Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ドスケベ男にこそジェンダーを語らせよ

僕は女性をすぐに性的な目で見ますし、AV鑑賞が大好きないやらしいおじさんです。そんな僕を一般的な社会通念で評価すれば、女の敵というべきでしょう。僕も少しそう思います。

 

「少し」を付けたのには理由があります。今日はその話をします。

 

フェミニズムとかジェンダー論はどちらかといえば、社会的に低い地位に押し込められてきた(そして今も押し込められている)女性達のために声を上げる崇高な精神と改革者としての勇気を持った人々がその発信者になってきたと思います。

 

そして、その手の学問や言論が、主に女性が自分達の権利や自由を守るための運動として始まったという経緯もあり、その発信者には女性が多く、さらにその運動に対して普遍的な価値観に基づいて共感し支援する男性もいる、という構成になっていると思います。

 

一方で、僕のような「女性を性的な視点ばかりで見がちな男性」は蚊帳の外に追いやられており、そのような男性からの視座というものが、これまでのジェンダー論における議論に欠落していると思います。

 

理由は簡単で、僕のような、女性を性的に消費するかのような傾向をもつ男性は、ジェンダー言論界においては“加害者”であり、そのような奴の発信する言葉は自己弁護や自己正当化だらけのとるに足らないものだと考えられているからです。これは感覚としてはしごくもっともなものです。現にツイッターなどにおいてフェミニスト的視点からのツイートに対するリプライ欄を見ると、異性を人格として認めず性的に消費する対象と考えるような人々(ほぼ男性)が必ずといっていいほど湧いており、男側の問題点を正当化するようなコメントを残しています。

 

僕は性欲は強いですが、女性の権利は適切に守られるべきであり、社会に深く埋め込まれてしまって不可視化されている女性を貶める構造を議論の上で顕在化し是正すべきであると考えています。そして、自分の性欲のあり方が知らず知らずのうちに女性を貶めることに加担してしまっているのではないかという問題意識とともに、そのような性欲の発現の仕方がどこからきたのかを文化の文脈で考察することを通して、性欲をなくすとか否定するというような方向にいかずして女性の幸福度を高め社会をより良くするためには男性の性欲はどのように扱われるべきなのかについて日々考えています。

 

僕のようなドスケベおじさんのジェンダー論考というのは一見「お前が言うな」の最たるもののようにも見えますが、実は僕みたいな立場の人間が一番この問題を真剣に考えた方がいい人なのではないでしょうか。それに、犯罪に縁のない治安のいい世界で生きてきた人達がさんざん話し合って考えた防犯対策よりも元空き巣の一言アドバイスの方が有効だったりしますよね。(僕は性犯罪者ではないのでこの例えはよろしくないですが、極端にいえばそういうことです。)

 

僕は今までに性欲について多くの考察をしてきました。女性を守る視点から書いたものは少ないですがリンクをはっておきます(というかこの2つしかないような気がします)。ちなみに「わいせっつー」というのは僕がかつて持っていたツイッターアカウントの事で、性欲に関係ある事以外は呟いてはいけないという縛りをかけてやっていたものです。

 

わいせっつーのツイートは有害か

わいせっつーのツイートは有害か - Bustle Pannier Crinoline

 

エロコンテンツは女性の地位を貶めない、むしろ高める。

エロコンテンツは女性の地位を貶めない、むしろ高める。 - Bustle Pannier Crinoline

 

これらの記事を読んだ方の中には納得いかないという人も多いでしょうし反対や批判はたくさんあるでしょう。しかし、いずれにしても、これからのジェンダー議論は、エロい目で女性を見てしまうという自覚を持った男性が主体的に論じるという要素が不可欠になってくると思いますし、男嫌いの女性やAVを普段見ないような男性しか関わっていない議論や論文は説得力がないという世の中にはなっていくと思います。むしろ、そうならなければならないと思います。

漫画「週3女子高生」の続きを描いています

ツイッターで公開していた「週3女子高生」という漫画の続きを近いうちに公開します。

 

「週3女子高生」とは、週に3日間だけ女子高生になって過ごす契約を結んだサラリーマン男性の話です。漫画といっても鉛筆で紙に書いたやつでして、教科書の落書きレベルのものです。

 

ここで第1話〜第10話が読めます。

【漫画】「週3女子高生 (第1話~第10話)」漫画/ばっぱにりん [pixiv]

第11話を近いうちに公開します。

ブログの仕切り直し

もともとツイッターで性欲に関することをツイートするアカウントをやってて、それのブログ版ということでこのブログを始めたのだけど、訳あってアカウントを消したにもかかわらず、プロフィールにツイッターのリンクが載ったままで、ブログの右にツイートを表示する設定にしたままの(つまりエラーが表示される)状態が半年近く放置されていた。

 

このたび一念発起し、いろいろ直した。

 

ツイッターのリンクを消し、サイドバーのツイート表示もやめた。ツイッターで使っていたアイコンと名前をずっとそのまま使っていたが、このたびいずれも新しくした。アイコンは、キャラクターの「むらっちー」はそのまま使いつつ、ツイッターのアカウント名が書き込まれていたので消した。私自身の名前はブログ名の「バッスル・パニエ・クリノリン」を縮めて「ばっぱにりん」と名乗ることにした。

 

なにげに気になっていたので、非常にスッキリした。これからは「ばっぱにりん」として中身のない記事を精力的に投稿していきたい(年に数回は中身のある記事を書きたいとは思うが…)。

バッスル・パニエ・クリノリン2019

以前は何日もかけて推敲して書くようなことを中心にブログに書いていました。1分以内に書けるようなことはツイッターでやっていた「わいせっつー」というアカウントに書いていたからです。

 

そのアカウントを消してしまったので、今後はこのブログをもうちょっと気軽に使うようにしていこうと思います。(とはいえ、今までやっていたネタ的なことも並行してやれればとは思います。)

 

とりあえず、今年は2018年に停滞してしまったお絵描きとか音楽とかでもっと遊びたいと思いますし、もっと本も読みたいですね。

 

あまりくだらないことにイライラしたり自分にとって重要度の低い仕事に時間をかけずに、自分が心地よい時間をできる限り最大化できるよう、いろいろ工夫したり生活のやり方を変えていけるといいのかなぁと思いますね。

 

振り返ってみると、何か目標を立ててそれに向かって日々練習や勉強をしていた時の方が、ただ忙しく仕事だけして自分の興味関心を掘り下げていなかった時と比べて、活き活きしていたし幸福度が高かったように思いますので、2019は幸福度の高い満足のいく暮らしを目指します。

ご無沙汰しています

訳あって、わいせっつーというツイッター・アカウントを消しました(だいぶ前の話ですが)。

 

仲良くしてくださっていた方々にも何も言わずに突然行方不明になりました。すみません。

 

続き物の漫画を描いていましたので、pixivで続きを描いていこうかと思います。とりあえずそれが言いたくてこの記事を書きました。小説「ゴンゲ」も途中なのでどうにかしないといけませんね。

 

気が向いたら普通の記事も今後は書くかもしれません。

ツイッターを料理にたとえると

ツイッターほど使う人によって使い方が異なるツールも珍しい。ツイッター観の違いについて、料理の比喩を思いついたので披露したい。

 

ツイートする行為を料理だとしよう。

そして、料理といっても、ツイッターの世界は料理や外食にかかる経済的コストはない世界だと思ってもらいたい。作る側としては、手間はかけてるけど、食材とか光熱費とかはタダ。で、食べる側としても、あらゆるレストランのあらゆる料理が無料。(ツイートしたり人のツイートを読むのが無料であることを意味する。)

 

ツイッターの世界にいる人の多くは、自分の料理をできるだけ多くの人に食べてもらって評価されたいと思っている。この人たちは、いわばレストランを営んでいて、口コミが爆発的に伝わったりして有名になりたい、そして事業を拡大したいと望んでいる。

 

でも、自分で作ったものを食べたり、友達とお互いに料理を作りあって美味しいねって言い合えればそれで満足、というかそのためにツイッターやってる、という人もいる。この場合はレストラン経営者ではないし、拡大の必要もない。

 

で、僕はというと、ツイッターを始めた時は「僕はメチャクチャ美味しい料理が作れるぞ!みんな僕の料理を食べたくてしかたないに違いない!いや〜参ったな、自分が好きで自炊してるだけなのに、自炊メシを分けてくださいっていう行列ができちゃうよ〜」と思っていた。

 

しばらくして僕は、自分の料理はツイッター世界において大して美味しいほうではないということ、そして別に僕の手料理を食べたい人なんてそんなにいないということ(味付けも全く万人向けではないし)を理解した。

 

今や、あくまでも自分用まかないとして毎日三食を作るただの“料理が趣味の人”になっているという感覚である。

 

ここで述べたいのは、前述のような変化はあるものの、僕は一貫して、レストランを営業しようとは思っていないということである。

 

料理を褒められたいという気持ちがメチャクチャ強かったのにみんなからそっぽを向かれていたあの頃も、自炊しているだけなのにたまに炊き出しのように行列ができることのある今も、「これは自分が食べる用のご飯だ」という感覚が変わったことはない。したがって、今世間でこの料理がブームだから客引きのためにその料理を作ろうとか、自分自身としては好きな味じゃなくても世の中にできるだけウケる味にしようとか、そういう事を思ったことはない。だから、たまにゲテモノ料理やマイナー食材を使った料理を作って周りから眉をひそめられる中で一人で舌鼓を打っていることも多い。

 

僕は自分のゴハンが好きだけど、もちろん他の人が作ったメシもよく食べに行く。行く店はいつもだいたい決まっている。こんな凄い料理僕には作れない!って感動しながら食ってる。もし実際の料理人だったら、自分の店に食べにきて欲しいがために(いわば恩を売るために)大して好きでもない店に足を運んでお世辞を言う人は普通いないだろう。でも、ツイッター世界にはそういう料理人も残念ながらいる。

 

お客さんがほめてくれなかったから失敗作だと言って自分が美味しいと思って作った料理をゴミ箱に捨てたり、自分の信念はそっちのけで食べログの星ばかり気にするような料理人もいるらしい。それは現実のレストラン経営者であれば生活がかかっているぶん理解できるのだが、ツイッター世界では外食は無料なので、僕としては理解に苦しむところではある。でもまあ好きにやればいい。僕だって自炊料理人とはいえ人から料理哲学についてあれこれ言われたくないし。

 

とにかく僕にとってのツイッターは、あくまでも自炊して(自分が読むためにツイートして)たまに外食して(他の人のツイート読んで)という生活の中で、ふと気づくと僕の鍋から自由によそって食べてる人がいて「あ、自分用に作ったやつけど、それを食べたいという人がいるのは素直に嬉しいし、褒められたら悪い気しないね」というだけのことなのである。

 

たまにメチャクチャ人に食べてもらいたくなる日もあるけどね。

 

 

 

 

 

本物対談 虫野カナさんと

 


「えっ、本物の対談!?」

無理もない。これまでAV女優の姫川ゆうな、そして歌手の福本まなかLittle Glee Monster)と架空の対談をしてきたわいせっつー(職業:ドスケベ中年ツイッタラー)に、まさか本物の対談をしたいというオファーが来るとは、誰が思っただろう。

 


わいせっつーと対談をしようというその物好きの名前は、虫野カナ氏(男性)である。虫野氏はツイッターでわいせっつーと相互フォローの関係にあり、「チンポ!!!!!!!!!!!!!」と圧倒的な数の感嘆符で男性器の名を叫び、その後すぐに熱いメッセージをツイートするスタイルでチンポ業界では以前から知られており、近年はそのスタイルを模倣する者も増えている。

 


「『妄想』というテーマで対談したい」という素敵なオファーに浮かれるわいせっつーだったが、我々スタッフはひとつ気になることを聞いた。「今までの妄想対談はホテルの一室だったけど、虫野さんからはラブホテルでの対談を指定された。」対談をするのになぜラブホにする必要があるのか我々は全く分からなかったが、わいせっつーは「性欲に関係あることしか呟かない僕との対談としてこれ以上ないロケーション」と納得していた……。

 


本物の対談を、とくとご覧あれ。


————

 


虫野カナ(以下、虫野)「本日はよろしくお願いします。」

 


わいせっつー(以下、わいせ)「こちらこそ宜しくお願いします!今日は虫野さんとじっくり対談できるということで楽しみにしてきました!」

 


虫野「僕も楽しみにしてましたよ。でもやっぱりいざ対談するってなるとビビりますね。」

 


わいせ「リラックスしていきましょう。このラブホの一室には他に誰もいませんから是非フランクにお話いたしましょう。

 今日のテーマは妄想ということですけども、虫野さんは子供の頃から妄想しがちな子供だったりしましたか?」

 


虫野「そうですね、僕は子供の頃から妄想はしてましたね。これは別にエロい事だけじゃなくしてました。妄想してたっていうか妄想をせざるを得なかったですね。」

 


わいせ「妄想せざるを得ない……って、それは現実があまりに厳しすぎたから逃避が必要だったということですか…?」

 


虫野「いやそこまででは(笑)。

 実は僕には野球部の兄がいたんですがそうすると野球部なんてどうしても毎週末は練習試合であっちゃこっちゃ行くワケです。父兄もそれについてって応援なんかしたりして。その頃はまだ僕が小学校入りたてくらいなので家に置いてくワケにもいかない、という事で一緒に連れてかれるんですがこれがつらかった。知らない場所に連れてこられても実際やる事ないんですよ、大人はみんな練習試合みてるから相手してくれないし。僕は別に野球観るの好きじゃないし。校庭の遊具も一日中遊べるほど楽しくもないじゃないですか(笑)

だからこう『早く家帰りたい…家に帰ったらあんな事して…』みたいなのが妄想のスタートでしたね。」

 


わいせ「よかった!しょっぱなから『過酷な幼少期を送りました』的な激重トークから入るのかと…それでも別にいいですが、むしろ仲の良い家族の話で安心しました。」

 


虫野「仲良いですかね(笑)。劇重トークもたぶん探せばあると思いますけど別に意外に僕って普通なんでね。」

 


わいせ「たしかに妄想するクセというのは幼少期の1人遊びと密接な関係があると言えそうですね。」

 


虫野「そうですね、それはあると思います。

一人遊びする子の方が絶対に妄想する力はありますね。

 普通に友達がいれば考える必要もないけど一人遊びだとまず友達を頭の中で作る作業から始めなきゃいけないし、そこからもう発想力に差が出てくるんじゃないですかね。」

 


わいせ「今の、妄想力と発想力をリンクする御発言に注目したいと思うんですけど、妄想って『妄』という字からしてもそうですが、もともと良い意味ではないですよね。『そんなのはお前の妄想に過ぎない』とか言ったりするし。でも、現実の役に立たないとされがちな妄想が実は発想力という実生活で価値を持つ能力に繋がるのではないかっていうのは、かなり重要な指摘だと思います。」

 


虫野「そもそもデタラメですからね。自分の願望をかなり甘く主観的に思い描いてるだけなので客観視すると欲球丸出しで鼻につくんでしょう。

 でも妄想出来ないと自分の深層心理でどんな事を望んでるのかわからないと思うんです。

妄想が出来るということは自身が満足出来る内容のアイデアを発想出来ることなんじゃないかと。」

 


わいせ「なるほど、妄想は身勝手だから現実逃避だとされて否定的に見られているんでしょうね。今伺って思ったんですが、誤謬を恐れずに言えば『妄想』と『発想』の間にあるのが『空想』なんじゃないでしょうか。で、空想は身勝手な妄想みたいな側面と、新しいものを創り出す力となる発想の側面を併せ持つと思うんです。『あいつは空想癖がある』といえば『妄想癖』と同じくらい否定的な言葉ですが、『イマジネーション豊かな』みたいに言えば『空想』は良いことみたいに聞こえますよね。だから、『妄想』は『空想』を経て創造性に辿り着けるという意味で重要な価値を持っているということかなと思いました。」

 


虫野「いやいや全然誤謬とかでは無いですよ。喋りながら気づく事もありますし。

 妄想と空想は絶対に切り離す事は出来ないですね。というのも空想に関して言えば割と起こりうる現実に沿う、というのがスタートで発想してるんですがそれに対して妄想は基本的には現実へのアンチですからね。これがしたいけど普通は出来ない、みたいな、でも妄想の中ではやれるんで。

 エロい事で例えると"ふたなりのチンコ"とかはそうですよね。実際女の子にどうやったってチンコは生えないけど妄想の中では作れるので。これは空想の時点では辿り付けないステージと思います。

 でも一度現実では出来ないっていうのを経てからではないと起こらない現実は解らないんで。漫才のボケとかも常識を知ってないと非常識な事言えないみたいな感じ。

 たしかにこの時点で妄想は創造性の高さで価値がありますね。」

 


わいせ「なるほど!先程出た深層心理の話と漫才のボケの例えは、両方とも『現実という壁』とどのように向き合うかという視点があると思いました。

 深層心理の話は、妄想とは現実に沿わないデタラメだけど、デタラメだからこそ現実の縛りに囚われずに本当に自分が心の底から何を望んでいるかを可視化することができるということですよね。

 ボケの話は、きちんと現実という壁を理解できているからこそその壁を超えることができるということかなと思います。現実に沿うにしても、現実を飛び越えていくにしても、どちらにしても現実を現実として理解し踏まえているという意味では同じですものね。

 ただのデタラメではなく現実という壁を乗り越えていく力強い手段だからこそ、妄想に価値が見出しうるのだというお話だと理解しました。」

 


虫野「まったくその通りです。

 ね、ここまで話して妄想ってものの見方が、これ記事になるので、見てる人は変わってきたんじゃないかと思うんですけど、ここで急にイヤラシイ方の話題に転んでもいいですかね?」

 


わいせ「唐突ですね!いやらしい話は大歓迎です!お願いします!」

 


虫野「あのー、というのもこれで妄想っていうものの価値がハッキリしたんですけど、わいせっつーさんのなかでエロに関して妄想ってのはどういう位置付けですかね?性欲ってある程度の創意工夫があるとは思うんですが…」

 


わいせ「きわめて重要な位置づけですね。

 かつては僕にも、現実に目の前に見えているパンチラとか今実際にやっているセックスとか、そういうリアルなエロが本来のゴールで、それが手に入らない場合に代替品として止むを得ず妄想で補うという構造で理解していた時期もありました。

 でも、物理的存在としてはパンツはただの布でありおっぱいは単なる脂肪塊ですから、結局エロスというのはいかにそこに主観的な意味を見出すかなのだと今ではわかります。そうであるならば、究極的にはエロスというのはいかにイマジネーションを働かせるかに真髄がある、いわば妄想のアートであると考えています。」

 


虫野「おー凄いですね、今の言葉、教科書があったら載せたいですよ。まぁ何の教科書かは解らないですけど(笑)

 これ『缶コーヒーはコーヒーと認めない!』みたいに怒鳴る人と一緒で本来全然別物って事がわかってないだけなんですよね。

 そもそも妄想におけるエロスと実在のエロスってまったく違うんですよ。

 同じ飲み物ではあるけど、だからこっちが本物でこっちは偽物ってないんですよね、好みはあるけど。がぶ飲みコーヒー飲んでて『それは本物のコーヒーじゃない!』って言われてもえぇ…知らんよって感じじゃないですか。

 物理的な刺激とか視覚やあとは音のリアルに存在するエロか、妄想の中のイマジネーションで培われたファンタジー性のあるエロかってとこですかねぇ?

 これセックスとオナニーの違いみたいなのにも言えるんですけどね。どっちが上ってないし。」

 


わいせ「ちなみに僕は『通がコーヒーと認めない系のコーヒー』結構好きです。種類別の欄がコーヒーではなく乳製品ってなってるやつですね!脱線してすみません。

『オナニーはセックスの代替物なのか』という命題は、ブログでテーマだけ提起したまま記事は書けてないですが、少なくとも現代においてはオナニーはセックスの代替物ではないという結論に至ることは間違いなくて、この点は虫野さんと意見が一致していると確信しています。

 一方で、『オナニー対セックスの対比』と『妄想・ファンタジー系エロス対現実・実体験系エロスの対比』は、似てはいるものの、必ずしも同一ではないと思いますね。オナニーの中にも、物理刺激で射精することを重視するスタイルと、妄想の中で異性と架空の親密性を獲得することを重視するスタイルがあります。また、セックスの方でも、妄想まではいかずとも目の前にある肉体ではなくそこを窓口として辿り着くファンタジーを興奮の淵源とするパターンがありえますからね。」

 


虫野「へー、オナニーとセックスの違いについてはまた別の問題って事ですね。たしかにアプローチの仕方の違いだけでオナニーもセックスも重要だと思う点の違いという。

 これまた僕の恥を晒すんですけどセックスの中のファンタジーって実体験した事無いんでわからないんですよね。ソープでしかセックスした事ないので。」

 


わいせ「僕もオナニーが主なので、いわゆる『チンコが乾く暇がない』というヤリチンたちのセックス観ってどうなっているんだろうなっていう興味はあります。オナニーではなくセックスが射精活動の中心となるような人にとってファンタジーとか妄想とかってどれくらい重要な要素なのかなっていう…」

 


虫野「いやぁ『チンコ乾く~』とか言っちゃう人は多分そこまで感情移入は必要としてないんじゃないですかね?

 考えてたとしてもいっぱいセックスしてる自分に満足感を得てるのかと。

 ね、なんかセックス出来ない奴の負け惜しみみたいでしょ(笑)」

 


わいせ「負け惜しみとは全く思わないですけど、セックスの機会に恵まれないことと、射精に至る過程にファンタジーとかイマジネーションとかを重視する傾向があることって、関連があるような気がしてしまいますね、直感的には。

 狭い空間を大人数で共有しなければならないとか頑丈なものが作れないという日本の文明上の制限が、静かに扉を閉めるとか道具を丁寧に扱うという優美で繊細な所作文化に繋がっているといわれますが、制限された状況が逆にプラスの価値を生む土壌になるということはありますものね。」

 


虫野「確かに。日本も物資が他国に比べては劣ると言わざるを得ないですが、その分技術が物凄い発展していますもんね。

 これちょっとセックスとオナニーにも似てますね。どっちもなきゃダメだしどっちが上ってないし。」

 


わいせ「そうすると、例えばですけど、基本的には誰もがセックスにわりと普通にありつける社会で、かつそれゆえにオナニー文化が成熟しない社会があったとすると、そこでは妄想やイマジネーションの文化があまり花開かないという仮説が成り立ちますよね。

 そんな社会は一見実在しなさそうにも思えますが、“近代化”する前の日本は、自由恋愛がなかった一方で夜這い文化ってのがあったので実は年頃の男女はブサイクでも貧乏でも結構みんなセックスできてたんじゃないかと思います。」

 


虫野「話がそれますけども昔は割と簡単に出来てたみたいですよ。ソースは忘れましたが盆踊りはそもそも男女の出会いの場でそこで気があったら近くの林かなんかに隠れて性行為してたという。

 セックスに至るまでのアイディア、というか創意工夫は見られても爆発的な発想力とかは少ないのかも。」

 


わいせ「盆踊りの話、納得です!たしかにキリスト教文化圏から貞操観念が持ち込まれるまでは日本は基本誰とでもセックスする文化ですものね!

 妄想とは現実のアンチであるという話がさっきありましたが、エロい妄想と現実の距離感ってどう捉えてらっしゃいますか?まったく荒唐無稽な妄想だからこそ良いという人もいるかもしれないし、現実的な妄想の中に一抹の非現実をちらりと忍ばせてこそ良いという人もいるかもしれないですけど、虫野さんはどっちでしょう?どちらもファンタジーではあると思うのですが。」

 


虫野「うーん…ある程度のラインまでは現実的ですが唐突に非現実を入れますね。AVのストーリーみたいなのを思い浮かべて貰えばいいですね、アレの話の流れをより明確にしてますね。

 現実ではこっちの道に進むけどより良い理想の方に転ぶようにしてます。

せっかく思想・良心の自由で頭の中だけは何考えてもオッケーと言われててるので妄想くらいは何やっても基本的にはいいだろう、という。

 発想が雑にならないようには気をつけてますけど。」

 


わいせ「なるほど、では基本設定自体は比較的現実的にしつつ、ストーリー展開を御都合主義にするという感じですね!とてもよくわかります。僕も基本同じです!

 ただ、いつも御都合主義の度合いが難しいんです。都合が良すぎるとリアリティが足りなくて喜びが少ないというか興ざめしちゃうんで、わりとリアルにありえそうな範囲で都合のいい展開を狙うんですが、その結果として、妄想なのに全然オイシイ思いができなかったりして、なんのための妄想か?!ってなっちゃうこともあります。」

 


虫野「すっごいわかりますね。

 どう感情移入するかで変わってくるんですが、これってどうやってもあんま上手くいかないですよね。

 開き直ってぶっ飛んだ事考えたりしても全然沸点というのを感じないしカラッカラですよ。(笑)

 まぁでもあんまり妄想に入れ込むと妄想が現実みたいになりますからね。それってかなり危険だし防衛本能で割と深い妄想ってのは出来なくなってるのかも」

 


わいせ「そうなんですね!では、実感としては似ているような気がします。

 妄想に入り込みすぎないように安全装置があるってのも、なんかわかります!よく言われる、鏡に向かって『お前は誰だ』って毎日言い続けると気が狂うっていうやつみたいに、現実と虚構の隙間を探るとろくなことがないみたいなやつと似てますよね。現実生活を維持するために妄想は儚くできているのかも。」

 


虫野「妄想と理解出来てるからこそ甘くて楽しい気持ちになれるんでしょうね。現実のアンチだからこそ現実は常について回るというか。

 妄想は現実に対する休憩所みたいな位置付けなのかも。現実だけずっと走ってたら疲れちゃうけど妄想に浸かっても堕落してしまうし。

つらいことが重なる現実と甘い思いに身を馳せる妄想を行ったり来たりするしかないんですかね、結局。」

 


わいせ「いきなり突拍子も無いたとえをだしますが、仏教の経典のストーリーは、山でブッダが教えを説くセクションがまずあって、その後ブッダも聴衆も全員空中に浮かんでそのまま演説が続いて、最後にまた山で喋って終わりという構造になっています。空中に浮かんでるシーンは現実離れした理想的な世界の比喩で、地上のシーンは地に足のついた現実社会生活の比喩だそうです。現実を超越する夢とか妄想の力は、現実的な平凡な暮らしに挟まれているということだと思います。むしろそれがトータルとして理想的なんだと思います。」

 


虫野「たしかに。

 どうやったって切っても切れない関係なんですね。たまに妄想を現実にしてる人がいるけど大概は狂ってるって言われちゃうし。」

 


わいせ「それでは少しまとめさせてもらいますと、妄想とは現実という壁を超えて人間の可能性を開いていく原動力であり、現実における渇望が強いほど妄想の持つ豊かなイマジネーションが花開くといえるけども、一方で妄想は現実から乖離すればするほどいいわけではなくてむしろ現実と隣り合わせになってこそ本来の力を発揮するということのようですね。

 ますます複雑化する社会の中で僕らが力強く生きていくためには、その厳しい世の中から飛び去って逃避行動するために妄想するのではなく、その厳しさの中に妄想の花を咲かせることで現実社会を力強く乗り越えていくことが求められているのかもしれませんね。」

 


虫野「そんな感じですかね。暮らしの中に一つまみのスパイスで。妄想は使用上の注意をよく読み容量、用法を守って正しく使いましょう(笑)」

 


わいせ「さて、もっとお話ししていたいのですが、これ以上この部屋にいると『ご休憩』ではなく『ご宿泊』扱いになってしまうので、そろそろお開きにいたしましょうか。」

 


虫野「そうですね。

 まぁでも僕的には宿泊になっても良いですよ……?(わいせっつー氏の太ももをさする)」

 


わいせ「えっ…ちょ……待っ……」

 

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ここでICレコーダーの録音は止まっている。

 


わいせっつーは我々スタッフに事の顛末を語ろうとしない。我々としても聞く気が起きない。真相は闇の中なのである。

 


ともあれ、非常に充実した対談が実現したことは確かである。我々Bustle Pannier Crinolineのスタッフとしても、対談のオファーをくださり、また対談記録を当ブログのコンテンツとして発表することに同意してくださった虫野氏に、この場で改めて顔射、じゃなかった、感謝申し上げたい。