そうですね!そうだと思います。ポップやなと思うのと同時にリトグリらしい曲やなとも思うんで、リトグリは王道のポップスが似合っているのかも?」

 

わいせ「これは完全に良い意味で申し上げるので是非不快に感じないでいただきたいのですが、まなかさんの声質自体は正直ポップという印象はないです。」

 

まなか「そうですか?」

 

わいせ「太くて深みのある得難い声をお持ちでらっしゃいますね。まるで香味溢れる焙煎珈琲のアロマのような……」

 

まなか「コーヒーとか初めて言われましたね。ありがとうございます。」

 

わいせ「小さい頃にプロ歌手の歌マネとかされてたと思うんですけど、Misiaとか絢香とかそういうディーバ系でしたよね。でも今や、ただ豊かな声量豊かにカッコよく歌い上げるばかりでなく、可愛げや憂いや静けさなども感じさせるような豊かな表現力も発揮されてますよね。」

 

まなか「そうなれてればいいなと思います。声が太いのはよく褒めてもらえますね。」

 

わいせ「弦のような豊かで幅のある声なのにスモーキーに感じるってスゴイですよ。渋い声質でポップな楽曲をやるってのが面白いんじゃないかなと思いますね。ポップと非ポップのいいとこ取りみたいな。」

 

まなか「いいとこ取りってすごく大事やと思いますね。さっきのモノマネの話もある意味そうですけど、今の時代、音楽ってホントにいろいろなので、いろんな時代のいろんな分野からいいとこ取りして、一番私たちの良さが出る形に持っていけたらええなって思いますね。それで、それが今の時代にもバッチリはまれば完璧っていうことかなと思います。」

 

わいせ「ポップも時代や場所によって変わりますもんね。だからこそいろんな王道のいいとこ取りができる。」

 

まなか「さっき、ポップっていうのはやり方であって中身ではないみたいな感じの話になったと思うんですけど、わいせさんがツイッターを使ってやってることって、ポップなことなんでしょうか?」

 

わいせ「ポップとは手法の問題であるという考え方が正しければ、個々のツイートの中身よりもツイッターというプラットフォーム自体の方がポップさを測る基準になると言えると思うんですが、僕の意見ではツイッターって『十分にポップではない』ですね。」

 

まなか「少し意外ですね。若者を中心に幅広く使われていて、大衆的というのには十分かなと思うんですけど。」

 

わいせ「ツイッターがポップな存在になりきれないのは刹那的過ぎるからだと思います。前回の対談でも触れましたが、ツイッター諸行無常過ぎるんですよ。」

 

まなか「ツイートしてもすぐ流れてしまうということですか?」

 

わいせ「そうです。ツイッターって拡散力はすごいので、ブームが起きたらブワーッて怖いくらいに拡がるんですけど、すぐ忘れ去られるんですよね。ホットな話題の寿命が短いです。ツイートがすぐ流れることの結果として、ツイッターで起きるブーム自体も短命になってるんですね。」

 

まなか「たしかにツイッターやってるとそれは感じますね。でも、サイクルが早いとポップではないっていうのはどういうことでしょうか?」

 

わいせ「大衆性って、ある程度の安定感が必須の要素だと思うんです。すごく人気があってもまだ流行るかわからない、普及するかわからないものはポップとまで言えないと思います。今夜はブギーバックの時点では手法としてのヒップホップがポップでなかったように。テレビとか新聞はいろんな意味で確立してるので大衆のメディアだと思いますし、今やインターネットのニュースなんかもそうだと思います。かつてはユーチューブを発信型メディアとして使うことはマイナーなことだったし確立するかどうかも怪しかったから、一般市民がいきなりマス向けの発信者になれるという意味では大衆的ではあるんですけど、普及してないときはポップな手法じゃなかったと思います。それが、今はユーチューブで発信すること、ユーチュービングとでも言うんでしょうか、それはもう手法としてもポップと言っていいと思います。同時に思うのは、ツイッターは現時点でそこまで行ってないなということですね。」

 

まなか「なるほど、ではわいせさんのやっていらっしゃることはポップのうちには入らないってことですか。」

 

わいせ「僕のツイートって要するに冗談を言うっていう行為なんですけど、それこそ人類が長い歴史の中でずっとやってきた普遍的なことで、なんら珍しいことではないですよね。だから冗談を言うという行為に着眼すればポップに思えます。まして性欲ネタなんてどの国にもどの時代にもあったと思うんでこんなに大衆的なものはない。でもそれをやるプラットフォームが『十分にポップではない』ツイッターという対比があると思います。」

 

まなか「でもわいせさんみたいにエロいこと”だけ”に絞って冗談言い続けるって、そんな世界各地でいつの時代でも行われてたってことはないと思いますけどね。」

 

わいせ「たしかに度合の問題でいえばそうですね。でも思ったんですけど、僕の性的な冗談ってツイッター以外のプラットフォームではなかなか映えにくいと思います。たとえばテレビとかそういういわゆる王道・ポップなメディアでやったら、今よりずっとつまらないか、もしくは変な空気になると思います。」

 

まなか「それはエロネタやからテレビで流せないっていうことじゃないんですか?」

 

わいせ「いや、そういう基準でのNGではなく、テレビ文化との相性ですね。伝達する媒体がポップであればあるほど普通は幅広く普遍的に伝播していくと思うんですけど、ツイッター向けにチューニングされた冗談って、ツイッターとか雑誌の読者コーナーとかそういうポップではないメディアでやることにより、逆に一番伝播していくという感覚がありますね。逆説的で面白いと思います。」

 

まなか「それって歌に置き換えると、日常に根差したような歌を歌う行為ってかなりポップやと思います。内容だけでなく手段としてもポップってことですね。で、リトグリという存在を一番魅力的にわかりやすく伝える方法がまさにポップソングを歌うっていう手段なんかなって思います。もちろんポップソングでない曲を歌うことで私達の新しい魅力を発見してもらうこともあるし、自分たちもそういうことに挑戦していきたいという思いはありますけど。」

 

わいせ「そういう形で発見されたり訓練によって生み出されたりするリトグリの大衆的ではない魅力さえ、ポップソングを歌うという『手段としてのポップ』を通じてこそ最も幅広く愛されると思いますし、その構図全体がリトグリという存在をポップたらしめているという感じがしますね。」

 

まなか「そう考えると、わいせさんと私たちリトグリは、どちらもポップなところがあるけれど、その種類が違うという感じがしますね。」

 

わいせ「そうですね。ポップでない手段で逆に潜んでいたポップさが最も良く鑑賞される僕と、ポップな手段を通じてこそポップでない側面が最も良く鑑賞されるリトグリという対比を考えると、まさに僕たちは対照的なのかもしれないですね。そろそろお時間なのですが、ちょうどいい感じにまとまりましたね。」

 

まなか「今日はありがとうございました。私もポップってことについていろいろ考えるきっかけになりました。」

 

わいせ「こちらこそお忙しい中こんなややこしい対談にお付き合いくださりありがとうございます!メンバーの皆さんには僕が紳士だったと是非伝えてください。」

 

まなか「いやぁ、信じてもらえないんじゃないですかね。名前がわいせつやし。」

 

わいせ「ポップじゃないですか!」

 

まなか「どこが!」

 

(おわり)