Bustle Pannier Crinoline

バッスル・パニエ・クリノリン

わいせvsまなか 3

絶対に交わらない水と油だったはずの、親子ほど歳の離れた2人の間で、思いのほか話が盛り上がっていく様子を、スタッフは不思議な感覚で見ていた……いい歳して性欲関連限定でツイートするみっともないおじさんことわいせっつー氏と、若くして貫禄のある歌声を持つ天才こと福本まなか嬢(Little Glee Minster)の対談の第3回です。※この対談はフィクションです。

 

第2回から続く)

わいせっつー(以下、わいせ)「何を表現するかとか、表現の仕方をどうするか、という問題のいずれにも関連すると思うのですが、“ポップ”というあり方についてお聞きしたいと思ってまして…」

 

福本まなか(以下、まなか)「ポップ…っていわゆるポップスってことですかね?」

 

わいせ「音楽に限らず『ポップであることの価値』についてご意見伺えればと思いまして。さっきの『売れることが大事か』という点と非常に似てるテーマですが、さっきの話は、より多くの人に届けられるとか、より良い作品作りの素地を作れるといった具体的な結果としてのメリットの話になりましたので、むしろポップな表現そのものの価値についてお話をお聞きしたいんです。」

 

まなか「うーん、そうなると、そもそもポップな表現ってナニ?って話になるかと思いますね……」

 

わいせ「ポップというのは大衆的ということですから、幅広い層に愛されるということだと思います。」

 

まなか「そうなると、売れるってことと、ポップであることって、どう違うんでしょうか?」

 

わいせ「例えば、『今夜はブギーバック』なんかは、さほどお茶の間にヒップホップが普及していない時代にそれなりのヒットとなりましたよね。この曲も1つのきっかけとなって、ヒップホップ自体がポップな存在になっていったわけですが、『今夜はブギーバック』単体で見た場合には、世に出たときは『売れた曲』だけど『ポップな曲』ではなかったといえると思います。」

 

まなか「これぞ王道!みたいな表現の仕方じゃなくても、作品に力があれば、その魅力で幅広い層にウケて売れるし、それが後から『あれはポップだ』って言われるっていうことでしょうか…」

 

わいせ「今、王道という言葉をお使いになりましたが、まさにそこが売れる表現とポップな表現の違いなんじゃないですかね。ポップであることの意味は、先程は大衆的と言いましたが、言葉を変えれば王道であるということなのではないでしょうか。」

 

まなか「でも今のところ、この話って手法の話にしかなってませんよね?さっき、なにを表現するかという点と、どう表現するかという点の2つを挙げていたと思うんですけど、手法であれば、王道の手法とか、ちょっとひねった珍しい手法とかの種類があるっていうのはよくわかるんです。でも、何を表現するかという話をすると、これは王道とかポップとかってあるんですかね…?」

 

わいせ「大変重要な御指摘をいただきました。王道の表現手法はあるだろうけど、王道の表現内容はあるのかという問いですね。」

 

まなか「よくあるテーマってのはあると思いますよ。それこそ、愛とか。あとは喜び・悲しみみたいな感情、王道やと思います。でも、この作品は愛を扱っているからポップな作品だ!とかあんまり思わない気がします。」

 

わいせ「たしかに、愛みたいな普遍的なテーマを扱っていても、作品によってこれはすごくポップだなとか、こっちはマニアックだなとか思いますもんね。そうすると、ポップかどうかというのは内容よりも表現手法によって決まるといえそうですね!」

 

まなか「私はポップな表現手法というのは、お店で言えば、誰もが入りやすい雰囲気とか店構えみたいなものじゃないかなと思います。」

 

わいせ「なるほど!そのお店の商品が優れたものかどうかは人の好き嫌い次第ですが、それとは違う次元で、性別や世代に関係なく入りやすい店かどうかについては確かにある程度客観的な指標がありますもんね!」

 

まなか「店の雰囲気はいいし店員さんもめっちゃ親切やけど売っているものがイマイチってことはありうるので、ポップであること自体にすごく価値があるわけではないと思います。」

 

わいせ「リトグリさんの代表曲のひとつに『好きだ。』という曲がありますよね。あの曲は直感的にはポップだと感じます。頭で考えてみても、明るい曲調と和音展開、恋愛感情をストレートに歌う誰もが共感しやすい歌詞、今生きている日本人の世代が幅広く慣れ親しんでいる『Aメロ・Bメロ・サビ・Aメロ・Bメロ・サビ・Cメロ・サビ』の構成、どこをとっても完璧なほどにポップですよね。」

 

まなか「そうですね!そうだと思います。ポップやなと思うのと同時にリトグリらしい曲やなとも思うんで、リトグリは王道のポップスが似合っているのかも?」

 

わいせ「これは完全に良い意味で申し上げるので是非不快に感じないでいただきたいのですが、まなかさんの声質自体は正直ポップという印象はないです。」

 

まなか「そうですか?」

 

わいせ「太くて深みのある得難い声をお持ちでらっしゃいますね。まるで香味溢れる焙煎珈琲のアロマのような……」

 

まなか「コーヒーとか初めて言われましたね。ありがとうございます。」

 

わいせ「小さい頃にプロ歌手の歌マネとかされてたと思うんですけど、Misiaとか絢香とかそういうディーバ系でしたよね。でも今や、ただ豊かな声量豊かにカッコよく歌い上げるばかりでなく、可愛げや憂いや静けさなども感じさせるような豊かな表現力も発揮されてますよね。」

 

まなか「そうなれてればいいなと思います。声が太いのはよく褒めてもらえますね。」

 

わいせ「弦のような豊かで幅のある声なのにスモーキーに感じるってスゴイですよ。渋い声質でポップな楽曲をやるってのが面白いんじゃないかなと思いますね。ポップと非ポップのいいとこ取りみたいな。」

 

まなか「いいとこ取りってすごく大事やと思いますね。さっきのモノマネの話もある意味そうですけど、今の時代、音楽ってホントにいろいろなので、いろんな時代のいろんな分野からいいとこ取りして、一番私たちの良さが出る形に持っていけたらええなって思いますね。それで、それが今の時代にもバッチリはまれば完璧っていうことかなと思います。」

 

わいせ「ポップも時代や場所によって変わりますもんね。だからこそいろんな王道のいいとこ取りができる。」

 

まなか「さっき、ポップっていうのはやり方であって中身ではないみたいな感じの話になったと思うんですけど、わいせさんがツイッターを使ってやってることって、ポップなことなんでしょうか?」

 

わいせ「ポップとは手法の問題であるという考え方が正しければ、個々のツイートの中身よりもツイッターというプラットフォーム自体の方がポップさを測る基準になると言えると思うんですが、僕の意見ではツイッターって『十分にポップではない』ですね。」

 

まなか「少し意外ですね。若者を中心に幅広く使われていて、大衆的というのには十分かなと思うんですけど。」

 

わいせ「ツイッターがポップな存在になりきれないのは刹那的過ぎるからだと思います。前回の対談でも触れましたが、ツイッター諸行無常過ぎるんですよ。」

 

まなか「ツイートしてもすぐ流れてしまうということですか?」

 

わいせ「そうです。ツイッターって拡散力はすごいので、ブームが起きたらブワーッて怖いくらいに拡がるんですけど、すぐ忘れ去られるんですよね。ホットな話題の寿命が短いです。ツイートがすぐ流れることの結果として、ツイッターで起きるブーム自体も短命になってるんですね。」

 

まなか「たしかにツイッターやってるとそれは感じますね。でも、サイクルが早いとポップではないっていうのはどういうことでしょうか?」

 

わいせ「大衆性って、ある程度の安定感が必須の要素だと思うんです。すごく人気があってもまだ流行るかわからない、普及するかわからないものはポップとまで言えないと思います。今夜はブギーバックの時点では手法としてのヒップホップがポップでなかったように。テレビとか新聞はいろんな意味で確立してるので大衆のメディアだと思いますし、今やインターネットのニュースなんかもそうだと思います。かつてはユーチューブを発信型メディアとして使うことはマイナーなことだったし確立するかどうかも怪しかったから、一般市民がいきなりマス向けの発信者になれるという意味では大衆的ではあるんですけど、普及してないときはポップな手法じゃなかったと思います。それが、今はユーチューブで発信すること、ユーチュービングとでも言うんでしょうか、それはもう手法としてもポップと言っていいと思います。同時に思うのは、ツイッターは現時点でそこまで行ってないなということですね。」

 

まなか「なるほど、ではわいせさんのやっていらっしゃることはポップのうちには入らないってことですか。」

 

わいせ「僕のツイートって要するに冗談を言うっていう行為なんですけど、それこそ人類が長い歴史の中でずっとやってきた普遍的なことで、なんら珍しいことではないですよね。だから冗談を言うという行為に着眼すればポップに思えます。まして性欲ネタなんてどの国にもどの時代にもあったと思うんでこんなに大衆的なものはない。でもそれをやるプラットフォームが『十分にポップではない』ツイッターという対比があると思います。」

 

まなか「でもわいせさんみたいにエロいこと”だけ”に絞って冗談言い続けるって、そんな世界各地でいつの時代でも行われてたってことはないと思いますけどね。」

 

わいせ「たしかに度合の問題でいえばそうですね。でも思ったんですけど、僕の性的な冗談ってツイッター以外のプラットフォームではなかなか映えにくいと思います。たとえばテレビとかそういういわゆる王道・ポップなメディアでやったら、今よりずっとつまらないか、もしくは変な空気になると思います。」

 

まなか「それはエロネタやからテレビで流せないっていうことじゃないんですか?」

 

わいせ「いや、そういう基準でのNGではなく、テレビ文化との相性ですね。伝達する媒体がポップであればあるほど普通は幅広く普遍的に伝播していくと思うんですけど、ツイッター向けにチューニングされた冗談って、ツイッターとか雑誌の読者コーナーとかそういうポップではないメディアでやることにより、逆に一番伝播していくという感覚がありますね。逆説的で面白いと思います。」

 

まなか「それって歌に置き換えると、日常に根差したような歌を歌う行為ってかなりポップやと思います。内容だけでなく手段としてもポップってことですね。で、リトグリという存在を一番魅力的にわかりやすく伝える方法がまさにポップソングを歌うっていう手段なんかなって思います。もちろんポップソングでない曲を歌うことで私達の新しい魅力を発見してもらうこともあるし、自分たちもそういうことに挑戦していきたいという思いはありますけど。」

 

わいせ「そういう形で発見されたり訓練によって生み出されたりするリトグリの大衆的ではない魅力さえ、ポップソングを歌うという『手段としてのポップ』を通じてこそ最も幅広く愛されると思いますし、その構図全体がリトグリという存在をポップたらしめているという感じがしますね。」

 

まなか「そう考えると、わいせさんと私たちリトグリは、どちらもポップなところがあるけれど、その種類が違うという感じがしますね。」

 

わいせ「そうですね。ポップでない手段で逆に潜んでいたポップさが最も良く鑑賞される僕と、ポップな手段を通じてこそポップでない側面が最も良く鑑賞されるリトグリという対比を考えると、まさに僕たちは対照的なのかもしれないですね。そろそろお時間なのですが、ちょうどいい感じにまとまりましたね。」

 

まなか「今日はありがとうございました。私もポップってことについていろいろ考えるきっかけになりました。」

 

わいせ「こちらこそお忙しい中こんなややこしい対談にお付き合いくださりありがとうございます!メンバーの皆さんには僕が紳士だったと是非伝えてください。」

 

まなか「いやぁ、信じてもらえないんじゃないですかね。名前がわいせつやし。」

 

わいせ「ポップじゃないですか!」

 

まなか「どこが!」

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいせvsまなか その2

会社ではゴミクズのような存在なるもひとたびツイッターで性欲関連のツイートを紡ぎ始めれば急にギラギラと輝き出すわいせっつー氏。幼くして天性のセンスと歌声で世の中を圧倒し続け今や大人への脱皮の過程でさらに高次元に昇ろうとしているLittle Glee Monstermanakaこと福本まなか。決して出会うはずのない、出会ってはいけない2人が、3月都内某所で対談した。(※この対談はフィクションです。)

 

第1回から続く)

わいせっつー(以下わいせ)「僕は基本的にエロいことばかり考えてますよ。でも、それって女の子とイチャイチャしたいとかナンパしてやろうとかを常に考えているわけではなく、内より湧き出る性欲を常に見つめているという事なんです。」

 

福本まなか(以下まなか)「自分の中から湧いてくるものを自分で見つめるのって難しそうですね。」

 

わいせ「まなかさんは芸術家なので内から湧き出るものに突き動かされて活動されているものと想像しますが、他者からの評価ってどのようにお考えですか?」

 

まなか「他者からの評価って、ファンの皆さんからの意見とかですか?それともボイストレーニングの先生の意見とか?」

 

わいせ「つまりですね、まなかさんのように表現を生業にされている方は、周りがなんと言おうと私が良いと思う方向に歩いていく…!というのが理想的なわけですよね。でもプロとしてやっていくため、例えば『こういう路線で売っていった方が人気が出る』『こういう曲の方が売れる」みたいなことを考慮することもありえると思うんです。」

 

まなか「あー…つまり、周りから評価されて“売れる”こと自体が大事かというような話ですかね?」

 

わいせ「仰る通りです。」

 

まなか「私は両方やらないとダメなんじゃないかなって思ってて。両方っていうのは、自分の歌を貫くということ、その上で、やはり売れることを目指すべきだと思ってます。」

 

わいせ「世の中には、とても優れたアーティストが、世間に知られないまま、商業主義に染まらずに世界観を保っていたりしますよね。売れると『マイナーな頃は良かったのに』と批判されたり……。それでもやはり、まなかさんとしては、売れないとダメだろうということなんですね?」

 

まなか「まず、売れてないミュージシャン=ダメと言ってるのではなくて。尊敬すべきアーティストは売れている人の中にも売れてない人の中にもたくさんいます。私が言っているのは自分自身の姿勢のことですね。自分には『もっと売れる』というテーマを課していますよ。」

 

わいせ「その理由で一番強いのってなんですか?」

 

まなか「売れたからこそ、今までよりも多くの人に歌を届けることができると思っているからです。売れたからこそ、良い機材でレコーディングさせてもらえて、大きいレーベルで発売させてもらえて、宣伝もしてもらって、テレビやラジオにも出させてもらって、より大きなキャパの会場でライブができる…」

 

わいせ「独りよがりで音楽やって誰にも聞いてもらえないまま死んでいったら、勿体ないですもんね。」

 

まなか「そういうふうに『売れなくてもいい、コレが私の音楽やから!』って閉じこもっていくのも1つのやり方とは思いますが、わたしたちは多くの人の心に爪痕を残したいと思って歌をやってるんで、そういう態度を取ることはありえないんです。でも、自分たちの音楽を忘れて売れ線ばかり考えた結果として売れたとしても、それは私たちの本当の姿ではないから、それは意味がないと感じるんじゃないかなと思います。」

 

わいせ「非常に示唆に富んだお話をお伺いしました。なぜこんな事を伺ったかというと……いや、これ並列に語ることすら大変失礼にあたるかもしれないんですけど、ツイッターやってると『人気って何?ツイートが評価されるって何?いいねって何?』という問いに直面しがちなんですよね。すみません、ホント全然次元がちがう話で!僕は仕事でツイッターやってるわけではないので、同列にしてしまったことを謝ります。」

 

まなか「わかりますよ。今はリトグリみんなのアカウントになってますけど私もツイッターやってたし、個人ではインスタもやってるんで。」

 

わいせ「正直に言うと、僕はツイッター始めた時は『フォロワーたくさん増えてほしい、人気出てほしい、できれば有名なアカウントになりたい』って結構本気で思ってたんです。今思えば実に恥ずかしい話です。」

 

まなか「いえ、全然恥ずかしくはないでしょう。誰しもそれはあるんじゃないでしょうか。」

 

わいせ「ツイートを一生懸命考えて、自分なりに工夫に富んだと思えるようなことを呟いているのに、全然『いいね』が増えなくて、正直最初の一年か一年半くらいはストレスでした…」

 

まなか「誰かに強制されてやってるわけではないんでしょうし、ストレスに感じるくらいならやめてもよかったんじゃないですか?」

 

わいせ「冗談を言うこと自体は楽しかったんですよ。で、ある日、僕の冗談が珍しく多めにRTされて多くの人の目に触れたんですけど、フォロワー数は全く増えなかったんですね。それまで僕のツイートはそもそも埋もれてるからフォロワーもいいねも増えないんだと僕は思ってたんですけど、世間の目にある程度触れても特筆すべき違いは生まれない、世間的には僕はつまんない奴なんだっていう現実に直面せざるを得なかった。今だったら、たとえ面白いと思った人でもフォローするとは限らないとわかるんですけどね。」

 

まなか「フォロワー数やいいねの数が本当の面白さを反映してるわけじゃありませんから…」

 

わいせ「まさに、今仰った点が大事なポイントだと思うのです。ツイッターで価値のあることを呟いてても、いいねの数がその価値に比例するわけではない。その通りだと思います。その上で、まなかさんが先ほど仰ったことをツイッターに当てはめると、自分が面白いと思うことを呟くべき、こうすればいいねが増えるなとか考えているようではダメ、でもその上でやはりバズることを目指すべきという事になるかと思うんです。」

 

まなか「ツイッターはつぶやくのも読むのも無料ですし、いいねを付ける意味も、人とかそのツイート内容によって変わりますよね?これは『オモロイ!』のいいねだけど、こっちは『わかるわ〜』のいいねだとか。『感動した!』とか『かわいい!』ってのもあるし、『ムカつく!』で付ける人だってもしかしたらいるかも。いいねの数は評価の目安としては使えなくないですか?」

 

わいせ「そうですね、まず人の評価を気にするべきかという論点がありますが、仮に気にすべきだとしても、ツイッターのいいねとかRTとかフォロワー数は評価の指標にはならないから、結局バズることに価値などないということになると思います。」

 

まなか「バズることに価値が全くないとまでは私は思わなくって、例えば私がリトグリの曲を宣伝するためだけにツイッターをやってたとしたら、ある意味どんな手を使っても拡散すればするほど、もともとの目的を達成することに繋がっているわけですから、そういう場合はRT数やフォロワー数はほぼそのまま価値を持ってくるって言っても間違いじゃないように思います。でもわいせさんのアカウントはそうじゃないですよね?」

 

わいせ「そうじゃないですね。思いつきを垂れ流してるだけの僕みたいなのがいいねの数とか気にすること自体、本来は阿呆らしいんですよ。結局、フォロワー数が600だか700だかを超えた辺りから、何人からいいねされたかとか誰からいいねされたかとか全く気にならなくなりました。今では通知欄の『いいねされました』はほとんど見ていません。」

 

まなか「実際見きれなくないですか?」

 

わいせ「いえ、見ようと思えば全然余裕でチェックできる数です。見きれないのではなく、いいねを気にしたくなくて見ないようにしてるんです。以前は、中身空っぽなのにいいねがたくさん付いてるツイートを見てムカついたり嫉妬したこともありますけど、今ではそんな暇があったら今よりもっと楽しい冗談を考えたいと思えるようになりましたね。」

 

まなか「これは多分ですけど、今わいせさんがいいねの数を気にしなくて平気になったのって、いいねがそれなりに付くようになったからじゃないですかね。」

 

わいせ「それはあると思います。逆説的ですね。」

 

まなか「あと、これも多分ですけど、いいねが欲しくてたまらなかった期間があるからこそ今があるってこともあるんじゃないですか?」

 

わいせ「えっ、そういうふうに考えたことはなかったですね……!いろいろ頭を使って工夫するようになって成長できた、みたいな事ですか?うーんどうだろう、自分ではいいね欲しさの努力はしてきたつもりはないかなぁ…ツイッターっぽいリズムで文章を書くようには心がけるようになったかもしれないです。ツイッターって独特の文体というか文のリズムがあるんですよね。」

 

まなか「自分らしさを出すことには変わらないけど、ツイッターに合う形で出せるようになったっていうことじゃないですかね?私たちもリトグリならではの歌声を届けようという努力は変わらないけど、その届け方はその時代とか条件を反映させたものでええやんって思ってやってますよ。」

 

(続く)

 

 

 

 

 

わいせvsまなか その1

「これからは若い世代の声に耳を傾けていきたいと思っている。」わいせっつー氏はそう言って、次の対談相手に驚くべき相手を指名した。今をときめくLittle Glee Monster(通称リトグリ)のmanakaこと福本まなか氏である。何寝ぼけたこと言ってんだ殺すぞとスタッフ全員が思ったものの、あの姫川ゆうなさんも会ってくれたのだからもしかしたら、とダメ元でオファーしたところ、なんと超多忙なスケジュールを調整して会ってくださった。3月、都内某所で、世界に羽ばたく若き天才と、やつれたサラリーマンが邂逅した。(※この対談は妄想でありフィクションです)

 

わいせっつー(以下、わいせ)「お忙しいところホントすみません!」

 

福本まなか(以下、まなか)「初めまして、今日は宜しくお願いします」

 

わいせ「正直、まさか会っていただけるとは思いませんでした……事務所的に大丈夫ですか?」

 

まなか「めっちゃ反対されましたね(笑)」

 

わいせ「やっぱり(笑)」

 

まなか「だって名前からしてヤバイじゃないですか。メンバーもツイート見て『うわ、なんなんこの人?!』『下ネタしか言うとらんやん絶対ヤバい人やって!』みたいな反応でしたよ。全力で止められました。」

 

わいせ「それ普通だと思います。それなのになぜ会ってくださることにしたんですか?」

 

まなか「下ネタをいうこと自体は褒められたものではないかもしれないけど、1つのことにひたむきに打ち込んでいるという意味では、私たちと同じかもわからんなって思ったんです。」

 

わいせ「そんな…嬉しすぎますね」

 

まなか「対談することになってツイート読ませてもらいましたけど、なんか意味がよくわからないものとか、とにかくキモいのとか、正直ありました。でも、なんていうんやろ、モーメントで数年前のツイートも見ましたけど、今と変わってなくて。」

 

わいせ「成長しない男…」

 

まなか「いい意味でですよ?私たち2014年10月がメジャーデビューなんですよ」

 

わいせ「そうなんですね!僕がわいせっつーを始めたのも2014年です。12月ですね。」

 

まなか「私たちメジャーデビューから本当にいろいろあって…そんな中で原点を忘れずに今日までやってきたという思いがあるので、同じような時期に生まれたアカウントが原点を忘れずにやってきているっていうことで、共感できる部分は……ないわけではない、ある事はあったんです。」

 

わいせ「もったいなきお言葉です。もちろん僕のくだらないドスケベな冗談と、日本が世界に誇る唯一無二の歌声とでは、同列に語るだけで怒られてしまいますけどね…ところで、原点を忘れないようにという話がありましたけど、デビュー当時と今で変わったことと変わってないこと、ありますか?」

 

まなか「私たちは複数の歌声でやっているので、一人一人が自分の個性で歌を届けようというのと同時に、一緒に声を出したときにどう聞こえるかということはすごく意識してますね。それはデビュー当時から変わらないです。でも、私自身デビューしたての頃はまだ『いかに上手く歌うか』という意識が強かったですね。音程とかリズムとか。もちろん表現のことはデビュー前から考えてましたけど、経験を積んで、『この歌をどう表現するか』『どう届けるか』という事をそれまで以上に考えるようになりましたし、それに対応する引き出しも増えました。」

 

わいせ「なるほど…やはり次元が違いますね。かなり小さい頃から人前で歌を歌われてらしたんですよね?子供の頃はどんな感覚で歌をとらえていたんですか?」

 

まなか「そうですね、小学生の頃には地元のイベントで歌ったりしてましたね。中学生のときには一人でテレビに出たりして…リトグリに入ったときも中学生でしたけど、ちっちゃい頃から歌うのが好きで、楽しくて気持ちいいから歌うっていう感覚だったと思います。なにかを届けようとかは最初はなかったかな。わいせっ……名前言うのちょっと恥ずかしいですね〜(照)…わいせさんは、小さい頃からえっちなことばっかり言ってたんですか?」

 

わいせ「まぁー言わないわけではなかったですけど、下ネタばっかりってことはなかったですね。少なくとも大学入るまでは、男友達にすら『ちんこ』とか言ったことないですよ。あ、スミマセン……」

 

まなか「大丈夫です。一応覚悟してきましたから。でも私のことをえっちな感じでイジるのはNGです……マネージャーさんからも伝わってると思いますけど。わいせさん自身の話なら大丈夫ですよ。」

 

わいせ「わかってます!今もすぐそこで僕を鋭い眼光で監視してるマネージャーさんにキツく言われてますから!」

 

まなか「わいせさんの原点はなんですか?ツイッターでこういうことをしようという、そもそもの始まりというか」

 

わいせ「インターネットで冗談を言っていきたいという思いは前からあったのでいろいろ試していたのですが、ツイッターっていいんじゃないかなって思ったものの、思いついた冗談をただ漫然と呟くのはダメだろうって思いまして。それじゃ埋もれてしまうから、何か他の人と差別化を図りたいという思いがありました。そこで、1つのテーマに限定して呟こうと決めたんです。音楽とか映画とか何でもよかったんですが、ネタ切れを起こすこともなく、一番冗談として汎用性が高いものという事で、性欲縛りというのを最終的に決めました。」

 

まなか「そうなんですね!ちょっと意外でした。」

 

わいせ「意外ですか?」

 

まなか「たぶんほとんどの人は、わいせさんのツイートを見て『あーこの人はめっちゃエロいこと言いたくて仕方がないんやろな』って思うと思うんです。でも今のお話だと、エロいこと言うぞーってのがスタートではなくて、他と違うことしようって考えて、戦略としてエロいことを選んでますよね」

 

わいせ「そういう側面はありますね。まなかさんは、もちろん他と差別化するために歌を選んだのではなく、『私には歌しかない…!』という想いだったわけですよね。」

 

まなか「そうですね、私にとって歌はとって特別なところに位置してますね。でもいろんな事に興味はあるんですよ。ギター練習したりとか。でも、音楽以外のことも含めて、どんな事でもプラスなことが歌に返ってくると思ってます。人生のあらゆる経験が全部歌に返ってくるなって実感してます。」

 

わいせ「僕も日常のあらゆる材料がツイートの元になっていますね。もう長いことやってるんで、ありがちなエロい話とか、どっかでコレ聞いたなってなっちゃうんで、エロと全然関係ないものの方が発想のスタートとしてはいいんですよ。たとえば…ここにコンビニのサンドイッチがあるとしますよね、そしたら『サンドイッチ×性欲』でなんか書かないかな……って思うわけです。そういう方が浮かびやすい。」

 

まなか「じゃあ、年がら年中エロいことばっかり考えてるからこその性欲縛りツイッターというわけでは、必ずしもないんですね」

 

わいせ「それは♪Yes and no〜Yes and no〜ですね(編集部注:リトグリの『私らしく生きてみたい』の一節を口ずさむ)

 

まなか「(笑)ありがとうございます」

(続く)(第2回)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エロコンテンツは女性の地位を貶めない、むしろ高める。

  このブログ記事は、“男性向けのポルノやセクシーなグラビアなど(以下便宜的にエロコンテンツと呼ぶ)が女性の社会的地位を貶めることに繋がっている”というような指摘がいかにおかしいかを論証し、むしろエロコンテンツは女性の社会的地位向上に貢献する存在になりえると提唱する文章である。 本稿では第1節で、いったんエロコンテンツの話から離れて女性の社会的地位を貶めているものは何なのかを探る。第2節で「エロコンテンツは一般的に女性を貶める」という説を反証し、第3節では、エロコンテンツがむしろ女性の社会的地位を向上させる可能性を指摘したい。 

 もちろん筆者は女性向けポルノの存在を認識しているし、それが女性の社会的地位にもたらす影響を論じるのは興味深いが、ただでさえ論点が拡散しすぎているので、ここではあくまでも男性向けのポルノやセクシーグラビアだけを「エロコンテンツ」と定義したうえで、男性を喜ばせるエロコンテンツと女性の社会的地位との関係に焦点を絞ることとする。

 

第1節 女性の社会的地位を貶めているのは何なのか

  • 結果の男女平等を目指すことはかえって女性の自由意志を阻害する

 日本における女性の社会進出は欧米諸国と比較して遅れているとしばしば指摘されるが、その手の社会数値指標は単純に国会議員や企業の幹部に女性が占める割合といった結果の平等を計測していることが多い。日本では教育の機会は男女平等に与えられているし、女性が国会議員や企業の幹部になる上で障害となる法制度はない。むしろそのような地位を目指す女性たちが一様に口にするのは制度的な障害ではなく「ガラスの天井」と言われるような見えない差別である。だが、「ガラスの天井」は“上昇”を志向した者だけがぶつかるものである(議員や幹部を目指すことを“上昇”と呼ぶべきなのかはともかく)。「ガラスの天井」にぶつかる女性だけに着眼しても社会全体の男女平等を論じたことにはならない。たとえば、もし国会議員になりたいと思う人が女性には0.01%しかいなくて男性には0.1%いたとしたら、たとえ男女平等が実現した社会においても国会議員の男女比は半々にはならないという事である。

  では国会議員を目指す女性を増やすべきか?社会全体の利益という視点で見れば、女性の意見が国会にもっと反映されるように女性議員を増やした方がいいだろう。だが個々の人生という視点から見ればそうとも限らない。職業選択はその人の生き方の問題なので、周りが「女性の地位向上のためにあなたは議員を目指しなさい」と言うわけにはいかない。

 つまり、結果の平等だけを目指すことは個々の女性の自由意志を軽視することになり、かえって女性の地位を低下させるということである。結果平等主義が主張に通底する論者はフェミニストの皮を被った女性の敵であるということは、ここではっきりさせておく。

 

  • 2種類の非制度的バリア ~「歩きだした結果ぶつかる壁」と「歩き出せなくしている壁」~

 女性を公然と差別する制度が存在しない社会では「ガラスの天井」などの目に見えない障害、つまり非制度バリアの解消に取り組むことが望ましい。

  「女なら結婚したら家庭に入って仕事をやめろ」「家事や育児は女がやるべき」「その歳でまだ良い相手もいないのか」「女のくせにはしたない、慎ましくしろ」女性ならこれらの不当な圧力を公然とかけられた経験があるのではないか。これらのジェンダーバイアスが、制度とは異なる次元で女性の可能性を抑圧するのである。

 国会議員の例えで言えば、自分の意思で議員を志したのに「女のくせに男にたてつくのか、やめておけ」「女に政治は無理だ」などと言われて、男なら得られていたであろう支援が得られなかったとしたら、これは非制度的バリアだ。

  ただ、この手のバリアは、一度自分の意志で茨の道を歩むと決意したという意味では、本人が頑張りで困難を突破していくことが十分ありえる分まだマシである。これが「歩き出したためにぶつかる壁」である。

 より深刻なのは「歩き出せなくしている壁」の方である。なぜならそれは社会レベルと個人レベルの両方で女性を抑圧しているからである。「歩き出したためにぶつかる壁」は結果の不平等をもたらし社会レベルでの女性の地位低下に繋がるが、それでも個人の自由意志の発露を許している。一方「歩き出せなくしている壁」は後者さえも封じ込めているのである。

 「歩き出せなくしている壁」の正体は「ロールモデルの不在」と「ジェンダーバイアスのかかったモデルの偏在」の2点である。次で詳しく見ていこう。

 

 ロールモデルというのは職業に限った話ではないのだが、わかりやすくするため職業で例を出してみる。我々には職業選択の自由があるが、自由があるというだけではどんな職業にでもなれるわけではない。知らない職業にはなれないからである。

  かつて海上保安庁は一般にさほど知られていなかったし、聞いたことはあるという人からも海上自衛隊とゴッチャにされたり、警察組織の一部と思われたりしていたが、漫画「海猿」のヒットと映画化により認知度が飛躍的に向上し、今や潜水士などは憧れの職業として女性にキャーキャー言われたりもしている模様だ。エンタメが子供たちに職業あるいはもっと広い意味での大人としての在り方のモデルを提示し、子供たちは無意識のうちにそれを取り込んで大人ステージでの選択肢を考えていくというパターンの好例が「海猿」なのである。

 漫画でいえば「YAWARA!」という作品もある。それまで柔道といえば武骨な男のスポーツであり、それを敢えて女性がやるという女子柔道は明らかにマイナースポーツの類いだったのが、この作品によって世間からの認知がまるで変わったことは周知のとおりである。この作品がジェンダー論の文脈からみて非常に興味深いのは、それまで「お前は女三四郎だな」と呼ばれていた女性柔道家が「君はヤワラちゃんだね」と言われるようになるという変化をもたらしたという点である。これは、男性の亜流(「女」+「三四郎」)としてしか定義しにくかった女性柔道家を、男性のコピーではなく女性単独でオリジナルな存在として確立させる上で、漫画「YAWARA!」がロールモデルとしての役割を果たしたということである。

  わかりやすいよう漫画を例に出したが、ロールモデルというものはエンタメでなくても構わないし、むしろ伝統的には家族などの身近な存在が典型的なロールモデルにあたる。そもそもロールモデルがあって初めて人は何かを目指そうと思えるということになるのだから、ロールモデルの不在は、制度的な障害の有無以前の段階で、自由意志の発露や十分に潜在能力を発揮することを妨げることになる。したがって、女性の可能性を様々な方向に発揮するためのロールモデルが男性のそれよりも圧倒的に少ない社会は、女性を貶める社会構造を持ってしまっているといえるだろう。

 

 「ロールモデルの不在」が「マネしたいお手本がないという問題」ならば、「ジェンダーバイアスのかかったモデルの偏在」とは「マネすべきでないお手本しかないという問題」である。

 テレビ番組や本、雑誌、インターネットコンテンツなど、様々なメディアの中に、女性は当然こうすべきである/こうすべきではないといった言説や、それを前提にした設定・描写があふれている。わかりやすいようにまた漫画を例に出すが、「クッキングパパ」という漫画がある。「クッキングママ」という漫画は成立しえない。ママが料理をするのは当たり前で、料理をするパパは珍しいという前提があるからこそ成立するタイトルである。

 しかし「クッキングパパ」だけを槍玉に上げるのはフェアではないと言えるくらい、より一般的なジェンダーバイアスはそこかしこに満ちている。もちろん、それは一概に悪いこととは言い切れない。すべての物事を完全にフェアにすると、いかなる発言もできなくなるし、物事を単純化して区別することでこそ人間の世界観は整理されるからである。ただ、ここではそういう原理的な話ではなく、ジェンダーバイアスが商業と結びついているという点に着眼すべきである。例えば、「女の子は可愛くなろう」「素敵な恋愛をしよう」といったメッセージは、一見すると多くの女性が生まれながらにして持つ内発的動機を外界が単にエコーしているだけのようにも思えるが、実際はそのような価値観を前提にしたエンタメが多くの商業広告とともに押し寄せてくることで、我々はそのような行動に向かわされているのである。テレビや雑誌やインターネットなど、そして広告が一切ない社会をイメージしてみてほしい。そこでも女性は今しているのと同じ口紅を求めて店を探し歩き回ったり、フルーツの乗ったパンケーキと一緒に収まった写真を撮って現像し友達に見せて回ったりするだろうか。我々が自然と見聞きするものの中に、女性はこのように行動しましょうという「指図」が溢れている。我々がそれに振り回されずに自由意志を発露しようとしても、女性はこうすべきという枠組みが取っ払われた発想をすること自体が難しい。

 

  • 第1節まとめ

・平等には機会の平等と結果の平等があるが、結果の男女平等を追求することはかえって女性の自由意志を阻害する。

・機会の男女不平等を生む原因には制度的バリアと非制度的バリアがあるが、日本では目立った制度的バリアはないので、非制度的バリアに取り組んだほうがいい。

・非制度的バリアのうち、女性とはこうあるべきという枠組みに囚われずに行動した人がその結果としてぶつかるバリアもあるが、自分の意志で動き出している分解決の見込みは高いだけマシ。そもそもそのような枠組みに囚われた発想からしかスタートできないというバリアの方が問題。

・後者の非制度バリアの正体は、ロールモデルがいないことと、ジェンダーバイアスのかかったモデルしかいないこと。

 女性が子供の頃からこれらの2つの要素から成る「歩き出せなくしている壁」に晒されて育つ以上、女性の社会的地位の問題は再生産され、踏み固められていくのである。(もちろん、これと全く同じことが男性にも言えるが、本稿ではエロコンテンツが女性の生き方に与える影響を論じるのが目的なので、男のジェンダーバイアスについては追求しない。)

 

第2節 エロコンテンツは女性の社会的地位を貶めるものに該当しているのか

  • 子供の男女観はAVによって作られてはいない

 AVやエロ本には女性に対する「歩き出せなくしている非制度バリア」が存在することへの責任があるのだろうか。答えは当然NOであろう。そもそも子供はAVもエロ本も見ていないという点に留意する必要がある。勿論ちらっと見ている子もわずかにいるだろうが、そのような微々たるケースよりも圧倒的にエロコンテンツ以外の要素の方が子どもの男女観に与える影響が大きいだろうことは誰でもわかるだろう。子供の頃から「歩き出せなくしている壁」に晒されて育つことが女性の社会的地位の問題を再生産していると第1節の終わりで述べたが、原則として子供の目に触れないエロコンテンツは、その過程において主要な役割を果しえないのである。

  • 女性だけを描いたエロコンテンツで男女の役割分担の平等性を論じることの愚

上記の一点だけで十分に論破可能なのだが、一応もう少し丁寧に論じる。まず、エロコンテンツはそもそも何らかのジェンダーモデルを提示しない。エロコンテンツは、ひたすら女性を中心に描きながら男性に訴求するという特殊な構造をしている(この記事においてエロコンテンツは男性向けのみを指すことを想起されたい)。AVには男性も登場するが、それはオナニーをする上で便利なように便宜的に道具として登場しているだけであり、ユーザは男性を見たくてエロコンテンツを見るわけではない。したがって、エロコンテンツの中で女性が何らかの職業や社会的役割を演じていたとしても、それは男女ともにいる中であえて女性に積極的に割り振られたものではなく、エロコンテンツにおける事実上唯一の登場人物である女性がそれをやっているに過ぎないという点に留意する必要がある。

例えば「AVを見たら裸エプロンの女性が料理をして、男は手伝わずに食事していた!これは男女差別の温床だ!」と文句を言う人はいないだろう。エロの観点から女性に裸エプロン姿になってほしくてそういう演出をしているのだから、男性が料理するはずはない。男性が料理したら男性が裸エプロンをしなければならなくなるが、そんなものは誰も見たくない。

言い方を変えれば、エロコンテンツにはジェンダー的に適切なロールモデルが登場しえないのである。それを批判することは、女性更衣室に男性トイレがないことを怒るようなものである。

その上で、「エロコンテンツにはジェンダーバイアスのかかったロールモデルしか登場していないから問題である」という指摘についても念のためカバーしておく。まず、仮に女性が特定の役割ばかりをエロコンテンツの中で果たしたとして、それはAVが発明したり発達させた文化ではなく、ドラマや漫画といった非エロメディアで構築されたフォーマットを踏襲しているだけである。そういった見慣れた設定にこそエロを感じるから製作者がそのような設定を選んでいるだけであって、非エロメディアがジェンダーバイアスから完全に解放されればエロコンテンツも自然とそうなるはずである。

たとえば、先日見たAVでは風邪をひいた男性社員のところに女性同僚がお見舞いに来て家事をしてあげるという設定が登場したが、そのような設定が採用された背景として、世の中の男性には「自分が弱っているときに自分の面倒を見てくれる女性にグッとくる」というエロとは無関係の認知が先に存在していて、そのツボをくすぐるために後からそれを踏まえたAVが作られたのであって、順番はその逆ではない。

 つまり、非エロコンテンツがジェンダーバイアスのかかったストーリーや設定だらけである時に、それらを責めずに、単にそれらを模倣もしくは流用しているだけのエロコンテンツだけを取り上げて責めるのはお門違いである。

  • 第2節まとめ

・そもそも子供はエロコンテンツを見ないので、人はエロコンテンツを通じて女性を貶める社会認知を獲得すると思うのは間違い。

・また、エロコンテンツは基本的に女性のみを登場人物にしているので、エロコンテンツにおける男女間の役割の差異を論じること自体が無意味。

・エロコンテンツにジェンダーバイアスがあったとしても、それは必ず非エロ発祥なので、エロコンテンツを責めるのは間違い。

 上記のことからも、ロールモデルの不在やジェンダーバイアスのモデルの問題がエロコンテンツとは無関係であることが明らかである。したがって、エロコンテンツが女性の社会的地位を貶める存在であると主張することは詭弁であることが十分に明らかになった。

 

第3節 女性の地位を高めるエロコンテンツ

 これまでエロコンテンツが女性の社会的地位を貶めている戦犯だという説は濡れ衣であることを論証してきたが、ここからは一歩進んで、むしろエロコンテンツは女性の地位を高める存在ではないかという仮説を立て、その根拠となりうる視点をいくつか挙げてみたい。

 

  • 女性なくして成り立たない業界を育てるという視点

 男性の性欲を満たすために女性の性が搾取されているのがエロコンテンツ産業であるから、エロコンテンツの存在自体が悪であるというのは、たまに急進的なエセフェミニストが主張する立場である。だが、エロコンテンツ産業に女性を不当に害する側面が見られがちであるということと、エロコンテンツ産業をなくすべしという議論は全く別のものであることは明確に述べておきたい。

 エロコンテンツ業界の一部に見られる、女性を不当に害する行為の代表的なものとして「困窮者、知的障碍者、知識や経験の浅い子供などの社会的に弱い立場にある女性をその弱みに付け込んで性的搾取の対象とする」「性の自己決定権がないような幼い子供を性的に搾取し肉体的精神的に取り返しのつかないダメージを与える」「不当な契約を巧みに結ばせたり、親や学校・職場へバラす等の脅迫をしたりして本人の同意の範囲を超えて撮影や流通を行う」といったものがあるだろう。これらは断じて許されるべきではなく、“エロコンテンツに限らず”そのような違法行為や人権侵害をなくしていくべく国、企業、そして消費者がそれぞれの立場で努力していくべきである。

 逆に言えば、これはエロコンテンツに限らない普遍的な問題であり、そのような問題が存在するという理由でエロコンテンツ産業自体を女性に害をなすものを決めつけるのは合理的思考ではない。そのような短絡的な主張を受け入れるのであれば、人身売買や児童労働により不当な環境下で女児が収穫したカカオが存在するという理由で、チョコレート産業についても女性に害をなすものとして消滅を主張せねばならなくなる。現にダイアモンド利権の奪い合いにより一部アフリカ諸国で深刻な人道危機が見られた際に、そのような経緯で製造されたダイアモンドを「血塗られたダイアモンド」と定義して市場から排除する試み(いわゆるキンバリー・プロセス)がなされたが、エロコンテンツ全体が悪だと決めつける人たちは適切な人権環境で製造されたダイアモンドも含めすべて拒否して生きているのだろうか。「AVなんて汚らわしいざます!」と顔をしかめるエロコンテンツ全否定オバサンがいたら宝石箱を開けて見せてもらいたいものである。

 これは非常に重要なポイントだと思うのでそのつもりで読んでもらいたいのだが、エロコンテンツの構造を「男性の利益のために女性が利用される」という図式でしか理解しないこと自体が女性を“舐めている”行為だということにエロコンテンツ否定派は気付くべきである。セックスに関する事象において女性は主導権を握れるような大した存在ではないという偏見を内在化しているから、エロコンテンツが女性の隷属のように見えてしまうのである。女性を擁護しているつもりで、自身の女性差別をはからずも露呈してしまっている論者は多い。

 不本意ながら身体を売らざるを得なくなったお金に困った女性がエロコンテンツの供給源であった時代はあったかもしれないが、現在エロコンテンツで活躍している人たちがAVやグラビア以外の場で語る内容を見れば、彼女たちがグラビアやAVの仕事を主体的・能動的に捉え、自分なりの工夫や努力をして成長し、それを商業的価値として認識できるレベルまで高めていることに誇りを持っていることがわかるだろう。エロコンテンツは、女性がその個性や才能をもって男性を魅了することができる業界なのである。彼女たちの表現の自由職業選択の自由を保護する視点が偽善フェミニストには欠落しているのである。

エロコンテンツにおいては、原則として登場人物は女性のみであり、男性が登場する場合もあるがあくまでも女性の魅力を鑑賞者が最適な形で受け取れるための道具として便宜的に登場するに過ぎないということを先ほど指摘したが、これは言い方を変えれば、エロコンテンツ産業は、適切な意思決定過程への関与や不当な契約の排除さえ確保できれば、圧倒的に女性が活躍するチャンスが多い産業ということでもある。単に自分がエロコンテンツが嫌いであるという情緒的な主観をさも一般的な問題提起であるかのように偽装している一部のエロコンテンツ否定派たちが、エロコンテンツで立身し生計を立てている誇り高きAV女優やグラビアアイドルの努力を矮小化し貶しめることを許してはならない。むしろ、女性が活躍できる場を増やすというフェミニスト視点からは、女性でなければ活躍できないエロコンテンツ産業を健全な業界として育てて保護していくことこそが正しい姿勢なのではないか。

  

  • 荒ぶる性欲をすべて女性本体が受け止めなくてもよくなったという視点

男性の性欲はなくせないし、なくすべきものでもない。なくしたら人類は絶滅する。したがって、性欲自体がダメという立場はとりようがないし、性欲は所与のものとして扱う以外にない。

そのうえで、エロコンテンツがない時代は、性欲は女性本人に直接ぶつけられてきた。50万年前にはAVも水着グラビアもなかったが、男性の性欲は当然あっただろう。男性の性欲が所与のものである以上、女性が全て受け止めるしかないではないかという認識が長い間存在していたものと考えられる。その一つの根拠となるものとして、夫婦間では性交渉を求める権利と応じる義務があるという法的な考え方がある。これは民法上で定義されているものではないが、性行為を合理的な理由なく拒否され続ければ離婚の事由となりうることは判例が示している。つまり日本の法的感覚においては、夫婦関係の持続において性行為は決定的な要素であるとの考えが許容されているということだが、これはこういうことでもある。つまり、「セックスしたいという欲望は無理もない!もちろん夫婦でもない相手とはできなくてもしょうがないな!でも夫婦ならセックスするのが当然だろう!だからセックスを求められたら基本断るなよ!」という考え方が背景にある。もちろん夫婦は人口の再生産のための枠組という側面があるので、単純に性欲の問題として論じることはできない。だがここであえて“性交渉要求権”に言及したのは、生物学的または社会的な子作りの必要性を抜きにしても、性欲は基本異性に向かわしめるものという認識が一般に許容されているということを示すためである。

 性交の性質上そのような認識が存在するのは当然であるが、エロコンテンツの登場により、それが必ずしも当然ではなくなっているという点をまず指摘したい。これまで問答無用で女性にその矛先を向けられていた性欲が、今や相当部分がエロコンテンツにぶつけられている。この事は、エロコンテンツがなかった時代と比べ、女性がひとりの人間として丁寧に見られやすくなり、ひとりの人格として尊重されやすくなる可能性を秘めているとは言えまいか。実際に現代社会がそうなっているかどうかの検証をするにはこの文章はすでに長くなり過ぎた。ただし、その可能性自体は確実に開けていることは間違いない。真のフェミニストであれば、女性の社会的地位向上を目指す戦いの長い歴史の中で、エロコンテンツの普及が前向きな意味でも革命的な出来事として位置付けられるべきであるとの認識を有しているはずである。

 

  • 第3節まとめ

 ・エロコンテンツ産業は女性こそが活躍できる場としての可能性を秘めている。

・エロコンテンツ普及以前には否応なしに女性本人にぶつけられていた男性の性欲をエロコンテンツが受け止めるようになり、女性が1人の人間・人格として認められやすい世の中になる可能性が開けてきている。

 情緒的にエロコンテンツに拒否感を覚える人がいるのはわかる。エロコンテンツ産業の一部において女性の人権侵害が行われていることも残念ながら事実である。だが、だからといってエロコンテンツそのものが女性を貶める存在そのものなのだと勘違いしては、その勘違いを隠れ蓑にしてほくそ笑みながら女性を食い物にして利益を得る真の黒幕の思うツボである。我々は、エロコンテンツに冷静な評価を与えることから始めようではないか。

 

おまけ

このブログは数人にしか読まれていないので問題はないとおもうが、今回はいつになく真面目なテイストで書いてしまったので、マジモンのフェミニストに見つかってボロクソに批判されちゃうかもしれないと思ってちょっとビビってる。そんなフェミニストの皆さんには僕のツイートをまず読んでもらいたい。そうすれば、相手をするだけ無駄なヤツだと気付いてもらえるだろう。

 

 

 

 

 

わいせっつーのツイートは有害か

わいせっつーに有害なツイートはない

僕のツイートは全て性欲関連ですが、未成年に有害なツイートはあるかという視点でどれだけ遡って確認しても有害なツイートはないと思うんですよね。

 

たとえば、僕のツイートをきっかけに中高生男子あたりがAV女優の誰かにハマって、勉強とか他の事が手につかなくなった!とかはあるかもしれないけど、それは僕のせいではないですよね。

 

あと、僕は画像や動画をツイートに付ける場合は女性器や男性器の丸見えを絶対に使わないのはもちろんのこと、乳首すら隠しているので、裸体をめぐるわいせつ性基準についても、現在の社会通念から著しく逸脱はしていないつもりです。

 

「女性を消費対象と見なす考え方」という病

そんな事よりもっと心配しているのが、僕のツイートを読んだ若い人達が、女性を消費対象として見下すような考え方を無意識のうちに内在化する可能性です。

 

もう少し具体的に言うと「女は男の性欲を満たすために存在してるんだ」「だから女は可愛らしく着飾ったりセクシーな服を着てこそ存在価値を発揮するんだ」「男にモテる女、男を性的に満足させられる女は優れていて、そうでない女は価値がないんだ」みたいな考え方です。その手の発想は、極論までいくと「女は痴漢しても別にいいんだ・される方が悪いんだ」とかまでいくこともあります。

 

このような考え方の内在化は、実は男性のみならず女性側にもごく普通に起こります。そして、本人の自己評価に直結する分、女性による内在化の方がはるかに深刻なのです。

 

読み手がまともな大人ばかりならやる必要のないリスキーな行為

僕のツイートは、その冗談じみた書き方からいっても、正面から影響を受ける人はまずないとは思います。

 

一方で、特に子供たちの中にはこの手のリテラシーが驚くほど未熟な子もいるということ、そして僕のツイートが、たとえネタ的であっても、上述したような女性蔑視的な発想を直接取り扱っていることの2点を考慮すると、念のためこの話をしておいた方がいいのかもしれないと思います。

 

この記事は「ネタを解説する」「ネタにマジレスする」という「二大サムい行為」にかなり似たことをしているのでリスクがあるのですが、僕のツイートは「ネタ」というほど仰々しいものでもない「ヘンな思いつき」「おじさんの冗談」なのでまあいいかということで、リスクは承知の上で書いていきます。

 

客観視できる者にしか出来ない書き方

まず、僕は、「女性は性的に消費されるだけの存在だと思ってる人たち」を客観視しないと理解できないことを書いています。

 

ゆえに、僕のツイートを読んだ人は「女性は性的に消費されるだけの存在だと思ってる人たち」がどんなに荒唐無稽で身勝手な発想をしているかを俯瞰し、自戒の意識を持つという効果があります。

 

本当に「女なんてエロ以外に存在意義ねーだろ」と心の底から思っている人は、そういう意識を取り扱った文章を読んでもそれを「冗談」として認識したり面白がったりできません。そういう自分を客観視できないからです。

 

僕はその手の「男のサイテーな側面」を極端に誇張したり喜劇的に描写することで冗談にする事が多いので、針が振り切れているぶん、そういった側面を客観視しやすくなっています。

 

「サイテーな男」は誰の中にも住んでいる

同時に、それを冗談として楽しんだ瞬間、それを自分も共有していることに気づかされます。そのような「サイテーな男」が程度の差こそあれ誰の中にも住んでいるからこそ冗談として普遍的に共有できるのですから。

 

なので、若くて未熟な方におかれては、「わいせっつーのツイートはそういう構造になっていたのかー」と納得した上で僕の性的ツイートを読んで(そして願わくば面白がって)ほしいと思います。また、フェミニストの方におかれては、僕のツイートをチラ見して早合点して「女性の敵!!!」とか思わないでもらいたいと思います。

 

若くて未熟な若者に向けたメッセージを書きましたが、ここで若くて成熟した体をお持ちの女性へのメッセージを送ります。セックスさせてください。以上、よろしくお願いいまします。

過ぎゆく2017年、来たる2018年(第4回・完結)

今から言うことは嘘なので真に受けないでほしいのですが、先日AV女優の姫川ゆうな
さんと都内の某ホテルで熱く愛を交し合ってきましt・・・ではなくて、わいせっつーとしての今年の振り返りとの来年の展望について対談を行いました。これはその第4回です(第3回はこちら)。もう一度言いますがこれは架空の対談です。

 

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姫川ゆうな(以下「姫川」):お待たせしました~(トイレから戻ってくる)

 

わいせっつー(以下「わいせ」):いいえ、全然。対談長くなってすみません。

 

姫川:大丈夫です。

 

わいせ:今日はこの後撮影とかあるんですか?

 

姫川:今日はこのインタビューだけです。

 

わいせ:こういう、撮影以外の仕事って結構あったりするんですか?

 

姫川:そんなにないですね。姫川、イベントとかやらない人なので。

 

わいせ:なるほど、じゃあこの後よかったらお食事でもしませんか?

 

姫川:えっ、嫌です。

 

わいせ:ですよね…いやぁそれにしても本当ビデオとイメージ違いますよね。

 

姫川:よく言われます。結構アホっぽくヘラヘラ笑っている役も多いので、そういうキャラクターを私自身に期待されることもあるんですけど、それはあくまでも役柄なので。

 

わいせ:ムカつく役をやったら本当に嫌な女のイメージが付いて嫌われてしまった裕木奈江さんみたいなものですかね。でも、AV女優って一般女優以上に、演じている姿をその女優さんの「素なんじゃないか?」と錯覚する観る側の勝手な思い込みの余地を維持することが期待されている気がしますし、それが女優さん側にとっては面倒なところでもありますよね。

 

姫川:そのように期待されていると意識したことはあまりないです。実際どこまでが素でどこまでが演技かなんて明確に線引きできませんし。

 

わいせ:確かに、その人の持っている本質的な魅力を素と呼ぶのであれば、どんな演技の中にも素は混ざりこみうるわけですものね。その混ざり方に女優さんの個性とか技巧が表れるんでしょうね。

 

姫川:ええ…。あーそうそう、さっき何か言いかけたじゃないですか。冗談がどうとか…

 

わいせ:あ、はい。僕がさっき言おうとしたのは、インターネットで冗談を言うということについてですね。僕は子どもの頃から学校でよく冗談を言ったりしていたのですが、学校での仲の良い友達同士で冗談を言い合うのは誰でもやっていることだし、気の合う仲間内で冗談が盛り上がるのは当たり前のことだと思っていたので、そこでみんなで笑い合った内容が世の中的に面白いかどうかは別問題だと思っていたし、世の中的にどうかということに当初関心はなかったんです。でも、だんだん世の中的にどうなのかということも少し考えるようになっていったような気がするんです。

 

姫川:それは何歳くらいの時の話ですか?

 

わいせ:うーん、それは高校生くらいのような気もするし、でももっと小さい頃からそういう視点があったような気もしなくはないです。

 

姫川:それって、自分の力を試してみたくなったというか、世の中的に自分がどれくらい面白いかを知りたいという意識ですかね?

 

わいせ:そういう「力試し」的な側面も多少あると思いますが、それよりは、自分が面白いと思う事を面白いと感じてくれる人がクラスの仲よしグループの外にもいるのであればそこに発信したり共有したりしたい!という「マッチング」の側面の方が大きかったと思います。少なくとも高校生くらいのときには、フォーマットを探していましたね。


姫川:フォーマットを探すって何ですか?

 

わいせ:クラスの仲のいい友達は僕が面白いと思って言ったことはたいてい笑ってくれるんですけど、やっぱり僕の言うこと全部が伝わるわけじゃなくて、ピンときてもらえないところもあるんですよね。A君に伝わる面白さ、B君に伝わる面白さ、微妙に違うので、相手によって話題を変えるってのは誰しもあると思うんですが、一番伝わる相手がもしかしたらこの世のどこか別の場所にいる見ず知らずの人かもしれないじゃないですか。だから、自分が良いと思う冗談をどういう形で発信して誰に伝えたら一番気持ち良いかということを考えていました。

 

姫川:発信したがり屋さんですね。今もそんな感じですもんね。

 

わいせ:気持ち良くなりたがり屋と言った方が正しいかもしれません。そんでまあ、雑誌とかテレビに、自分が面白いと思うことを投稿して、それなりに拾ってもらったこともあるんですが、マスメディアを通じてだとやっぱり発信者としては自分は取るに足らないちっぽけな存在という事実に直面します。お笑い芸人でもハガキ職人でもない。でも、そこでインターネットの時代が来るわけです。

 

姫川:誰もが発信者になれる時代ですね。いいのか悪いのか。

 

わいせ:ホントですね。インターネットの普及により、まさに僕が考えていた「見ず知らずの人の中から、自分が面白いと思う事を面白がってくれる人を探す」ということをマスメディアの力を借りなくてもできるようになったんです。

 

姫川:求めていた時代が来たぞ、と。

 

わいせ:テクノロジー的には夢は叶ってしまったんですけど、実際インターネットって言ってもいろいろあって、どんなフォーマットがベストかっていうところで、ずっと試行錯誤があったんです。大きくわけて「どうやって冗談を言うか」「冗談が誰にどうやって届くか」の2つの側面があって。

 

姫川:どうやってっていうのは?

 

わいせ:僕が発信のためにインターネットを初めた頃は、BBS・チャット・自作ホームページの時代ですね。そのあと、ブログの時代が来て、そしてミクシィの時代が来て、これはSNSの時代の始まりと言ってもいいと思うんですけど。ブログとかミクシィと並行してずっと2ちゃんねるはあって、ミクシィの時代が終わるころに動画の時代、YouTubeの時代が来て、ニコニコ動画とかが独自の文化を作って、その後SNSFacebookMySpaceを負かして一強となり、あとはTwitterとLINEの時代が来るっていうのが僕の体感なんです。

 

姫川:いろいろやってきましたね。

 

わいせ:はい。で、初期のBBSとかホームページは、冗談を言うための場としてはかなり有効に機能しましたが、冗談を不特定多数の人に読んでもらうという点がなかなかクリアできませんでしたね。そういう意味ではTwitterのフォロワーが少ないときに似ていました。その点が大幅に良くなったのは2ちゃんねるでしたね。主に常連が相手になってしまうとはいえかなりの不特定多数の人に見てもらえるし、反応も得やすかったのと、あとは何より「冗談を言う」という文化が確実に存在していたのが一番大きいです。逆にミクシィは冗談を言うのに全く向いていませんでした。文化の問題でしょうね。Facebookに比べればマシですが。チャットはその場その場で冗談を言って盛り上がったりもしましたが、Twitterと同じでその場限りで流れてしまうのがちょっとイマイチでしたね。テキストで冗談を言うのを基本にしたい僕にはYouTubeは本流となりえないフォーマットですし、LINEは友達同士のツールという認識です。そう考えると、僕にとってTwitterって、冗談を言う文化がある、気軽に冗談を言ってすぐに反応が返ってくる、それを面白いと思ってくれる人が見つけやすい、という意味で「冗談を言うための現存するインターネット・ツールとして最も優れたもの」なんじゃないかなと思っています。

 

姫川:そうですか~。でも、もともとツイッターって別に冗談を言うツールじゃないですよね。

 

わいせ:でも、開発された当初はそれこそ、今の日本の中高生のツイッター観とは全く異なるものとして想定されていたわけですよね。知らないヤツにいきなり話しかけるのがツイッターのはずだし、ブログと同じく自己プロモーションに使うのが欧米的な使い方ですが、日本人は「おはよう」とか呟いて友達からいいねをもらうみたいな使い方するのが主流だし「無言フォローするな」とか「知らない人からRTされて怖い」とか、だいぶ感覚が独自に遊離してますよね。僕の使い方の方が、ある意味自己プロモーションみたいなものですから本来の用途に近い気がしますよ。

 

姫川:そんなことないと思いますけど…まぁいいです。

 

わいせ:とにかく、ツイッター2ちゃんねる以来の優秀なインターネット冗談ツールっていうことなんです。

 

姫川:そうですか。じゃあツイッター始めて良かったじゃないですか。

 

わいせ:そうなんですよ。こうして姫川さんとも会えたし…

 

姫川:そうですね。私が有名かどうかはともかく、有名人といきなりゼロ距離になるっていうのがツイッターの特徴ではありますよね。

 

わいせ:僕が面白いと思うことを共有できる仲間をせっかくここまで数多く見つけたので、2018年は引き続きツイッターで冗談を言うことを中心的な活動としていきたいと思っています。

 

姫川:なんか人生楽しそうでいいですね。

 

わいせ:いやぁ、自分としてはそんなことなくって仕事とか大変なんですけど、でもだからこそ、インターネットでくだらない冗談を言うという一見どうでもよさそうなことを大事にしたいんです。そして、それを分かち合える仲間も大事にしたい。

 

姫川:大事にしたほうがいいですよ。私も冗談言うの好きですし、ひたすら冗談を言って笑いあえる仲間は貴重だと思います。

 

わいせ:それでは、だいぶ時間が過ぎてしまってますので、この辺にしておきましょうか。今日はありがとうございました。

 

姫川:いいえ、こちらこそ。お体に気を付けて冗談を言い続けてください。

 

わいせ:本当にありがとうございます。そちらこそご自愛ください。あと、最後にハグしていただけないですか。

 

姫川:えっ、嫌です。

 

わいせ:ですよね…

 

 

(終わり)

過ぎゆく2017年、来たる2018年(第3回)

今から言うことは嘘なので真に受けないでほしいのですが、先日AV女優の姫川ゆうなさん(むっちゃ俺の好み)と都内の某ホテル(むっちゃ俺の好み)で、わいせっつーとしての今年の振り返りとの来年の展望についての対談(むっちゃ俺の好み)を行いました。これはその第3回です(第2回はこちら)。もう一度言いますがこれは架空の対談です。

 

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わいせっつー(以下「わいせ」):ところで、姫川さんはご自身の強みは何であると捉えてらっしゃいますか?

姫川ゆうな(以下「姫川」):強み?うーん、自信があるのは乳首ですね。あと、身体が柔らかいというのはあるかな。肌が白いとかも?

 
わいせ:僕としては、姫川さんは笑顔が良いと思うんですよ。笑顔が良いっていうと普通は天真爛漫だから良いってことなんだけど、姫川さんの場合は完全に天真爛漫というわけではないところが逆に良くて。勝手な解釈で申し訳ないんですけど、喜びのお風呂に100パーセント頭のてっぺんまで浸かってこその笑顔じゃなくて、どっかで俯瞰してる感じがあって。
 
姫川:それ、全然褒めてないよね!?

わいせ:褒めてますって!別に笑顔が嘘くさいって意味じゃなくて、そこにいて笑っているんだけど、ある意味そこにいない、みたいな…

姫川:どんどんドツボにはまってません?姫川、そんなに「心ここにあらずでやってる」感あります?

わいせ:違うんです、マジで!
 
姫川:もはや幽体離脱じゃん…臨死体験みたいな。

わいせ:いや、だからこそですね、そんじょそこらの女優であればただの「こいつ気持ち入ってないな〜」で終わるんですけど、姫川さんの場合そうならないから凄いんですよ!

姫川:必死に取り繕ってますね〜

わいせ:いやいやいや!要するにですね、集中は途切れてないんです、姫川さんの場合。俯瞰って、子供はなかなかできないじゃないですか。だからこんなに無邪気な笑顔なのに俯瞰を感じるということに、奥行きのある存在感と凄みが出てくるってことが言いたいわけなんです!
 
姫川:わかりましたよ。ありがとうございます。いやそんなことより、そちらの話ですよ。なんでしたっけ最後の振り返りポイントは?
 
わいせ:はてなブログですね。

姫川:そうそう、それ。ツイッターはエロばっかりですけど、ブログはどうなんですか?

わいせ:ツイッターは99%性欲関連ですが、ブログは性欲縛りはないです。と言っても結果的には8割以上性欲ですね…唯一の非性欲カテゴリが不調なので…
この対談も、はてブロに掲載予定ですよ。

姫川:じゃあ、来年はブログで性欲以外のことをもっとやっていこうと?
 
わいせ:うーん、それもあります。でも単純に性欲以外のコンテンツの比率を増やそうっていうよりも…

姫川:プッ…コンテンツって…

わいせ:え?

姫川:いや、ただのブログの投稿をコンテンツとか、ホントすごいですね。自意識過剰っていうか、自己評価すごい高いなって…

わいせ:いやぁ、なかなか当たりが強いですね…
 
姫川:ごめんなさいね、スタッフさんから、わいせっつーさんは姫川に詰められるとゾクゾクするはずだからってキツめに当たるように言われたんで…

わいせ:なっ、なんすかソレ!僕をそんな単純かつステレオタイプなM気質であるかのように伝えるなんて…

姫川:でもそれはスタッフさんの優しさゆえですよ。それに、自己評価高いって、私は良いことだと思いますよ。

わいせ:自意識過剰なのは全く否定しません。ここまで自意識が肥大化してるからこそ、こんなにツイートしたりブログ書いたりできるんだろうとは思いますね。でも、僕の自己愛は、自分の自信のなさの裏返しでもあるんですよ。
 
姫川:あ〜なんかわかるかも。自分に自信がないからこそ、自分の価値にしがみついちゃうっていう…

わいせ:そう!
自分を必死で肯定するのも、必死で否定するのも、自分に執着しているという意味では同じことをしてるんだと思うんです。

姫川:わかる!わかり過ぎますねそれ。ナチュラルに自分に自信がある人は、そもそも自分を褒めたり貶したりすることに、あまり興味ないと思う。
 
わいせ:そーなんですよ!僕は自分の存在意義を必死でたぐり寄せて握りしめてる感じですね。

姫川:うん。で、なんか話の途中でしたよね。ブログの性欲以外の比率を増やそうというよりも、別の観点で何か変えたいみたいな話してませんでした?
 
わいせ:あ、そうそう。よく覚えてましたね。ありがとうございます。

姫川:今日はインタビューする側として来てますから!

わいせ:珍しくね。

姫川:そー、どっちかっていうとされる側なんで。

わいせ:そもそもなんでブログを始めたのかというと、ツイッターは文字数制限があるからこそ良いとは思うものの、やっぱりあるんですよ、ツイッターで書くこと思いついても、書きながら「あーこれ絶対入りきらないわ。かと言ってツイート何回かに分けて書くっていう感じでもないわ。」って思う時が。

姫川:ツイートに入りきらないことを書くためにブログが必要になったと…
 
わいせ:そうです。でも文字数だけの問題じゃなかった。ツイッターって“一期一会過ぎる”って思いません?頑張って書いたツイートもあっという間に流れて、データとしては消えてなくても、実態として後から振り返られることはほとんどないですよね。まるで風に吹かれて消える砂絵のような…

姫川:それがツイッターの良いところなんですけどね。

わいせ:そう!文字数制限と同じで、すぐに忘れ去られる諸行無常感がツイッターの長所なのだと理解はしつつも、僕としては自分のツイートはもうちょっと繰り返し長期間にわたって色々な人の目に触れてほしいという思いが正直あって…といっても実際には僕自身が何度も振り返りたいという方が大きいかな。

姫川:出た、自分大好き人間!!

わいせ:だって言いながら気づいたんだもん、「色々な人の目に」とか言って、僕のブログ、多分世界でせいぜい15人くらいしか読んでないと思うから…

姫川:そんなんツイッターだって最初はそうだったわけでしょう?
 
わいせ:んまぁ〜そうですね。でもツイッターはフォロワーがある程度いないと面白くないから自分からどんどんフォローしましたよ。ブログはそういう努力はほぼしてないですね。やはり、読んでもらいたいという気持ちはツイッターの方がはるかに強いです。あとは、はてなブログ内で僕と似たような人をうまく見つける方法がわからないというのも大きいんですけどね。
 
姫川:似たような人?性欲のことばっかり書いてる人?いっぱいいそうだけど。

わいせ:でしょ?絶対いるはずなんだけどなぜか見つからないの。

姫川:じゃあブログは、すぐに流れてほしくないような長い文章を書くために始めたということですね。今年はそれで満足したと。

わいせ:いえ、してないんです。仕事が忙しくなって一時期完全に止まってしまって。6月から11月までほぼ更新してない状態でした。

姫川:仕事のせいにしないの!性欲ツイートが仕事みたいなものでしょう、もう。
 
わいせ:気持ち的にはそうだけど、一切お金入ってこないので…。さっき話したサブアカウントの件と似てるんですが、もっといろいろやれるフォーマットだったのに、その可能性を活かしきれなかったなって感じはありますね。ここで服とかバッグとか売ったら売れるのにっていう立地でタバコ屋やってるみたいな。
 
姫川:代官山のど真ん中にタバコ屋のおばちゃん的な?

わいせ:そうね、まあー僕のツイッターやブログを代官山って言うとちょっと立地良過ぎだけど…

姫川:今さら自己愛隠しても無駄な抵抗っすよ。
 
わいせ:いや、その潜在力の度合いはともかく、もっとやりようはあったのにもったいなかったとは思っててですね。特にブログで僕「ゴンゲ」っていう小説みたいなの書いてて。

姫川:あら、それこそツイッターではやりにくい試み、いいじゃないですか。

わいせ:全然完結してないんですけど、時間が経ち過ぎて先のストーリー忘れちゃったんですよ…

姫川:ダメじゃん!!!

わいせ:いやマジ、ほんとダメで…書きますけどね。なんとか思い出して。ここまできたら最後までやりたい。

姫川:心から「書きたい」っていう衝動がなくなったんなら、無理していやいや書かない方がいい気もしますけどね。

わいせ:でも、途中で投げ出したっていう事実が自分のこれからに与える影響ってのもあると思うんですよ。最後までやりとおせない自分というセルフイメージが強化されてしまうというか。

姫川:でも、嫌々書いたら、それこそセルフイメージ濁るかもしれないよ?

わいせ:なるほど。でも、たぶん書きますよ。女の人に何かを喋らせるのが好きなので。お話を書く動機の半分くらいそれですね。

姫川:女性への変身願望?女装願望みたいなやつかな。

わいせ:似てると思います。新しい女性キャラ出したばっかりなので、さすがにこのまま終わらせたくないですね。

姫川:じゃあ来年はその小説を頑張りますということですか?

わいせ:そうですね。あとは、本当はもっとブログとツイッターって、有機的に連動するイメージだったんですけど、今のところあんまりそういう相乗効果は感じないんですよね。ブログの中にツイッター埋め込んでるんですけど、ブログ読者が少な過ぎてブログからツイッター流入するケースはおそらく皆無で…ブログ投稿した時に呟くので、逆は多少あるっぽいんですが。

姫川:もっと良い使い方があるのかもしれないですね。
 
わいせ:はい、それを探るのも来年の課題かなと。でも、そもそも、有機的な連動っていう曖昧な言葉の前で思考停止してしまってましたが、具体的にどう連動させたいかと問われても答えられない自分がいるんで…

姫川:別に連動させる必要ないじゃん、みたいな。

わいせ:うん、連動が自己目的化してもしゃーないし。他に注力することはあるんで。

姫川:全体的に聞いててすごく思うのが、なんかすごい必死ですよね。なんでそんなにツイッターとかブログとかに熱心に取り組むんですか?別に煽りじゃなくて、純粋に質問なんですけど。

わいせ:煽りでも答えは同じなんで構わないですけど、趣味だからですね。情熱をもって打ち込む趣味。

姫川:なるほど…じゃあ別に何かメッセージを訴えようとか世の中を変えようとかじゃなくて、単に楽しいからやってるってことですね。

わいせ:はい。ツイッターが趣味っていう言い方をしてしまうとかなりかわいそうな人という感じになってしまいますが、僕はもともと冗談をどういう場で言うかということについて…

姫川:あーちょっと待って!なんか別の長い話始まる感じですよね?

わいせ:ええ、まあ。はい。

姫川:ちょ、トイレ行ってきていいですか?

わいせ:あ、ぜひどうぞ。なんか興奮しますね。

姫川:ほんと気持ち悪いですね(と言って席を立つ)
 
第4回へ続く)