Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

ゴンゲ #1

靴底を入口のマットに擦り付けて、靴底についたグチャグチャの泥を落とす。こんなに汚されることは想定していなかったような、それなりにキレイなマットではあったのだが、仕方ない。僕は若干の緊張を感じながらドアを開けた。

 

僕はゴンゲの顔を知らない。でも、一目見れば一発でわかるはずだ。そんな根拠のない自信が、なぜかあった。しかし、そんな勇ましい心意気も、入口近くにいた客の怪訝そうな表情からこちらに注がれる視線により、徐々に挫かれつつはある。

 

僕が探している存在感の持ち主は、意外とすぐに見つかった。カウンターでビールを飲んでいる女を視界に捉え、僕の集中力は俄かに高まった。僕が隣の隣に座っても、その女は一向にこちらを気にしている様子がない。僕はビールを1杯注文すると、その1杯が来るまでの間、ゴンゲに違いないと僕が睨んだ女性を、つぶさに観察した。

 

あまりのネチっこい視線にようやくその女はこちらに視線を向けた。こちらは緊張を隠しつつ堂々とした姿を一応見せているが、先方からは、けだるさしか感じない。

 

「…なんか用かい…」

 

女の第一声は、僕が予想していたよりはるかに小さい声で、はるかに擦れていた。くたびれた肌にボロボロの髪をしたその女には確かに似合う声だったかもしれないが、あのゴンゲならもっとハリのある声を出してもいいじゃないかという気持ちが少しあったのかもしれない。

 

「あなたがゴンゲさんですか…?」

そう単刀直入に訊ねても、女は全く動揺したそぶりも見せず、ただ煙草の煙を無造作に吐き出すだけだった。僕はしばらく黙って反応を待った。女は煙草をもみ消した後、さっきよりは聞き取りやすい声で、こちらにやや素早く視線を向けて言った。

「あんた誰だい…」

 

僕は簡単に自己紹介を済ませた後、なぜ僕がゴンゲを探しているのかを簡潔に説明した。その間、女は僕を見たり視線を外したりを繰り返していた。僕はその女がゴンゲだと確信していたが、女は自分がゴンゲであると明言しなかったし、ボクもそれ以上しつこくそれを確認してはいけないような気がしていた。

「ゴンゲさんの力を借りたいんです…」

 

女は、新しい煙草に火をつけて、吸い込んだ最初の煙を吐き出すと、さっきよりも少しはっきりとした動きでこちらを見た。

「そういうことなら、残念だったね。今のあたいをご覧よ。お役に立てそうもないだろう。」

 

これをきいた僕は、その女がゴンゲであることをようやく認めたと受け止めて安堵すると同時に、依頼をあっさりと断られたことへの落胆を隠せずにいた。

 

「どこであたいの噂を聞きつけてきたのか知らないけどね…今のあたいはこのとおりサ。」ゴンゲは可笑しそうに笑った。「ゴンゲってあだ名の由来知ってるんだろう?」

 

「いいえ、知りません…」僕がそう答えたとき、初めてゴンゲはすっとんきょうな声を出した。「なんだい、知らないのかい?」呆れたような目でこちらを見ている。

「最初はね、性欲の権化って呼ばれてたけど、仲間たちが面倒がって縮めるようになっちまってサ…可笑しいじゃないか。だってゴンゲだけじゃ、何の権化かわかりゃしないだろう?」ゴンゲはどこか懐かしがるような口調で話していた。

「でもね、それは若い頃の話サ…あだ名だけが残っちまってね…困ったモンだよ。」

「でもゴンゲさん、僕は今でもあなたの性欲はとてつもないって、そうききましたよ…?」「誰だい?そんないい加減なこと言ってんのは。とにかくね、悪いけど、あんたの力にはなれないよ。すまないね。」そう言ってゴンゲは席を立とうとしたので、思わず僕は声を大きくしてしまった。

「ゴンゲさん!」

ゴンゲは眉間に皺を寄せてこっちに視線を向けた。

「本当はなんて名前なんですか…?」

ゴンゲは一瞬黙ったが、ほどなく「さあね…」と言って、人ごみの中に混じって店の奥へと消えていった。僕は追いかけたが、不思議なことにゴンゲはあっという間にどこにいるのかわからなくなってしまった。

 

「ねぇ」

ふと声のした方を見ると、髪の長い女がこちらに顔だけ向けて、テーブル席に座っていた。透明なカクテルがテーブルに置かれている。

「ゴンゲに何か用だったの?」

(続く)