オナニーのおかずは女体ではなく「関係性」である
オナニーする時、何に対して興奮しているのか?
心が何を求めているのか?
陰茎への物理的刺激?それともドスケベな女体?
もちろんこれらはいずれもオナニーシーンにおいて求められるアイテムに数えられるが、オナニー者が求めているのは究極的には「関係性」なのではないかという結論に私は達している。
1.「関係性」とは何か
具体的に言うと、ここで言う「関係性」とは、ひとつには「究極の承認」、ひとつには「究極の親密性」であるが、これらは同じ概念を異なる側面から描写したに過ぎない。
2.「承認欲求」は「性欲」より先に来ることがありうるか
「承認欲求」は、近年一気に普及した感のある言葉だが、もともとは心理学の専門用語であり、概念としては特に新しいものではない。詳しくは専門家に譲るが、承認欲求は、生理的欲求等よりも後にくるものとして位置づけられる。
【欲求の階層の図】
< 承認欲求 >
< 所属と愛の欲求 >
< 安全の欲求 >
< 生理的欲求(性欲とか) > ← もっとも基礎的かつ低次な欲求
オナニーの究極目的が性欲の充足ではなく承認だとすると、上記の階層構造が逆転することとなる。本当に私のオナニーの目的は「性欲に見えるが究極的には承認欲求」と言えるのだろうか?私の勘違いではないか?
いや、そんなことはない。なぜならセックスしたい欲と違い、オナニーしたい欲はいかなる形でもヒトを生殖に向かわしめることはないからである。(これは、オナニーはセックスの代替品か?というテーマとも関連するが、それはそれで一本別の記事になると思う。)むしろオナニーに満足することでセックスレスが進む可能性の方が高い。生殖を促進するどころか邪魔さえしうるオナニーが純粋に性欲の産物であるはずがない。我々がそれでもこんなにオナニーしたくなるのは、性欲以外に理由があるからとしか考えられないのである。その理由というのが「究極の承認」なのだが、「究極の承認」を理解するためにあえていったん「究極の親密性」に話を移そう。
3.「究極の親密性」
ここで冒頭の「陰茎への物理的刺激?それともドスケベな女体?」という文に戻りたい。性器を始めとする裸というものは、ごく親しい友達や家族にすらみだりに見せるものではない。逆に言えば、性器や裸を見せる相手は、最も親密な間柄ということになる。我々は友達がいないと寂しく思い、遠慮なく思ったことが言い合える間柄を誰かと構築すると充足感を得る。我々は誰かと親密な関係になりたいと心の奥底で思っている。
しかし、このような説明では、むしろセックスについての論考になってしまう。オナニーはソロプレイであり、どんなにシコっても誰かと親密になることなどありえないのに、どうしてオナニーの動機が「究極の親密性」の追求たりえるのだろうか?
その答えは、実はオナニーそのものを観察しなくても、セックスの実態の中に見出せる。実際の人間関係としては大して親密でない相手であっても、親密性の証である「キス」「裸を見せる・見られる」「セックス」といった行動をとることを求めてしまうことは誰しも納得することだろう。それこそが性欲のなせる業というふうに説明されることが一般的には多いと思うが、この現象は生殖という実利的な目的観に立つよりも、親密性の追求という視点から説明した方がより合理的であるというのが私の立場である。
子孫繁栄の観点からは、相手との間柄とは無関係に、できるだけ多くの相手と生殖活動を行えることが望ましい。子孫繁栄のチャンスを不特定多数に拡大すること自体が重要なのであって、1回のセックスだけに着眼した場合にその相手が他人だろうが愛する人だろうが質的な違いはない。
一方、親密性追及の観点からは、人生における様々な人間関係の親密度の合計点を大きくすればするほど良い。ということは、すでに親密な相手と親密な行為を行うことは、その合計を大きくすることにあまり貢献しない。むしろ、あまり親密ではない相手と親密な行為を行った方が、人生における「誰かと親密になった度合の合計」を一気に増やすことになる。
私は「我々は誰かと親密な関係になりたいと心の奥底で思っている。」と書いたが、この親密性の追求が、1つでも親密な人間関係が構築できていれば満たされるような類いのものであれば、よほど家族も友達もいない人でない限り、追求はすぐに終わるはずである。しかし、世の中を見てみればわかるとおり、人間は「家族と仲よしだから友達はいらない」「親友が一人いるから恋人はいらない」というふうにはなっていないのである。つまり我々は「誰かと親密になった度合の合計」の拡大を重視する生き物なのである。
しかし、社会性を持つ生き物として、実際にはセックス相手を無尽蔵に作ることは現実的ではない(ごく稀に「100人以上の異性とセックスしました」というような人もいるがこれは例外である)。したがって、我々人類は「誰かと親密になった度合の合計」を増やすことを欲していながら、無差別的に裸を見せ合ったり行きずりのセックスをしまくったりすることができないという状況に置かれているのである。
そして、セックス以外の方法で「誰かと親密になった度合の合計」を増やす方法を編み出したのである。それがオナニーである。
オナニーのオカズの本質はファンタジーであるということは、すでに他の記事で論じた。ファンタジーであるがゆえに、我々は社会性を維持したまま、無尽蔵に「親密な間柄でしかしない行為」の相手を拡大することができるのである。
我々が妄想の中で誰かと親密な行為に及ぶとき、あるいはそのようなAVをオナペットにするとき、我々の「本当はそういう行為をしていない/できないような相手と親密な行為をしたい」という欲求を満たすべくオナニーに邁進しているのである。
4.「究極の承認」
再び「陰茎への物理的刺激?それともドスケベな女体?」という文に戻ろう。結論じみたことを先に言えば、親密な行為というものは承認に直結しているということだ。
例えば、オトナであれば社交辞令やお世辞として「あなたは立派な人ですね。」「素敵な人ですね。」といくらでも口では言えるが、「じゃあ裸を見せてくださいよ」「陰茎を挿入させてくださいよ」と言われたら「ごめん、それは無理」となるだろう。つまり、性的な行為は親しさの記号であると同時に、相手を受け入れること・価値をみとめることの証でもあるのである。それも、最上級の承認と評価してもいい行為だ。
我々は親密な行為を通じて承認を得る。しかし、前述のとおり、実際に親密な行為ができる相手は限られているので、オナニーを通じて本来であればなかなか実現しないパターンの承認獲得を行うことを欲するのである。
5.アダルトコンテンツ製作者へのメッセージ
アダルトコンテンツは、女性の裸体や性行為を描写することで見る者の性的興奮を惹起するものと捉えられている。それ自体は厳密には間違いではないが、そもそもなぜ我々は女性の裸体や性行為を見たいと思うのかという背景部分を勘違いすると、おかしなアダルトコンテンツが作られることになる。
たとえば、女体ばかりを延々と映し、その女性と自分との関係性についてこれっぽっちの妄想の余地も与えないようなアダルトコンテンツもある。純粋に女性の肉体そのものを欲するタイプのオナニストもいるので、そういう人にとってはそれ系のコンテンツは良いものかもしれないが、私に言わせればその手のコンテンツはオナペットとしてほぼ成立していない。
勘違いしないでいただきたいが、たとえナースとか教師といったいかにもな設定を必ず用意しろと言っているのではない。そんな設定がなくとも、その子との親密な関係性を疑似体験できればよいのであって、それはオナニスト側のイマジネーション次第でどうにでもなるといえばなるのだが、そのイマジネーションを上手に素敵な方向に導くエロコンテンツこそが良いコンテンツなのであり、その導き方こそがエロコンテンツ製作者の腕の見せ所なのである。
理解しがたいかもしれないが、わかってほしい。そして、忘れないでほしい。
我々がオナニーするのは、性欲ゆえではない。
「関係性」を欲するがゆえなのだということを。
性欲落語「尻談義」
世の中には変わったこだわりを持った人ってのがいるもんでね。
しかし、
長屋の八つぁんと熊さんが、女の魅力について話してた。
「よう、熊さんよぉ」
「なんだい」
「世の中にゃあ女の乳にばっかりこだわる奴がいるけどよ。
「ほうそうかい。するってえと、
「俺に言わせりゃよ、女は尻!これだよ。」
「尻か!」
「そう、尻だよ!尻こそが女の華ってもんよ。
「ちげぇよ…」
「じゃどうしたんだよ?」
「よくぞ言ってくれたよ!!!」
「なんだなんだうるせえな!デケえ声出すなよー。」
「俺も同じだよ!女は尻だよな!」
「なんだ、てっきり怒らしちまったかと思ってヒヤリとしたぜ。
「わかるどころじゃねぇ、
「泣くなよこんな事で!」
「女は尻だ。イヤ、なんなら、
「それは言い過ぎだろ!でもよ、
「…オメェ何言ってんだ?」
「え?」
「見るところはそこじゃねぇだろ?女の尻で一番大事なのは、
「尻と太ももの境目?それじゃあもう尻じゃねぇじゃねぇか。」
「馬鹿野郎!尻が終わって、クイっと丸まって、
「なんで羊羹が出てくんだよ、落ち着けよ!
「オメェは本当に馬鹿だな!
「太ももの前日談の意味がわからねぇよ。
「妙じゃねえよ!」
「なんだいなんだいさっきから~
「おぉ、隣の与太郎じゃねぇか!いい所に来た、ちょっとコッチ来い!
「見どころ?」
「おう!」
「う~ん…」
「どうなんだ…答えてみろ…」
「尻…かな~」
「ホッ…よかった!どうなる事かと思ったぜ!」
「まったくだ!胸とか答えやがったら蹴殺すところだったぜ!」
「そこまでするかい~?」
「それでよ、本題はこっからだ。おめぇ、
「尻のどこか?」
「おぉ、あんだろ?こう丸みを帯びた…」
「導くんじゃねぇよ!与太郎の本音を聞こうじゃねぇか。」
「う~ん、やっぱり、こう、緩やかな丸みがいいよね~」
「だよな!だよな!」
「だろ~?腰のくびれから両側にふっくらと膨らんでさぁ」
「は?両側?」
「うん」
「オメェまさか尻の左右の横っ面の話してんのか?」
「そうだよ~」
「てめぇ表出ろ!!」
「く、苦しい~!」
「やめろよ!まぁでもよ、まさか尻の横っかわを見てる男がいるなんて思いもしなかったぜ。」
「ゲホゲホ…そんなに珍しいかな~?」
「こりゃあ天下の一大事だぜ。こんなに女の尻が素晴らしいってのに、ちゃんと尻の良さを味わえてねぇ奴がこんなにいるたぁ驚きよ。」
「そいつぁこっちのセリフだぜ!」
「まあまあ~。そういう事なら、こういうのはどうだい?ご隠居に、どの部分が尻の醍醐味なのかきいてみるってのは。」
「ご隠居か。うーん、確かに無駄に長生きして、世の中の事よく知ってるからなぁ。」
「あぁ、俺たちよりよっぽど多くの尻を見てきてるご隠居が言うなら、合点がいくかもしれねぇ。」
「決まりだ。早速いってみよう~」
スタスタスタ…
トントン
「ご隠居さーん!」
「おぉ、八っあんに熊さんに与太郎かい。どうした雁首そろえて珍しい?」
「いやね、ご隠居さん物知りだろ?一つ訊きてぇことがあって。」
「そうかい。まあ、本好きだからね、古今東西の書物を繙いてきたつもりだよ。言ってごらん。」
「女の体で一番グッとくるのは尻だよな?!」
「…なんなんだその質問は!大の男が3人来てわざわざそんな事ききに来たのかい?まったく、古今東西の書物を~とか言った自分が恥ずかしいよ。」
「ご隠居さん、そうだろう?尻だよな?」
「ううむ、まぁ、わからんではないな。」
「だろ!?そこまでは江戸の常識だと思うんだ。」
「いや違うだろ…」
「でも、尻とひとくちに言っても、女の尻のどの部分が尻の醍醐味だと思う?俺たち話し合ったんだけどよ、意見が割れててさ。」
「そりゃ割れるだろ。尻の話なんだから。」
…。
おめこがよろしいようで…
リトグリ・アイーシャからの大切なお知らせ
親愛なるガオラーの皆様へ
みなさんはすでに御存知と思いますが、私たちの大切な仲間であり、尊敬するアーティストの1人でもある、リトグリ(Little Glee Monster)メンバーの麻珠ちゃんが、昨日2017年4月16日を以て、リトグリとしての活動を無期限で休止することになりました。
わたしたちメンバーとしても、スタッフさんも交えて何度も話し合いを重ねましたが、麻珠ちゃんの揺るがない決意を目の当たりにし、麻珠ちゃんの意見を尊重することにいたしました。
いつもこのブログでは「7人目のリトグリ・メンバー」と名乗っていましたが、これからは、かれん・芹奈・アサヒ・MAYU・manaka・アイーシャの6人で活動することとなります。私たちの音楽を聴いて下さるファンの皆さんのためにも、今まで支えてきてくれたスタッフの皆さんのためにも、そして何より、麻珠ちゃんのためにも、私たち6人はこれからますます力をつけて、一つ一つ確実に夢を叶えていきます!
皆さん応援よろしくお願いいたします!
…とここまで書いたけど、やっぱり辛いよ~~~ウワァァ—–。゚(゚´Д`゚)゚。—–ン!!!
正直、歌の面でも精神的な面でも、麻珠ちゃんをすっごく頼りにしてたから。いつもみんなで大騒ぎしているリトグリですが、麻珠ちゃんはそんな中でいつもにこやかに微笑みを湛えて私のようなやかましい雛鳥を優しく見守ってくれる、そんな存在でした。
いろんな意味で、麻珠ちゃん抜きのリトグリとしてやっていくことにはもちろん不安はあるけど、でも泣き言ばかり言っていたら、麻珠ちゃんがすっきりした気持ちで活動休止に入れないからね!「麻珠が抜けてからリトグリはダメになった」なんて言われたら、私たちはもちろん悲しいけど、麻珠ちゃん本人だって嬉しくはないはず!だから絶対ゼッタイィ!てっぺんとったるでぇえ!!(`・ω・´)
麻珠ちゃんの穴を私が少しでも埋められるように、フェイクがんばるぞ!しゃくりがんばるぞ!ピッチも声量もリズム感もさらに改善して、ハモリももっとうまくなるぞ!
ごめんなさい、久しぶりのブログだし、麻珠ちゃんのこととかいろいろあるので、前回の投稿についたコメントへのお返事は今回はスキップさせてもらうけど、コメントは全部読んでますので!みんな本当にありがとう!ばいならっきょ☆☆☆
ムラムラdays③
久しぶりに漫画を描きました。
洋服屋の従業員が巨乳だった時の男性の典型的な反応をマンガにしました。 #ムラムラdays pic.twitter.com/GM4g25myMS
— わいせっつー(Yset2) (@Yset2_Yset2) 2017年4月12日
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ゴンゲ #6
先ほどの小動物はソファの裏側に隠れていると思われたが、怖くて見に行く気がおきない。
「なんですか今のは…」
「リスじゃない?」
ゆう子は眉間に皺を寄せたまま答えた。“じゃない?”と言う言い方は、ゆう子もあの動物自体を詳しく知っているわけではないことを示唆していた。
「さっきジュネとか言いましたね?そのリスの名前じゃないんですか?」
ゆう子の眉が八の字になった。
「違う違う!まだいるんだよ、あたしたちみたいなのが…」
あたしたちみたいなのが?“たち”という事は、ゴンゲがそこに含まれるという意味なのだろうか。
「ジュネという女性がいるということですか?」
「そう」
「ゆう子さんやゴンゲさんのように性欲が強い女性なんですか?」
「まぁゴンゲは別格だけどね」
ゆう子は目を細めた後、リスが後ろに隠れていると思われるソファに歩み寄り、どさっと腰をおろした。ゴンゲにゆう子にジュネ…このバーはつくづく普通のバーではない。噂には聞いていたが、本当にとんでもないところに足を踏み入れてしまったのだと、改めて痛感した。
「じゃあ、さっきのは、そのジュネさんが飼っているリスなんですか?」
「ううん、飼ってるわけじゃないよ。」
「じゃ、なんでリスを見てジュネって言ったんですか?」
「ジュネはこのバーの2階のどこかの部屋にいる。」
ゆう子は、しゃべりながら急に何かを探すかのように首をキョロキョロと動かした。
「あの子がムラムラするとさ…動物が騒ぐんだ…」
黙って聞いていれば、まるっきり滑稽なことを言い出すものだ。ゴンゲのイリュージョンじみた登場や、ゆう子の高速ズボン脱がしで、すでに十分すぎるほどサーカスを見てきた気分だったが、この場にいたっては動物を操る女まで登場し、よりダイレクトな意味でますますサーカスらしさを増してきている。しかし僕はがぜんジュネに興味がわいた。本棚の影に消えてしまった気まぐれなゴンゲを探す価値があるかどうか、僕は確信が持てない。一方、まだ情報が少なすぎて判断できないが、ジュネは相当の戦力になる可能性があるように感じた。ゆう子とジュネを連れて、早く村に戻ろう。
「僕をジュネさんに会わせてくれませんか?」
この言葉をきいたゆう子は、意外なことに、眉などを動かさず、無表情となった。魂が抜けたような表情を見て、僕はまたゴンゲがゆう子に何かしたのではと一瞬気がかりとなった。しかし、すぐにゆう子はしゃべりだした。
「やめといた方がいいんじゃない?」
僕は、考えた。今の雰囲気なら、ゆう子は僕に協力してくれる気がする。このままジュネは諦めてゆう子だけ連れて行くか。ジュネにこだわるあまり、ゆう子までいなくなってもらっては困る。しかし、ゆう子はジュネがこのバーの2階のどこかの部屋にいると言っていた。今すぐ全ての部屋をチェックすれば、ジュネが見つかるのではないか?自分でジュネを探してみよう。ジュネがどういう見た目なのかわからないし、名前からして日本語が通じるのかどうかさえわからないが、これ以上ゆう子からジュネの情報を収集するのもあまり良い手とは思えなかった。
僕はドアを開けて部屋の外へ出た。そこは確かに僕がさっきゆう子に手を引かれて上がってきた廊下であったが、先ほどよりも色がくっきりと見え、輪郭もはっきりしていた。
ゆう子がどんな顔をしていたかわからないが、特に後ろから声をかけてはこなかった。
ジュネに説明をして、協力を仰がなければいけない。簡単なことではないだろう。動物の話も、場合によっては僕にとって障害となるかもしれない。ともあれ、まずはジュネを見つけてから考えよう。
まずはすぐ隣の部屋のドアのノブに手をかけた。鍵がかかっている。2回ほどガチャガチャとひねったが、ドアは力づくでは突き破れそうもなかったので、いったん諦めて向かいの部屋にトライした。ドアノブに力を込めると、先ほどと異なるスムーズな感触があり、僕の脳は小躍りした。ドアが開いた。急激に猛烈な緊張感が押し寄せてきた。僕はゆっくりとドアを押していき、中の視界を広げていく。先ほどまでいた部屋とあまり変わらない雰囲気の部屋があった。しかし、ドアを完全に開けきる前に僕は異変に気付いた。部屋は確実に、無人ではない。何かがいる。しかし、それが何なのかわからない。誰の姿も見えないが、誰もいないとは断言できない何かがあった。僕は、恐る恐る部屋の中に入っていった。ソファの後ろや本棚の影にジュネが隠れているかもしれないと思いながら、僕はびっくり箱をびっくり箱とわかっていて開けようとしている人のように、ビクビクしながら部屋のいろいろな場所をチェックした。1分ほどかけて部屋を見たが、人はいなかった。動物も見つからなかった。時間を無駄にした。次の部屋に行こう。そう思って部屋の入口に戻った。
「何かお探しですか?」
「うわぁっ!!!」
いつの間にか入口に少女が立っていた。少し太った中学生か高校生くらいの女の子だった。やはりこのバーにいる女性は全員気配を殺すプロだ。しかし、この子がジュネなのか?動物が騒ぐくらい性欲が強いと言うにはあまりに若すぎる気がするが。ちなみに、完全な日本人顔だ。少し目が細く、眉毛はやや太かった。
「すみません!部屋に勝手に入ってしまって…」
「どなたですか?」
少女はあまり動じた様子はない。
「僕は、宏樹と言います。あの…ジュネさんという人を探しているんですが」
「わたしです。」
少女はまったく動じずに答えた。ジュネという名前、もし本名なら、いわゆるキラキラネームなのかもしれない。いや、むしろこの子の世代ならわりと普通の名前なのかも。
「ちょっと待ってよ」
この声は…ゆう子だ。すぐにゆう子が現れ、背の低いジュネの頭の向こうにゆう子の顔が見える格好となった。その顔は、目に見えて怒っていた。
「やめといた方がいいって言ったよね。」
まずい。ゆう子の機嫌が悪い。しかし、2人がセットで目の前にいるのはある意味好都合だ。僕はゆう子の感情の処理を考慮せずに、僕がこの店にきた理由を改めて詳しめに説明して2人同時に理解してもらおうと考えた。本当は先にジュネの性欲を品定めしたかったが、説明なしにそれをするのは難しいだろうと判断した。
「すみません、ゆう子さん。でも、僕は一人でも多く、力になってくれる人が欲しいんです。ジュネさん。初めて会ってこんなこと言うの大変失礼かもしれませんが、あなた性欲が強いそうですね?」
「せいよく?」ジュネは首をかしげた。
「エロいってこと」ゆう子がイラついた表情のまま口早に答えた。ジュネはなるほどという顔をして、かすかに嬉しそうな顔をしてこう答えた。
「そうですね…自分でもエロいほうだとは思います。」
「どうせ体が目当て」という男性批判をする女性への批判
これは、女性が「私の体が目当てだったのね!」というような言い方で男性を責めることを批判する文章である。
1.まず、誰かを好きだという感情の根拠に「体目的」と「体ではないもの目的」の分類を用いることが妥当であるという前提のもとで、「体目的の『好き』が体ではないもの目的の『好き』より劣る」という一般的な通念に疑問を唱えたい。
「体ではないもの」とは何か。この文脈で使われる言葉は「性格」「中身」「人柄」等である。また、一般的に「体」の対義語として使われるのは「心」「精神」である。これは、いずれも曖昧なものだ。たとえば、私は自分をズボラな人間だと思っているが、周囲は私を真面目な性格だと思っている。私は自分がいつも面倒くさいことをサボろうとするタイプだと知っているし、それを物語るエピソードをいくつも持っているが、私を好きになってくれるような人にそれを曝け出すようなマネはもちろんしない。したがって、「あなたの性格、中身、人柄を好きになりました」と言ってくれる女性が現れたとしたら、その女性は私に対して勝手に抱いた幻想に基づいて好きになっていることになる。「いや、自分でも気付いていない性格を他者が見抜いて好きになることもあるだろう」との反論もありえるが、いずれにせよ相手の好きの根拠である人柄と、私が一人称視点で認識している自分の人柄は一致していないという、ズレたスタートであることには変わりない。
また、性格や心は単に抽象的なだけでなく、日々移ろい変わっていくものだ。特に、精神活動の在り方というのは変わるのが当然であろう。40歳の男性が10歳の時と同じ精神活動をしていたら相当おかしな人という評判が立つはずだ。とある女性が、ある時の私の心の持ちようをもとに私を好きになってくれたとしても、私が翌日以降も同じ心の持ちようであると誰が言えるだろうか。
これだけ抽象的かつ一貫性のないものを根拠にして抱いた「好き」という感情であれば、簡単に「好きじゃない」に転化しうることは火を見るよりも明らかである。
一方、肉体はどうだろう。私の周囲の人物が認識する私の肉体と、私自身が認識する自身の肉体の間のズレは、人柄や精神といったものにおけるそれと比べ、はるかに小さいことは言うまでもない。たとえば、私はガリガリな体格だが、私のことをマッチョマンだと思っている友人は一人もいない。
また、時を経て変わってしまうという点は、肉体の方にこそ当てはまるようにも思えるが、逆に言えば、肉体が変わっていく過程は自己も他者も視認できるし、どのような変化を遂げていくかの予測可能性も肉体の方がはるかに高い。たとえば、かつての私を知っている人が「あいつは頑固者だ」と思っていたとしても、もしかしたら今の私は驚くほど柔軟な人間になっているかもしれないし、そうなるきっかけや度合は無数のパターンがありえるので予想不可能である。一方、私の顔にどのタイミングでどれくらいシワができるものなのか、お腹周りにどれくらい肉がついていくのか、一般的知識を使えばだいたいの予想はできる。
つまり、「体目当てであなたに近づいた男」は「体を根拠にあなたを好きになった男」なので、「あなたの中身を根拠にあなたを好きになった男」と比べて、はるかに確実にあなたが自覚するあなたの本質を理解し寄り添う男なのである。それにも拘わらず、体目当ての好きという感情をあたかも下品でケダモノ的で侮蔑的なものだと評価するのはきわめておかしい認識と言わざるをえない。
2.次に、そもそも「体目的」と「体ではないもの目的」という分類自体が適切なのかという点、そして、全ての「好き」は相手を構成する特定の要素に着目した「好き」であることには変わりないという点を論じたい。
上記1.では、この二元論に基づいて、どちらがより本質的か、どちらが優れているか、というような視点で論じたが、そもそも誰かを好きになるということは、「その人を構成する要素のうちどの部分に着目するか」の違いによって本質的かどうか、あるいは優れているかの度合が変わるようなものと考えるべきなのだろうか。たとえば、ライオンが好きな少年AとBがいたとして、A少年は「ライオンのタテガミとキバが好き!」と言い、B少年は「集団で狩りをするところが好き!」と言ったとしよう。その時、B少年がA少年に対し「君は見た目だけで好きになっているから、君のライオンを好きだという気持ちは僕の気持ちに比べればレベルが低い。タテガミもキバもないライオンにはそっぽを向くんだろ。そんなの本当のライオン好きとは言えない。」と言って、A少年が「君こそ、集団で狩りをすると言ったが、それは主にメスだ。オスライオンの性質を無視している君こそ、本物のライオン好きを名乗る資格はない。」と言い返したとしたらどうだろう。まともな大人であれば「A君もB君も、どっちもライオンを好きだという気持ちは本物だと思うよ!」と両者をなだめるであろう。ところが、恋愛の話になると途端に「目に見えないものが目に見えるものより価値がある」という尺度がまかり通るのは不思議である。
もし二元論を用いるとしたら、「その人を総体として好き」か「その人の特定の部分に着目して好き」のどちらか、という方がまだしっくりくる。この場合、体が好きというのも中身が好きというのも、両方とも後者のカテゴリーに含まれてしまうことになる。この二元論をぱっと見たとき、前者の方がより本質的でより深い「好き」であるような印象を受ける。しかし、真の意味で「その人を総体として好き」と言うには、その人を構成する全ての要素を網羅した上で好きになることが必要である。これは神とか仏とかの領域であり、現実問題として人間にはそのようなことはできない。なので厳密には、「その人の特定の部分に着目して好き」という後者のカテゴリーしかこの現実世界には存在しえないことになる。この事実が示唆することは、「体目当てだろうが中身目当てだろうが、所詮その人を構成する無数の要素のうちのごく一部しか見てないことには変わらないんだから、くだらねぇ事でガタガタぬかすな!」という事であろう。
一方、「その人を総体的に好き」というカテゴリーをより慣用的に、現実社会に即した形で柔軟に解釈してみると、「僕は君のことを、おっぱいが大きいとか、優しく接してくれるとか、そういう(見えるもの見えないもの問わず)個々の部品で好きになったのではなく、そういうものもろもろひっくるめて、ただただ君が好きなんだ」というタイプの好きという感情を指していると言う見方が可能である。「ただただ君が好き」と言われた女性と「君の肉体が好き」と言われた女性、どちらの方が嬉しく、どちらの方がより真実の気持ちだと感じるだろうか。もちろん前者である。男でも同じだろう。だがよく考えて欲しい。前者は、個別の部品への言及を省略した結果として、その好きという感情があらゆる分野を網羅していて普遍的な価値を持っているかのような印象を与えているに過ぎないのである。これは、風邪をひいたとき、微妙にいろんな症状が出ていたら「総合感冒薬」と銘打たれた「風邪の諸症状に効く」薬を飲むが、総合感冒薬は決して、のどの痛み専門の薬、鼻水専門の薬、咳専門の薬、発熱専門の薬などのあらゆる薬の良いところを全て凝縮した風邪薬界の王様というわけではないということにも似ているかもしれない。総合感冒薬的な「好き」が単に複数の部品に着目した好きの積み重ねに過ぎないのであれば、むしろどの部分に着目して好きになってくれたのかがはっきりわかる方が信頼性が高いだろう(のどが痛いならのどの痛み専門の薬を選んだ方がよいように)。「ただただ君が好き」という言葉から「総合的だ!一番ランクが高いやつだ!」という印象を受ける人は要注意である。「ただただ君が好き」は、「君の〇〇と〇〇と〇〇と〇〇・・・が好き」を省略した形でしかない。極論すれば、「ただただ君が好き」と「君の体が好き」と「君の中身が好き」は、本質において全て同じである。
3.最後に、「女の子が体目当ての男を批判する理由はね、好きの根拠がどうとかじゃなくって、性欲を満たす手段として女の子のカラダを消費してる、性的に搾取しているからなんだょ、だってそんなの真実の愛じゃないじゃん。。。」という反論がありえると思うので、この点も簡単に論じておく。
相手への尊重があった上で性欲を満たそうとしているのであればそれは女性の消費でも女性からの搾取でもないという点を認識すべきである。相手への尊重があれば、性欲が根源にあったとしても、それは女性から見て真実の愛と呼ぶことになんの不都合もない。性欲がある愛は真実の愛ではないなどと言う人はまずいないと言っていいだろう。自分の欲望を満たすことしか頭になく相手への尊重がない男に対しては「相手への尊重がないから駄目」と批判すべきなのであって、肉体に着眼していること自体を批判するのはお門違いなのである。
4.以上のことから、「どうせあたしの体が目当てなんでしょ!」とか「信じてたのに・・・あたしの体が目当てだったなんて!ひどい!」とか言うのは実におかしいということが明らかとなった。あなたの体はあなたを構成する最も大きな要素のひとつであり、あなたの体を目当てとした「好き」は、あなたのいろいろな要素に着目するいろいろな「好き」たちの中で、もっとも信頼できる部類の「好き」なのである。
ゴンゲ #5
ゴンゲのズームインが止まり、彼女がそれ以上僕に近づく様子を見せなかったことで、僕は冷静さをほぼ完全に取り戻した。それに伴い、僕の脳は、まるで舞い上がった砂煙が落ち着いていったかのように、周囲の景色や自分と周辺との距離感などを徐々に捕捉し始めた。そうか、ここはこんな部屋だったのか。焦げ茶色の木造りの壁と家具に、ブランズウィック・グリーンの天井という落ち着いた色彩配置は、先ほどまでの肉欲に満ちた騒動とまるで似合わないと思われた。そんな部屋のど真ん中で、一階で会った時とはまるで違う集中力で僕をまっすぐに睨みつけるゴンゲに向かって、僕はズボンをずり上げながらこう言った。
「いくつか訊きたいことがあります。」
「言ってごらんよ。」
ゴンゲの、さっきまでのやる気のない姿はどこかへ消えてしまったようだ。彼女の受け答えは実にハキハキとしている。
「階下(した)で僕がゴンゲさんと話した後、僕のアソコはズボンのジッパーから飛び出していました。ゴンゲさんの仕業ですか?」
「だとしたら何だい?」
「さっきも、ショートボブの女にいつの間にかフェラをされていました。あの時ゴンゲさんの声がしましたが、あの女は何者ですか?」
「さあ、何者だろうね。」
ゴンゲはしゃべり方は明朗なのだが言っている内容に全く実質がない。
「ここまでやってもイカない男は珍しい、みたいなことを言っていましたよね?あの女に僕をフェラするように命令したのはゴンゲさんということですか?」
「いいや、違うよ。あたいは誰にも命令なんざしちゃいないサ…」
「誰なんですか、あの人は。」
「誰でもないよ。あれはあたいサ。」
「え?」
ここまで来て、じっとこちらを睨んでいたゴンゲの目が少しだけ細くなった。
「あたいの口をこれ以上おしゃべりに使うなんざまっぴらだね。坊や、達者で暮らしな。」
ゴンゲは唐突に踵を返すと、部屋の奥にある本棚の横へ移動して、一瞬こちらに視線をちらりと向けた後、消えた。少なくとも僕の目には、本棚と壁の間にするりと入って消えたように見えた。僕は本棚に駆け寄って、壁との隙間を確認したが、人が通れるような幅はなかった。
「なんか、しらけちゃった…」
ゆう子がすぐ後ろにいた。僕は驚きのあまり大声を出してしまった。このバーにいる女たちは気配を消して唐突に現れる特技の持ち主だらけなのだろうか。
「宏樹君のおちんちん、もっと舐めたかったけど、なんか雰囲気壊れちゃったね。」
ねっとりとした視線を僕にからませるように、ゆう子は僕に話しかけながら、僕の肋骨のあたりをそっと撫でた。
「あの…さっき、ゆう子さん、僕のアソコを口に入れた後、ドアの方に吹っ飛んでいったように見えたんですが、あれは何だったんでしょうか?」
ゆう子は肋骨からやや上の方に指先を移動させながら、なぜかハッと何かに気付いたように口を開けた。目はとろりとしたままだった。
「あれは、ゴンゲが戻ってきたからね…」
「……え?」
僕はゆう子が僕の身体から指を離そうとしない事も気にならないほど、ゆう子の発言に混乱していた。
「ゴンゲさんに突き飛ばされたりしたんでしょうか?」
僕のこのセリフを聞いたゆう子は、両方の眉毛を上げ、目を笑い目の寸前の形にして頬肉をやや持ち上げた。
「何言ってんの?1本のおちんちんは、一度に一人の女しかしゃぶれないでしょ?」
僕はゆう子を見つめた。1本のおちんちんは、一度に一人の女しかしゃぶれない。それは、まるでふざけているのかと思うほど当たり前の事のようにも思えたし、一方で、そんなはずはない、しゃぶろうと思えば不完全ながらも二人の女が同時にしゃぶれるはずだという子供じみた反論ができそうにも思えた。なぜこの奥が浅いような深いような真理が、僕の疑問に対する答えとして提示されたのだろう。
そこまで考えた時、僕の足元で奇妙な気配が横切った。何かいる。人間ではない。もっと小さい何かだ。虫よりは大きくて、速い。ネズミか、せいぜいイタチのような大きさだろう。ゆう子も僕と同じ気配を目で追っている。
「やだもう!」
ゆう子は目に見えて苛ついた。
「今度はジュネ?」